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スティーヴ・ライヒ プロジェクト 加藤訓子ソロ・パフォーマンス スティーヴ・ライヒ「フェイズ/ドラミング」

プログラム:ピアノ・フェイズ(ヴィブラフォンバージョン世界初演)
ドラミング

打楽器奏者•加藤訓子によるライヒ•プログラム。加藤氏の独奏と映像+録音との共演によるソロ•パフォーマンスである。Drumming 終結部で十数名の加藤氏が共演する様は圧巻であった。

Piano Phase は、単なるトランスクリプションではなく、別の曲にさえ聴こえた。ヴィブラフォンの特性により音の持続がかなり長く、響きの塊が次々と楽器から立ち昇ってきては辺りに滞留する。そのため、フレーズのズレがエコーのようにダブる部分が持続音の中に溶けてしまい、フレーズから派生する複数の音型がなだらかに連なっていく。曲の変容するプロセスが隠れてしまう分、音楽の柔らかい流れができる。一種のトレードオフというべきか。

Drumming については、この人がなぜそこまで1人で演奏することに拘るのだろうといささか不思議に思うところがあった。たとえば Part1 は、複数の奏者による演奏では挑発し合うようなところがあって、高い緊張感が生まれる。他方、今回のような同一奏者の多重演奏ではそうした丁々発止のやりとりはー自分自身とやり合う場面があっても良いはずなのだがー影を潜め、よくも悪しくもきちんとまとまった演奏となる。他方、そこまでに登場したさまざまな楽器が全て集結するPart4 を聴いて、この人が単独演奏に拘る理由の一端がうかがえた気がする。ここまで整然と見通しの良い演奏に接するのは初めてだった。何せ1人なので、音色の全く異なる楽器同士でもごく自然に息が合う。それゆえ複数の奏者による演奏では実現することの難しいレベルで細部までタイミングが揃う。CDを聴いた時にも感じたことだが、アタックやフレージングなど、細かい整形が一貫しているので、個々のパーツがおもしろいようにびったりと組み合わさっていき、大変心地よい。こういう姿の音楽であったかと発見があった。

加藤訓子という人は、器用にこなすのではなく、愚直なまでに丁寧に一つひとつ積み上げていく演奏家なのだと感じた。自分自身との対決といったいった要素も含め、さらなる進化を期待。(2022年10月21日 めぐろパーシモンホール•小ホール)

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