すぐそこにある沼
天気の影響もあるのか、なんだかもやもやする日が続いています。
あいにくの雨なのでひたすら歩くこともできず、もやもやを持て余しつついました。
もやもやを眺めたりつっついたりした結果、自分の癖がわかりそうなので言語化してみます。
すぐそこにある沼
陥りやすい考え方の癖に「すぐそこにある沼」と名前をつけました。
「らんま1/2」の呪泉郷みたいに、たくさんの沼がすぐそこにあるイメージです。
存在を知らないと足を取られてしまうけど、すぐそこにあるとわかっていれば沈まないように注意しておけます。
このnoteは最近見つけた沼についての観察日誌みたいなものです。
ファントムゴールしか見えない沼
・過程より結果が大事!にとらわれる
・設定していないゴール(一般的によさそうな成果)を目指そうとする
最近あえてゴールを明確に描かずに、その瞬間を精一杯やるようにしてみています。Todo(何をするか)よりTobe(どうあるか)に重きを置くというか。それができないときにもやもやしがちです。
そもそも設定していないファントムゴールばかりをみてしまい、いま現在を過程でしかないととらえる・結果が出てないから0点!と判断する短絡的な思考の沼です。
ここでいうファントムゴールは自分が願っているものではなく、なんとなくよさそうなものであるのが厄介ポイント。
自分が願っているものがわからないと、「それはいらない」と言いづらい構造がありそうな気がします。
Todo(なる)/Tobe(ある)の人生観については、垂水さんのnoteにも出てきていたので、こういう話題がすきな方はぜひ。
達成指向(なる)の人生観と状態指向(ある)の人生観、どちらが優れているかという価値判断には適さないと思いますが、達成指向の人生観「だけ」が人生のリアリティであるという見方ではなく、状態指向の人生観も素晴らしいものだと気づけると、学びがあるかと思います。
現在の自分は、達成指向で虚しさを感じたことから、状態指向に移行しつつあるけど、たまに達成指向に戻ってしまう状態であると言えそう。
どうあるかに重きを置くのは、そっちの方が合っている(気楽ともいえる)から。そうじゃなくなってしまうトリガーをもう少し明らかにしたい気持ち。
自分がどうありたいかについても、もっと言語化できるとよさそう!
自分を責める沼
すぐそこにある沼No.1ですね。
いろんな人が持ってる沼でもあるとおもうな。
しんどいのに安易に自責に走るのは、メリットがあるからなんだよなあとぼんやり考えていて。
今日発見したメリットは、「負のギャップを感じにくくする」こと。
どうせうまくいかないだろう、とおもうことで、失敗が既知のものになる。
期待値を下げておくと、うまくいかなかった結果と期待値のギャップがなくなる。
未知:うまくいくかも(100)→うまくいかなかった(0)
既知:うまくいかないだろう(0)→うまくいかなかった(0)
失敗が未知の状態では、期待値とのギャップがマイナスになりえますが、そもそも期待値が0だとギャップも痛くない(ような気がする)。
ショックを感じたくない、身を守りたい気持ちの現れなのかもなあ。
このメリットも単なる目くらましでしかなく、状況の好転にはつながりづらいから、自責の沼にも注意しておきたいところです。
そもそも自分の失敗を願うようなものなのでどっちにしろしんどいよね。
そのほかの沼
よくわかっていないけど確実にある沼についても引き続き調査を進めていきたいとおもっています。
すぐそこにありそうな沼
・責任範囲をむやみに拡張する沼
・シリアスになりがちの沼
みつけて観察することで、引きずり込まれる可能性をグッと下げられるので、わかっていくのが大事。
コーチングやカウンセリングで扱うのもいいのかも。
ここまで書いておもったけど、「名前をつけて観察する」の実践のひとつだなあ。
(このnoteの続きも書きたいなあ)
サムネイルの画像みたく、ひょいっと飛び越えられるようになりたいものです。
明日は晴れるらしいので散歩に行こうとおもいます!それでは!
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