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井上郷子ピアノリサイタル #33 伊藤祐二作品集

【プログラム】
ゆるぎなき心(2019)
振り返りⅠ ヴァイオリンとピアノ(1977)
ソロイスト(1996)
ヴァシレ・モルドヴァンの7つの詩 ソプラノとピアノ(2002)
メレタン(2014)
偽りなき心Ⅱ ピアノ版(2015/2022)
誰もが雪の結晶を持っている(2024) (委嘱作品・世界初演)

【出演】
井上郷子 ピアノ

長島剛子 ソプラノ  
松岡麻衣子 ヴァイオリン

【制作】
nothing but music

井上氏による、恒例の春のリサイタル。今回も誠実な演奏をじっくりと味わうことができた。

ゆるぎなき心…第一音に「深く聴く」という決然とした姿勢があらわれていた。右手と左手がずれたり、同期したりしつつ、静謐な音が奏でられていく。画布の上に柔らかな色がぽつぽつと置かれるのを見ているかのようである。一音ずつが丹念に吟味されており、穏やかに見えて、実は極めて厳しい道行。

振り返り…ヴァイオリンは長い音を弾く。開始後少ししてあらわれるゆっくりとしたポルタメントが印象的。半ばくらいに、ゆっくりとふしのようなものが弾かれる。

ソロイスト…今回の作品群の中では、この作曲家らしさが最もよくあらわれた曲ではなかったか。切り離された単音や和音が紡がれる。奏者はそれぞれの音を、性格や温度をはかりつつ奏で、かつ深く聴いていく。それゆえ、各音に、厳しい、囁く、時として小さく歌うなどそれぞれの表情がある。何気なく弾いているかのように見えてしまうのだけれど、実は音の一つひとつに奏者が費やすエネルギーは相当なものだと想像する。ここにおいて、音の間の関係性はもはやあまり大きな問題ではないように思う。

7つの詩…ルーマニア語による7つの俳句に作曲したもの。7つの部分は切れ目なく演奏されるけれど、各曲冒頭に「月」のモチーフと思しきフレーズが奏される。6句目までは句末の「月」(Luna か)ということばが置かれている。基本的な書法は同じなのだけれど、程よく力が抜けていて聴きやすい。

メレタン…プログラム・ノートによると、「伝統的な“形のあるもの”を書いてみたくなった」とのこと。しかしながら、やはり「深く聴きたい」という作家の想いが強いせいか、曲全体としての大枠はあまりよく見えない。

偽りなき心…昨年のリサイタルでも演奏された作品。木管五重奏のための作品のトランスクリプションとのことで、前回聴いた時と同じく、曲の構造はこのバージョンのほうが明確なのだろうと感じる。しかし、原曲のやや変則的な編成(ob、cl、B-cl、alto-sax、fg)からは非常にユニークな響きが想像される。原曲もぜひ聴いてみたいと思った。

誰もが雪の結晶を持っている…旧作では奏される音が比較的長めだったけれど、本作ではごく短い音も交えることによって表情の幅が広がっていると感じる。

どの作品も一つひとつの音をじっくり聴く姿勢が貫かれている。音数は少なく、音楽はごく静かに展開していくのだけれど、丁寧に玩味すべき音たちである。現在の作曲シーンにあっては貴重な存在であり、もっと聴かれてよい作家ではないか。

お三方とも、作品たちと作曲者に対する深い共感と理解とがあってこその、実に真摯な演奏だった。(東京オペラシティ・リサイタルホール)

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