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Music City #6

フジトミ タクミ(ラブロック・福岡)

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◆modsとの出会い

音楽は中学生の頃に、ビートルズやビートルズに影響を受けた海外のバンドなどを聴いてました。当時はまだ貸しレコード店などが地元にあり、ロックの名盤100選的なレコードは音楽好きな基礎としてほとんど聴いた。

若い頃のスタイルはザ・フーのビデオ「ザ・キッズ・ア・オールライト」ピートやキースがギターやドラムを壊したりしてる映像を観てパンクよりもロックを感じて、当時バンドブームで同世代のパンクのバンド友達と同じ格好が嫌だったので、周りのパンクやロカビリーファッションをしてた連中に対抗して、ピートダウンゼントみたいな3つボタンのスーツを仕立てたり、カッコいいかどうかは別として、スーツの上にヒョウ柄のコートを着たり。若かりし頃はコケ脅しみたいな格好をしていた。その時のナルシストな自分を思い出すと今引きつけを起こしたくなるほど恥ずかしい笑

休みの日にレコード屋を回っているうちに、チクロレコードで、ザ・ヘアの「ゴールデン・デラックス」に出会う。その時期のザ・ヘアのライブは観ていないけど、音源はシンプルなのに凄いカッコよくてハマってしまい、ザ・ヘアがカバーした音源や影響を受けたであろう音源を買っていた。

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インターネットが普及していない時代だったので、手探りで東京の古着屋を回ったりして、ザ・ヘアのライブ情報を調べていくうちに、中野にあったルネッサンスやエマやニューネギシで古着買ってたりしていた。あと、国分寺にあったアヌーシュカ。この数軒は当時から飛び抜けて、センスがよかった。

その時にもらっていたイベントのフライヤー。

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自由に歩いて愛しては第一回目からソウルクラップも出演している。

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イベント、自由に歩いて愛しては音楽ライターでインクスティック渋谷のイベント企画もやりつつDJもされていた、フミヤマウチさん。音楽ライターであり、クイックジャパンのヘア特集など、バァフアウトの編集者などで有名な北沢夏音さん。ザ・ヘアのあいさとうさんが中心にやっていたイベントでした。和モノイベントの草分け的なイベントですね。フライヤーのパソコンが普及してなかった時代なのに、おがわまさひろさんによる手書きのフライヤーが凝っていて、カッコよかった。

そこから数年経ち、仕事で名古屋に行った時に休みの日に古着を物色していると、凄いセンスのいいジ・アザーという古着屋さんがあって、そのお店に入ったら、現在も店長をやっている長身の鈴木さん(昭和のカルチャーにおいての知識とセンスで鈴木さんに敵う人はいない)ロシア人のハーフみたいに美人でカッコいい店員さんがいて(それが、ハータさんっていうのが後にわかる)買い物をした後に「スネイクナイト・名古屋の夜」のフライヤーを渡されて、興味を持ってそのイベントに行くと、それまで行っていたクラブは99%洋楽がかかるという常識に反して、そこでかかるほとんどが1968年から1972年までの日本のレアグルーヴ。

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※ジ・アザーさんの過去のイベントフライヤー

当時の洋楽のヒットポップスのカバーや埋もれた歌謡曲やグループサウンズやニューロック、外人の裸のジャケをあしらった歌謡インストで、ミニスカートやワンピースにブーツを女の子や長髪にベルボトムの出でたちで当時のルー・ドナルドソンのザ・ホワイトキックスによるアリゲーターブーガルーのカバーや、ゴールデンカップスのR&Bのやクリームのカバーで踊りまくってた。

その時に光景に影響を受けて、ウケ狙いじゃなく、当たり前に評価されるべき60年代の邦楽の雰囲気をそのままパッケージされたレコードを手探りで買い漁った。

当時はインターネットが普及しておらず、日本のレアグルーヴの情報がなく探すのが大変だったが、その時に発売されたのが「グルーヴ・サウンズ・イン・ニッポン」あいさとうさんとフミヤマウチさん選曲・監修による昭和40sグルーヴコンピの金字塔で、和モノのレコードでどういったレコードを買っていいかわからなかったが、このコンピに入っている音源を聴いているうちに、当時やっていた昭和40年代ゴーゴー喫茶擬似体験イベントでかかっている曲は収録曲の雰囲気でどういった曲が何となくわかるようになってきた。

僕の同世代で和モノDJやバンドやってる人は、このコンピをきっかけで始めた人がほとんどだと思う。

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それから、数年経ち、九州に戻った時に、昔行った「スネイクナイト」の事が忘れられず、ザ・ヘアのさとうさんとフミヤマウチさんと北沢夏音さんと交流があったイベンターの森さんに「福岡にあいさとうさんをDJで呼んで欲しい」とずっと懇願していたら「エミリーはプレイガール」というイベントで呼んでくれて、会場前にキースフラックの前で待っていたら、森さんが僕に気を遣ってくれたのか、森さんから「タクミくん、さとうさんがイベントの開場前だけど、よかったら語らない?と言ってるんだけど、どうする?」って言ってくれて「え?いいんですか!」なんて言って、イベントが始まる前まで自己紹介を兼ねて、色々と話させてもらった。

そのイベントを一通り楽しんだ後に、次の日広島でさとうさんがDJするというので、追っかけして次の日の広島でのイベントを楽しんだ後、主催者の人が気を遣ってくれて「よかったら、あいさんをホテルに送ってくれないかな?」と言ったので「ああ、いいですよ!」って、ホテルを探したら偶然にもその日予約していた同じホテルで、しかも俺の部屋の前があいさとうさんの部屋(笑)まだ深夜だし、夜明けまで時間があるから「よかったら俺の部屋で話さない?」だよ。断る理由なんてない。緊張しながら、ずっと憧れていた先生よりも先生がいる。。なんて思いながら、色々話させてもらった。その時に持参したレコードバッグの中身のレコードを見せてもらったりして、夢のような時間を過ごした。

夜明けまで、色々話してチェックアウト朝の10時だし、寝るかとホテルの部屋に入って寝ていたら、朝そのホテルのフロントから電話があって「朝10時になりましたんで、そろそろ出られますか?」と言われ「ああ、わかりました。」と言うと、フロントの人が「お連れの方がフロントで待ってますが?」と言うので、まさか?と飛び起きると、さとうさんがホテルのフロントのカフェでコーヒーを飲んでいて「おはよう。今日、暇なら一緒に広島のレコード屋回らない?」と広島のグルーヴィンというレコード屋を回ったらまだ、和モノのレコードが全く荒らされてなくて、宝の山みたいだった?当時5万〜10万くらいしていた朱里エイコの「まぼろしの声」や「マシュゲナダ」「イエ・イエ」が貴重盤コーナーに入っていて、高くても5千円くらいで売ってある。。

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朱里エイコ/マシュ・ケ・ナダ


その他、帯つきの貴重盤が500〜1000円くらいで売ってあって、あいさとうさんにレコード見せて「これ、内容いいんですか?」なんて聞いたりして、レコードを買いまくった。和モノレアグルーヴマニアには夢のような時間だった。

その後に、駅前の喫茶店で夕方くらいまでさとうさんと話した。その後に、福岡に帰ってヘアに影響を受けたモッズから和モノレアグルーヴのイベントが無いんで、自分で始めるしかないと思ってザ・ヤングと始めたのが、ラブロック 。1回目には、キースフラックの店長だったコウちゃんにも出てもらった。

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※ラブロックのフライヤー

2回目には渚ようこさん。このイベントがきっかけになり、ザ・ヤングが渚ようこさんのバックバンドとして務めるようになる。

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※渚ようこさん

和モノイベントでは憧れだった、自由に歩いて愛してにも出演させて頂いた。この日がDJデビューの日。メンバー見てもらえればわかるんですが、超豪華なイベントでめちゃくちゃ緊張した。

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※タクミさん、ザ・ヤングが出演時の"自由に歩いて愛して"のフライヤー

渚ようこさんの追悼"自由に歩いて愛して"にも出演させてもらった

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ザ・ヘアとその周辺のメンバーを東京から呼んでR&B天国もやらせてもらったり。ずっと影響を受けたあいさとうさんと何度もDJをご一緒させてもらったりしました。

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※あいさとう氏、ザ・ヘアを迎えてのイベント"R&B天国"のフライヤー


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※あいさとう氏(写真左)とタクミさん

ラブロックでFave Ravesを呼んだ回もあった。

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※フェイヴレイブス出演時のフライヤー

和モノを閉鎖的ではなく、大衆にも受け入れられるように、間口を広くポップにして望んだピチカートファイブの小西康陽さんを招いてのラブロック。

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※小西康陽氏出演時は常盤響氏も出演した

フライヤーのイベントには、出演者の情報など敢えて載せずに、フライヤーのデザインでイベントのイメージを伝えるようにしてもらった。フライヤーデザインは自分よりもDJの先輩でファッションやデザインでは凄いセンスのあるイケメンデザイナー、京都のウスイカズキさん。

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イベントを続けていくにつれて、昭和40年代の当時の若者になり切った、古着を着てくる女の子が増えて行った。当時はラブロックに行く為に古着が売れるという事で、古着屋さんにも重宝されて、集客にも協力してくれた。需要と供給ですね。

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※当時のタクミさん

その頃には、東京、名古屋、大阪、岡山、福岡で和モノDJのゲストで呼ばれて、毎週のようにDJしてた。東京のオールナイトのイベントで始発の飛行機に乗り、そのまま仕事へ。「あれ?さっきまで、東京に居たのになあ」なんて思ったのもしばしば。

あいさとうさんやジ・アザーの鈴木さんや全国のDJ諸先輩方にネタを教えてもらったりして、和モノレアグルーヴのレコードはかなり勉強した。和モノレアグルーヴのDJネタのコレクターとしては、定番物や貴重盤まで、欲しいレコードがなくなるくらいまで買いまくった。

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そして、全国区からDJで呼ばれるようになり、全国の古着屋の周年イベントでゲストDJで呼ばれるようになってから、東京、名古屋、大阪あたりのモッズDJと一緒にDJさせてもらっていた。閉塞感ではなく、60年代好きな人なら誰でも楽しめるようなポップな企画をしてる東京の54321というイベント凄いセンスのあるイベントがあるんだけど、そのスペシャルイベントに毎年9年近く呼んでもらってから、堂に入ったファッションをしてるモッズだけではなく、和モノシーンの友達も増えた。全国区で60年代が好きな人は54321に是非遊びに行ってみて。

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※イベント"54321"のフライヤー

というわけで、僕はDJ始めてから、イベントをするにあたり良縁に恵まれたんだと思う。僕は小さい頃からただの音楽オタクだっただけで、ほとんど何もしていない。福岡に自分の遊ぶ所がなかったから、ただ何となくDJと企画と主催やっていて、似た感性をもった人が集まったというだけで、みんなのおかげ。関わってくれたみんなありがとう。

思い出話も長くなり、そろそろ飽きてきたので、レコード紹介。


◆マイフェイバリットの3曲

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Sandra Alexandra/She'll Break Your Heart

海外のソウルの歌手で、モッズにも有名なアーティストですが、日本がイケイケだった時代。日本に出稼ぎで、当時の歌謡曲をカタコトで歌ったアルバムが存在しています。チョイスしたのは、石原裕次郎のカバー。実際にはそんなに良くないんですが、僕は好きです。


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サンドラアレキサンドラ/夜霧よ今夜もありがとう


これも、当時のグループで有名なブラジルのグループだけどカタコトの日本語で歌っているけど、この曲とカタコト具合は好きです。この曲を聴いてると切なくなる。当時は外国の有名なグループが日本で録音したアルバムとかあって、一部の洋楽マニアには親しまれてますね。

セルジオメンデス/パイストロピカル(日本語)

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次は草刈正雄によるギルバートオサリバンの「アローンアゲイン」の日本語カバー。

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◆for modsから3曲

mother earth/Almost Grown

アシッドジャズ時代のスモールフェイセスのAlmost grownのカバー。僕はこのカバーで言えばスモールフェイセスよりも好きです。今でもヤフオクで300円くらいで買える。

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このコラムで取り上げた通り、ザ・ヘアに影響を受けまくった僕が新しい世代にヘアのアルバムを紹介せずにいられない。このコラムを見てモッズに興味を持った若い世代に捧げる2枚。この紹介文を見て、若い世代の人が新しいイベントや、DJやバンドを始めてくれたら嬉しい。

THE HAiR/ゴールデンデラックス

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THE HAiR/あの娘に愛なんてなければいい


THE HAiR/GET HAPPY


THE HAiR/ELECTRIC CHURCH

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THE HAiR/let's stick together



■Interview&Texted by:Daisuke Nishida(Module)


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