【カサンドラ】 10.2019-回想-1

ここのところ仕事で帰宅が遅く、思うように睡眠がとれていない。
窓の外は嫌味のように空が青いが、僕は子守を放棄して自室に籠っていた。

あれからワイドショーでは毎日のように渡辺家の事件について報道され
高野さんの言う通り、翌日から「鎌倉両親殺害事件」とタイトルが変わり
渡辺の名前の後には「容疑者」と付くようになった。
被疑者の写真として公開されているものは信じがたいほどやつれており
学生時代の面影は一切なくなっていた。
それに合わせて妙に見慣れた懐かしい景色がネガティブな空気を伴って突きつけられるので
なんだかテレビと一緒に全てを消してしまいたい衝動に駆られる。

事件報道のあった翌日に、実家の母親に電話をした。
テレビで報道を見た時には既に自宅に報道陣が押し掛け、
事件当日は母曰く”どっかの芸能人”のような一日だったそうだ。
警察に先導されながら家を抜け出し、今は横浜の兄の家に夫婦で身を寄せているが
僕は同級生なので、2~3日中にこちらにも報道の網が張り巡らされるだろうという内容で
事件自体に関する話をする余裕がない様子だった。
母親も渡辺をよく知っているので、ショックだったのだろう。

ということは事件のあった家庭は、やはりあの渡辺家で間違いない。
そして容疑者の女性は、僕の小中学校の同級生、渡辺優希だ。


僕はベッドに寝転がり、古い記憶を漁りながら睡魔が訪れるのを待った。

体が弱く、学校を休みがちだった彼女の家に
近くに住んでいる僕がその日に渡されたプリントや宿題などを届けに寄った。
小柄で外国人みたいに肌が白く、色素の薄い茶髪を短くカットした渡辺の母親は
ほわっと、のんびりした雰囲気の人で、
僕がプリントを持っていくと、いつもありがとうね。と優しく微笑み、お菓子を持たせてくれたりした。
彼女は月に一度は休んでいたので
担任の先生に、優希ちゃんにたくさん会えて羨ましいなぁとからかわれた時は、
恥ずかしくて机の下に隠れたくなったものだ。

と、ぼんやり過去に浸っていたら自宅のインターフォンが鳴った。
心臓がドクンと大きくを波を打ち
ヤバい・・と、ベッドから飛び降り慌ててリビングへ向かうと
昼間とは思えない暗闇の中、テレビ画面に流れるディズニーアニメと
ソファーの上でごそごそと動く真紀子と慎太郎の姿が目に入った。
家中全てのカーテンが閉めきられ、インターフォンのモニターも真っ暗のまま
真紀子が不安そうにこちらを振り返った。
「孝ちゃん、今日は松田さんのお宅に遊びに行ってるから、
そのまま預かってもらう。さっきLINEした。」

「ごめん・・・。」

「パパが謝ることじゃないよ。」と薄く笑みを浮かべながら
「これからいつまでこうなんだろうねぇ・・」と、見えない外を眺めた。

僕は自室へ戻り、細心の注意を払いながらカーテンの裾を少しだけズラしてみた。
窓から下方を覗くと、薄手の黒いジャンパーを羽織った男が2人、マンションの入り口を塞いでいる。

大きな機材を持っていないので判別し難いが、最近はボールペン型のレコーダーがあるくらいだから、油断できない。
男たちの視線が揃ってマンションと反対側に向いた隙に、カーテンを少しだけめくり上げ、対面の道路を一瞬で視界に入れた。
マンションの反対側の通りには、ガードレールに沿ってシルバーのワンボックスが停まっており、
その後ろに黒い軽自動車がぴったりと着けて停められている。
マンション前にいる男の一人は頻りに左右を見回していて、同じ建物の住人が入ってくるタイミングを計っているようだった。

僕は再びベッドに身を沈め、気を紛らわそうとしばらくスマホゲームをしていたが
いつの間にか眠りに落ちてしまったようで
腹の上でブルブルと暴れるスマホの振動に驚いて目を覚ました。
慌てて画面を見ると、見慣れない名前が映し出されている。

ー伊藤大地ー

「・・だいち・・・ だいち?」

僕は少し戸惑いながら緑の応答ボタンをタップした。
「もしもし?井山?」   「   大地?」
「そう。おーーー!めっちゃ久しぶり。」
「うわーーーびっくりした!なんだよ!え、電話番号知ってたっけ・・?」
「さすがに変わってると思ったら掛かったわ。」
「あー、でもあれだいぶ前だよな。元気にしてんの?」
「元気元気。井山は?嫁さんと子供も?」
「元気だけどさぁ・・。あ、もしかして渡辺のこと?」
「そうそう、それで電話した。今お前んちの下いるから出て来いよ」

お前ん家の下にいる・・・?

「報道陣・・?」
「いや報道じゃない。報道じゃないけどこの事件を調べてる。」

調べてるって、、、
大地と最後に会ったのは6年ほど前になるだろうか。
大学を出てから水商売をしながら女の家を転々とし
6年前に自分の店を持ったとかで、新宿まで飲みに行った。
あの大地が今度は警察官にでもなったというのか

「趣味で」

短時間に繰り広げられる僕の回想を遮るように大地が言った。

「うちの店に来たんだよ渡辺、あれからしばらくして。
うん。で、ここ何年か見てないなぁと思ってたらさ。てか出てこいよ。
もう俺しか居ないって。」

ちらりとカーテンの端をめくり、窓の下を覗き込むと
黒づくめの服装で佇むスレンダーな男の姿が見えた。
大地は30代の頃から白髪混じりの髪を伸ばしていたが、この距離でもわかるほど増えた白場が、時の経過を感じさせた。

僕は真紀子に断って玄関を出た。

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