ずーっとずっとだいすきだよ
みなさんはこの物語をご存知だろうか?
「ずーっとずっとだいすきだよ」
(英語名: I'll always love you)
これはハンス・ウィルヘルム作・絵の絵本。
3年前、1年生を担任したときに知った。
小学校1年生の国語の教科書(光村図書)に物語教材として載っているのだ。
以下、出版社からの内容紹介
教師は授業をする前、この単元をどうやって教えようか計画を立てる教材研究というやつをするのだが、この物語を初めて読んだとき、泣いた。
私は犬を飼ったことがない。
子どもの頃すごく飼いたくて4人きょうだいでお願いしたが、その願いが叶うことはなかった。そんな私の夢の一つは犬を飼うこと。(脱線)
もちろん犬を飼ったことがなくてもこの主人公の「ぼく」に共感することができる。シンプルに感動するお話なのだ。
でも、私が泣いた理由、それは
「このままじゃ後悔する」
そう思ったからだ。
私には同居のおばあちゃんがいる。
生まれてからずっと一緒に暮らしてきた。
共働きの両親と4人きょうだいを育ててくれた、3人目の親のような存在だ。
学校から家に帰った時毎日両親はいなかったが、おばあちゃんがいた。
おやつを作ってくれたり、畑の手伝いに行ったり、パズルやおせろで遊んだりした。
4人きょうだいの中でも特に私はおばあちゃんっ子で、毎晩毎晩おばあちゃんの隣に布団を敷いてもらって寝ていた。
小6のとき初めて自分の部屋をもらえたが、それでも自分の部屋ではなくおばあちゃんの部屋で寝ていた。中学生くらいまで。
思春期になり、だんだんおばあちゃんとうまく話せなくなった。
好きなのに、大好きなのに、とっても大切なのに、そっけない態度をとったり無視したりした。
素直になりたいのに、できなかった。
おばあちゃんは元気だったけど、当時80歳前半だったから、年齢的にはいつ何が起こってもおかしくない状況だった。
そんなことは分かっていても、やっぱり素直になれなかった。大人になってからも。
私はこの物語の「ぼく」に自分を、
「エルフィー」におばあちゃんを重ねた。
「ぼく」はエルフィーに毎日毎日愛を伝えた。
私はおばあちゃんに愛を伝えるどころか、悲しませるようなことをしている。
「ぼく」はエルフィーが死んだとき、気持ちが楽だったという。
私は、もしおばあちゃんが死んだらどうだろう。
きっと、生きていけないほど激しく後悔するだろう。
そう思った。
この物語に出会ってから、想っているだけじゃだめだ、言葉で伝えなければいけない。
強くそう思うようになった。
詳しくは先程リンクを載せた記事に書いているが、JICA海外協力隊としてルワンダに来る前、初めてちゃんとおばあちゃんに感謝の気持ちを伝えた。
「感謝」の文字刺繍と
「最高のおばあちゃんです」というメッセージを。
いつも私が作っている刺繍作品を見て
「わー!!おまんそれ手でしたんか?よお器用にするわ」
と声高らかに褒めてくれるのだが(だから刺繍をプレゼントした)、このときは
「こんなもんもろてええんか…?」
と、静かに刺繍を見ていたのが印象的だった。
隣で見ていたお母さんは、「泣けますね」と言った。
贈り物はたいしたものではない。
でも、気持ちが楽になった。
今までの行いが少し償われたような気がした。
2023年4月17日
おばあちゃんが亡くなった。
以下、Instagramの投稿より
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今日から第3タームが始まるという新学期の朝
目を覚ますと母からのLINE
「おばあちゃんが亡くなりました。」
ずっと元気なもんだと思ってた。
ルワンダに来る上でおばあのことは唯一の心配事だったけど、病気もなかったし、頭もしっかりしていたし、帰国までの1年9ヶ月なんてきっと大丈夫と思ってた。
でも、ルワンダに来てからたった5ヶ月で入院。そこからどんどん衰弱していった。
おばあちゃんっ子で、4人きょうだいの中でも私が一番おばあと繋がりが深かった。おばあとの思い出を何か形にしたくて、絵で残そうと思った。
おばあが亡くなった日、母は
「萌が帰ってくるまで待っててくれなあかんやんか。」
と泣きついたそう。
空港に向かう日、家の玄関で別れるときに、
「萌ちゃんが帰ってくるまでばあちゃんも頑張るさかいな。」
と笑顔で言ってくれた。
その言葉通りにはならなかった。
おばあにもしものことがあったら、私はもう活動どころではなくなると思っていた。
悲しくてたまらない。
1ヶ月経った今もふとしたときに泣けてくることがある。
ただ、思っていたよりは幾分か気持ちが楽だった。それは、出国前に今までの感謝の気持ちを伝えてきたからだと思う。
「伝える」って本当に大事なこと。
相手にとっても、自分にとっても。
空からおばあが見守ってくれているように感じる。だから、私はもう何でもできる。そんな気がする。
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まさかだった。
家族の誰もが、おばあちゃんがこんなに早く亡くなるなんて思っていなかった。
私はこの1週間後、40℃の熱が出て2泊入院した。
最初は、帰国せずお葬式に行かなかったからバチが当たったのかと思った。
でも、高熱が引き退院したときには、おばあちゃんが守ってくれたから2日で回復できたのだと思った。
この後、自分の小学校で日本祭りの開催を計画していた。
他の隊員も巻き込むようなイベントを企画運営することは、リーダーシップが乏しい自分には大きなストレスだったが、絶対に成功する、成功させてやると思っていた。
私にはおばあちゃんがついているのだからできないことなどない。不思議とそう思えた。
2ヶ月後に行ったそのイベントは、20名弱の隊員の協力のおかげで成功に終わった。
そして、思っていたよりは幾分か気持ちが楽だったと書いている。
おばあちゃんが亡くなっても、自責の念に駆られることはなかった。後悔で生きていけないなんて気持ちにもならなかった。
伝えてよかった。本当によかった。
あの絵本に出会えてよかった。
ありがとう、「ぼく」
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