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大貫妙子コンサート「ピーターと仲間たち 2024」

出演:大貫妙子
フェビアン・レザ・パネ(Piano)、鈴木正人(Bass)、坂田 学(Drums)、伏見 蛍(Guitar)、網守将平(Keyboards)、toshi808(Sequencer)

大貫妙子さま(たあさま)による、「ストーリーのある曲」を集めたコンサート。昨年に続いての開催である。坂本龍一氏によるアレンジ作品が大きな割合を占める。昨年はとても悲しい出来事のあとでもあり、たあさまはとてもつらそうにみえた。正直にいうと心の底からは楽しめなかった。……でも、よくよく考えてみると、たあさまの心中を察するあまり、動揺しきっていたのはわたくしのほうだったのではないかという気もする……。

今回は、昨年暮れのコンサートを聴いたことでわたくし自身も一種の区切りがついたらしく、素直に楽しむことができた。つくづくファン心理というのは扱いにくいものだと我ながら呆れる。

タイトルとしても冠される「ピーターラビットとわたし」は定番。「テディベア」「ぼくのおじさん」「地下鉄のザジ」など。懐かしいナンバーもあって嬉しい。

自分が初めて買ったたあさまのアルバムが「coming soon」だったこともあり、こうしたラインナップには思い入れがある。当時のアルバムにはーあの頃はコンスタントにアルバムを出していらしたー必ずこの系統の曲が一曲入っていて、それを密かに楽しみにしていた。

「PATIO〈中庭〉」「Rain」は鮮やかに浮かび上がる光景とひりつくほどの強い想いが静かに、しかし豊かに歌われた絶唱。

アンコールで歌われた「ベジタブル」では、聴き始めた頃と何も変わらないたあさまに出会うことができた。

たあさまは、純粋な想いをそのままに綴っていく作もある中で、ストーリーとか、印象的な場面を丁寧に綴る歌に佳品が多い。

古典文学における短歌という短詩形には、掛詞、縁語、枕詞、本歌取りなど種々の技法がある。これらはいずれも限られた文字数の中に豊かなイメージを盛り込むための手法だと言える。掛詞と縁語は重層的イメージ、枕詞や本歌取りは既存の作品や事蹟の持つイメージをそっくり借用する。いずれにせよ、一首の中で小さな(場合によっては大きな)物語を展開することを可能にする。

「源氏」「竹取」を引き合いに出すまでもなく、短歌が物語の不可欠なパーツとなった背景には、物語を内包しうるという短歌自身の特性が働いたのではないか。

ちなみに、同じ短詩形であっても、俳句は季語を軸として一つの場面を切り出すのが基本だと思う。物語未満の一つの風景を写真のように切り取って見せるものだろう。

たあさまのストーリー系の歌は、短歌にも似て、短いけれどたしかに心を動かす物語がある。時も場所も超えて、人の心の機微に触れる。そして物語と不可分の美しいメロディ。久しぶりのナンバーであっても、少しも古びていないのは、そうした普遍性のゆえだろう。

今回も最強の楽士たちが素晴らしいサポート。ギターの伏見氏の、ちょっとぶっきらぼうにもみえて、実に繊細なプレイにしびれた。

冬にはオーケストラとのコンサートも計画されているという。ますますお元気で歌ってください!
(2024年7月9日 六本木EXシアター)

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