加藤訓子プロデューススティーヴ・ライヒ プロジェクト『kuniko plays reich II / DRUMMING LIVE』
KUNIKO KATO & MUSICIANS
加藤訓子(監修・演奏)
[ドラミング]
東廉悟・青栁はる夏・高口かれん・戸崎可梨・富田真以子・濱仲陽香・藤本亮平・細野幸一・眞鍋華子・三神絵里子・菊池奏絵(picc.)・丸山里佳(vo.)・向笠愛里(vo.)
[木片の音楽]
齋藤綾乃・篠崎陽子・西崎彩衣・藤本亮平・横内奏
スティーブ・ライヒ/
フォー・オルガンズ(1970)
ピアノ・フェイズ(1967/2021)version for vibraphone
ナゴヤ・マリンバ(1992)
ニューヨーク・カウンターポイント(1985)
木片の音楽(1973)
ドラミング(1970-71)
PART I, II, III, IV
sound design : 寒河江勇志
lighting design : 岩品武顕
technical support:堀ノ内順三
主催:特定非営利活動法人芸術文化ワークス
共催:公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
協力:アダムス、パール楽器製造株式会社、ヤマハミュージックジャパン、ファーム株式会社、ボーズ合同会社、株式会社リンジャパン
前半は全て加藤氏自身があらかじめ録音したパートとの協奏。
後半の「ドラミング」は加藤氏監修のもと、若手演奏家たちによる演奏だった。
フォー・オルガンズ…両手にマラカスを持った加藤氏が登場、あらかじめ録音されたオルガン・パートとの合奏となる。実は、初めは違和感があった。本来、オルガン奏者が数えなくてもよいようにするためのマラカスではなかったか。が、オルガンのパートも全て加藤氏による録音であることを考えると、マラカスの意味合いが変わって聴こえてきた。加藤氏は、この曲の全ての音を把握した上で、それと一体化しようとしている。マラカスはいわば最後のピースなのである。スリリングな十数分。
ナゴヤ・マリンバ…加藤氏は叩くというよりも楽器から音を抽き出すように奏でていく。津軽三味線の髙橋竹山氏がかつて「三味線は叩くもんではねえ、弾くもんだ」と語ったことばが思い出される。穏やかな曲の表情も相俟って静かな時間が流れる。マレットのヘッドが描く放物線のようなラインの美しさ。
ピアノ・フェーズ…ヴィブラフォンによるバージョン。数年前に聴いたときと同様、二つの位相が解離していく時のリバーブのような音響が楽器のヴァイブレーションに吸収され、オリジナルとは全く違った表情を見せる。
ニューヨーク・カウンターポイント…冒頭のパルスはオリジナルよりも音の粒がよく聴こえる。硬めのヘッドを使ったソロも小気味良い。
ドラミング…若手奏者たちによる力演。Part1は時折ソロが沈みがちだったのが残念だったけれど、終盤にかけての打ち込みの集中力が印象的。Part2も、総奏が力強い。Part3の響きの美しかったこと。そして、Part4のグルーヴ感に引き込まれた。
全体を通じて、前半の加藤氏の演奏と同様に、決して叩きまくるのではなく、流れや歌を聴かせる姿勢が貫かれている。風通しがよく、清々しい演奏だった。
幕間にはライヒの「木片のための音楽」、アンコールに「クラッピング・ミュージック」が演奏された。
上述の通り、第一曲の「フォー・オルガンズ」ではっとさせられたのだけれど、加藤氏はライヒの各楽曲の全てのパートを自らが担うことで、その作品を完全に自分の中に入れようとしているのだと思う。それは同時に自らが作品の中にすっぽり入り込むことでもある。ただし、加藤氏は作品を「自分のものにする」などというつもりは微塵もないと思える。作品と作曲者に、実に謙虚な姿勢で向き合っている。
この試みのうち、最も大きなものが、アルバムとしても発表された「ドラミング」である。一つ一つのパートを地道に積み重ねていく、気の遠くなるような作業。それを通じて得た知見と技術、曲への深い理解、これらを今度は次の世代に渡していこうとしている。今回の「ドラミング」の演奏には、加藤氏の音楽性・精神性がしっかりと受け継がれていたと感じる。
加藤氏の活動は、求道者のような営みながら、一人に閉じてしまわないところが素晴らしいと思う。お恥ずかしい限りだけれど、加藤氏が「ドラミング」をはじめとするライヒ・プロジェクトに込めた想いの一端がようやく理解でき始めたように感じる。今後の活動を追いかけたい。(2024年6月28日 彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホール)
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