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6.アート合宿_202202を終えて

「絵を描く」を人生に招き入れるガイドをしてくれた友人に描き上げたものの写真を送って、言葉を贈ってもらった。毎度恒例のようになっているのだけど、毎度新鮮にすごくうれしくて、おなかの底からふつふつする。

気に入られようとして描いているわけではないのだけど、そうなる気配がないのが自分にとってはかなり不思議。もちろんそんなことしたくないし、そもそもそんなふうには描けないのかもだけど。絵として出力する自分の純度を上げていく行為だからかな。

自分と他者との間には明確な違いがあり、かつてはそれを認知することは多数派から線を引かれる痛みや独りになる恐怖と同義だった。絵を描くことは、それぞれがそれぞれにしかない感性を持っていて、いびつで不思議でグロテスクでエキセントリックであったとしても、どんな尺度で飛び抜けていたとしても、純粋にそれが表現される素晴らしさを教えてくれる。

4人と道具たちでわりかしぎゅうぎゅうになりながら描き続け、おいしいご飯をもりもり食べ、わいわいしながら過ごすのは幸せだった。それぞれがくつろいでいながら深く潜ったりぼんやりしたりおやつを食べたり好き勝手歌ったり。

日常の延長線上で絵を描くのはなんて豊かなことだろうと思う。早くアトリエというか撤収せずそのままにしておける場所を持ちたいな。

自分と他者、他者と他者を比較することでそれぞれの持つユニークな色や形、その感触が少しずつわかるようになるのだなあと思う。(よくない意味で)自分だけ違う、からみんなそれぞれ異なる、への移行が起き続けている。その違いを捉えて、しっくりくるように言い/描き表す遊びをずっとしている。とてもたのしい。

短いスパンで大きな変化が起こっていることに気づいてびっくりうれしいなんだこれという現在地。今までは自分の特性を使って他者と違うことがばれないようにしてきたけど、なんかそうではなくてちゃんと使ってあげられそうな予感。パワーや速度やエネルギーの大きさではない、でも確かに存在しているうごめくなにかの手触りや重さや色をもっとわかりたい。

それは魂の形そのものかも知れないな。

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というところまで書いて、壁にかけてある絵を観て、そういうことかあとなった。

特異であることを認めると孤独になりそうで怖くて、まっすぐ見られなかったのだけど、ようやくちゃんと手をつないで歩いていけそうだ。
スケールの大きさや膨大なエネルギーのような、誰にでもパッとわかるような飛び出し方じゃないから、ないことにしたり違ったものだと思い込んだりしていた。ずっと存在していた事実に絵を通して気づいていっている。パワーはないけど小回りの効くピーキーなスタンド。たぶんアイデア次第なのだ。

誰もいない方向かもしれないけど、共感はしてもらえないかもしれないけど、飛び抜けちゃったままをただそうであると受け止めてくれる存在たちがいるから俄然無敵な気分。ぶっちぎっていこう。

20220228(mon) xx:xx at Home

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