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【カサンドラ】 33.誕生日

あの日から突然世界が逆転した。
男性という生き物が気持ち悪くてたまらなくなり、
見ず知らずの男性とすれ違う時でさえ息を止めて歩くようになった。
半径1m以内に男性がいることに気付くと、吐き気がこみ上げてくる。
今まで私を「女」と識別してきた男全て
道端ですれ違う男全て。
女を女として認識し、
あわよくば自分の欲求を発散させるための道具にしようと
上辺の言葉を並べている男という生き物全てが
この世の汚物に思えた。

携帯の番号を変え、誰にも言わずひとりで準備して家を引っ越し、
今まで連絡を取っていたすべての男性との関係を一日で切った。
その後、付き合う男の趣味でできなかったことを全部やってやろうと思い
ピアスホールを拡張して、長く伸びた髪を青緑に染めた。
都内に来ても、この長さでこの色の髪は滅多に見ることがなく
原宿の美容室でも、このカラーを扱っている店は殆どなかった。
着るものは露出の多いギャル服から中性的でゴシックなものに変え
クローゼットの中は一瞬で真っ黒に染まった。
これでもう恋愛対象として見られることはないし、地元に帰っても、私があのオトだということには、きっと誰も気付かない。
ここまで振り切ったせいか、
半年ほどでミサンドリーと思われる重度な嫌悪症は改善されてきた。


真冬の寒い日、私は31歳の誕生日を迎えたが
今まで誰かしら男と過ごしてきた自分の誕生日をどう過ごしていいかわからず
職場で残業をしていると
社長に声を掛けられた。

「渡辺今日誕生日だろ?
好きなもん食わしてやるから来いよ。」

矢沢永吉が大好きで、ライブがある日は昼で仕事を切り上げ
マフラータオルを肩に引っ掛けて出かけていくファンキーな社長は
私を評価してくれ、とても大切にしてくれていた。
しかし彼も男性で
気持ち悪いと思いながらも断れず
社長と専務、私の3人で
職場近くのレストランバーで食事をした。
社長は私のために高級なワインを注文し、グラスに注ぎながら
私の男性界隈の話を始めた。
世間が適齢期と呼ぶ年頃をここで過ごしていたのに、突如見た目が180度変わってしまった私に
何があったのか、気になったようだった。

私はキャバ嬢時代に培った接客能力を尽くして、上手くかわしていたつもりでいた。
今は興味ないです。笑顔でそう言った瞬間に社長が顔色を変えた。

「お前さぁ、本当はどんな奴なんだよ。」
「どんな奴って、こうゆう奴です。」
「いや違う。お前はいつも何かを演じてんだよ。
話合わせるの上手いから最初はタレント崩れかなんかかと思ってたよ。
でももう4年もこの会社にいるんだからそろそろ素になれよ。」
「これが素です。」
「違う。それは仮面だよ。」

私が素ではないとしても、それにどうして難癖をつけられなければいけないのかわからず
社長の顔を睨み付けていると、社長は更に苛立った様子で続けた。

「本気で人好きんなったことなんかねぇんだろ?
素になれないんだったら明日から会社に来なくていい。」


私は笑顔を作って席を立ち、化粧室に駆け込んだ。



”本気で人好きんなったことなんかねぇんだろ?”


ないよ。


好きとか愛するとか、そもそもなんだかわからない。
わからないまま人一倍経験だけ積んで30を過ぎてしまった。

素っていうのは、家族といる時のような自分のことでしょう?

だったら私はこれが素だよ。

私が好きだの嫌いだのを感じる手前には、いつも母の機嫌があった。
母と同じ感情じゃなければ嫌味を言われ、無視をされる、そんな環境にいて
自分が何が好きなのかなんて、わかってしまうほうが苦しいんだよ。
何が起きたって、自分が何を感じているのかさえわからない。私は、感覚を鈍磨させることで生き抜いてきたのだ。
私だって自分の素を知りたいよ。
産まれてから一度も、素でいたことなんかない。

…あんたに何がわかるんだ。
父親の会社をそのまま引き継いだだけのぼんぼん社長が何を言っている。
泣いたり騒いだり怒ったり
子供の時に子供でいられた奴に私の何がわかる。
このままテーブルにあったナイフでその突き出た腹を思い切り刺してやりたい。
刺してやりたい…

肚の底から沸き上がる怒りの塊を飲み込んで
鏡に映る自分の目を睨みつけた。
深呼吸をして、荒い呼吸を整えてから
乱暴に手を洗い、化粧室を出た。



FIRE BALL - BIRDMAN

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