見出し画像

Classic Stylus「煙草と悪魔」

 芥川龍之介の「煙草と悪魔」(1916年)を、現代の一般的な言葉遣いに書き直してみました。

 作者の死後70年を経過した小説は著作権がなくなり、いわゆるパブリックドメインになります。そして編集も改変も原則的には自由になります。
 ……なんて言い訳を書けば、好きな短編を自分の手を使ってより深く味わえるんじゃないかって思いつきです。

 底本には、角川(現KADOKAWA)出版の初期作品集『羅生門・鼻・芋粥』(角川文庫,1995年初版発行)収録の同作品を使用しました。

 原文は青空文庫でも読めるので、興味のある方はぜひご一読を。
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/163_15142.html



☆☆☆


煙草と悪魔




 煙草はもともと、日本にはなかった植物である。では、いつごろ輸入されるようになったのかというと、記録によって年代にばらつきがある。ある資料に慶長時代¹と記されているかと思えば、ある文献には天文時代²と書いてあったりする。そういうわけで初出はさだかではないが、どうも慶長一〇年ごろには、広い地域で栽培が行われるようになっていたらしい。そして文禄時代³になると、「きかぬもの 煙草法度に銭法度 玉のみこゑに玄沢の医者」⁴という風刺歌が市中で流行するほど、庶民のあいだに喫煙が広まっていた――
 それでは、その煙草は誰の手によって日本に持ち込まれたのか。歴史家に聞けば、誰でもポルトガル人だとか、スペイン人だとか答えるだろう。しかしそれは必ずしも唯一の答えではない。そのほかにもまだ、もう一つ、伝説としての答えが残っている。それによると煙草は、悪魔がどこかから持ち込んだのだそうである。そしてその悪魔というのは、ローマカトリック系の宣教師が(おそらくフランシスコ・ザビエル⁵が)はるばる日本へつれてきたものらしい。
 こう言うとキリスト教徒たちは、彼らの神父をけなされたと思って、私を咎めようとするかもしれない。しかし私に言わせれば、これは一面の真実なのだ。なぜなら、南蛮の神様が渡来するのと同時に、南蛮の悪魔が渡来するというのは――西洋の善が輸入されるのと同時に、西洋の悪が輸入されるというのは――至極もっともなことだからである。
 しかし、その悪魔が実際に煙草を持っていたのかどうか、それは私にもわからない。だがアナトール・フランス⁶の『司祭の木犀草』によれば、悪魔は木犀草の花を使ってあるお坊さんを誘惑したことがあるそうだ。それならば、悪魔が木犀草とともに煙草を日本に持ち込んでいたということも、まんざら嘘とばかりは言えないだろう。たとえそれが嘘だったとしても、その嘘はまたある意味で、真実に近いことがあるかもしれない。
​ 私はこういう考えで、煙草の渡来に関する伝記を、ここに書いてみることにした。


Ⅰ注

​1.慶長時代
...西暦1596年から1615年までの期間。日本史の時代区分では、安土桃山時代の末期から江戸時代の初期あたり。

2.天文時代
​...西暦1532年から1555年までの期間。戦国時代の中盤、細川氏と三好氏が覇権を争ったころ。

3.文禄時代
...西暦1593年から1596年までの期間。豊臣秀吉が唐攻めを終えて隠居したころ。

4.「きかぬもの~」
​...「禁煙法や通貨法、玉の御声(天皇の勅令)、野間玄琢という医者の薬には効き目がない」という意味の風刺歌。江戸時代には、辻や河原などの公共の場に立て札を置き、こうした詩を匿名で書きつける「落首」という遊びが庶民のあいだで流行した。

5.フランシスコ・ザビエル
...1549年に日本にキリスト教を伝えた宣教師。イエズス会の創設メンバーでもある。イエズス会士たちは清貧・貞潔の順守と熱心な布教活動で知られる。

6.アナトール・フランス
​...フランスの詩人・小説家・批評家。芥川が傾倒した。1921年にノーベル文学賞を受賞。




 天文一八年のこと、悪魔はフランシスコ・ザビエルの従者のひとりに化けて、長い海路をつつがなく日本へやって来た。どうして従者になりすませたのかというと、本物の従者が中国の港町⁷に上陸しているあいだに、一行を乗せた黒船がそれとは知らずに出港してしまったからである。そこでそれまで帆桁⁸へ尻尾を巻きつけてさかさまにぶら下がり、ひそかに船内の様子をうかがっていた悪魔は、さっそくその姿を従者に変えて、朝から晩までフランシスコ司祭に給仕することになった。もちろん、ファウスト博士⁹を訪ねたときには赤い外套を着た立派な騎士に化けてみせた悪魔のことだから、これくらいの芸当は何ということもない。
 ところが日本へ来てみると、西洋にいるときにマルコ・ポーロの旅行記で読んだのとはだいぶ様子が違う。あの旅行記によると、国中のいたるところに黄金が満ち満ちているようであったが、どこを見回してもそんなけしきはない。これなら、ちょいと磔台¹⁰を爪でこすって金にすれば、それだけでかなり誘惑ができそうである。それに旅行記には、日本人は真珠か何かの力で病人を治癒することができると書かれていたが、これもマルコ・ポーロの嘘らしい。嘘だというのなら、そこらの井戸に唾を吐いて悪い病さえ流行らせれば、たいていの人間は苦しさのあまり来世への信仰など捨ててしまうだろう。――フランシスコ司祭の後へついて殊勝らしくあたりを見物して歩きながら、悪魔はひそかにこんなことを考え、ひとり会心の微笑をもらしていた。
 しかし、たったひとつ困ったことがあった。こればかりはさすがの悪魔にもどうすることもできない。というのも、まだフランシスコ・ザビエルが日本に着いたばかりで布教も盛んではなく、キリスト教の信者がほとんどいないので、肝心の誘惑する相手がいなかったのだ。これには悪魔も少なからず当惑した。第一、さしあたりの退屈な時間をどう暮らしていいか、悪魔にはわからない――
 そこで悪魔は、いろいろと悩んだ末に、まず園芸でもやって暇をつぶそうと考えた。こんなこともあろうかと、西洋を出るときに種々雑多な植物の種を耳の穴の中へ入れて持って来ている。土地は近所の畑でも借りればいい。この考えにはフランシスコ司祭もいたく賛成した。もちろん司祭は、従者が西洋の薬用植物か何かを日本へ移植しようとしているのだと思ったのである。
 悪魔はさっそく鋤鍬を借りてきて、道端の畑を根気よく耕し始めた。
 ちょうど霧の多い春の初めで、たなびいた霞の向こうからは、遠くの寺の鐘の音が、ぼおうんと眠そうに響いてくる。その鐘の音がいかにもまたのどかで、聞きなれた西洋の鐘の音のように嫌に冴えてかんと脳天に響くところがない。――こういう平穏な風物の中では、さぞかし悪魔も気が楽だろうと思うと、どうもそうではなかったらしい。
 彼は一度この梵鐘の音を聞くと、セント・ポール大聖堂¹¹の鐘を聞いたときよりいっそう不快そうに顔をしかめて、無性に畑を耕し始めた。なぜかというと、こののんびりした鐘の音を聞いて、またこのぼんやりした日の光を浴びていると、不思議なほど心が緩んでくるのを感じるからであった。善をしようという気にならないのと同時に、悪を行おうという気にもならないのだ。これではせっかく海を渡って日本人を誘惑しに来た甲斐がない。――手のひらにまめがないのでイワンの妹に叱られた¹²ほど労働が嫌いな悪魔が、こんなに精を出して鍬を使う気になったのは、とかく体に襲いくるこの道徳的な眠気を振り払おうとして、一生懸命になったせいである。
 悪魔はとうとう数日で畑打ちを終えて、耳の中の種をその畝にまいた。


Ⅱ注

7.中国の港
...ここでは当時ポルトガル商人たちの居留地となった、広東省の​阿媽港​のこと。現在のマカオ。​

8.帆桁
...帆を張るためにマストの上に横に渡した木材。

9.ファウスト博士
...ドイツの伝説における主要な登場人物。ゲーテの戯曲『ファウスト』で有名。悪魔の使者として現れたメフィストフェレスにそそのかされ、悪魔と盟約して自身の魂と引き換えに果てしない知識と幸福を得た。

10.磔台
...罪人を公開処刑するために使われた板や柱のこと。イエスの処刑に使われた磔台が十字型であったことから、キリスト教のシンボルは十字架となった。

11.セント・ポール大聖堂
...ロンドンの中心街にある大聖堂。イングランド国教会ロンドン教区の主教座聖堂。

12.イワンの妹に叱られた
...トルストイの『イワンのばか』にまつわる逸話。馬鹿正直者のイワンは知恵も欲もないために悪魔の誘惑に屈さず、逆に悪魔を捕まえることができた。その功績で王女に見初められ国王となったが、「手を使って働かないのは性に合わない」と畑仕事を続けた。以来イワンの王国には、「手にたこができるほど働いた者だけに食べる権利がある。働かないものはその余りを食べよ」という掟ができた。




 悪魔のまいた種は、それから数ヶ月のうちに芽を出し茎をのばし、その年の夏の末には、幅の広い緑の葉が畑の土をすっかり隠すほどになった。しかし、その植物の名を知っている者はひとりもいない。フランシスコ司祭が尋ねたときでさえ、悪魔はにやにや笑うばかりで何とも答えず黙っていた。
 そのうちにこの植物は、茎の先にぞくぞくと花をつけ始めた。漏斗のような形をしたうす紫色の花である。ほねをおっただけに、悪魔にはこの花が咲いたのが大変うれしかったらしい。悪魔は朝夕の勤行をすませてしまうといつでもその畑に来て、いっそう熱心に畑仕事にうち込んだ。
 ある日のこと、(これはフランシスコ司祭が布教のために数日間旅行をした、その留守中のできごとである)ひとりの商人が、商売道具の黄牛¹³を一頭つれて、畑のそばを通りかかった。商人が柵の向こうを見渡すと、紫色の花が咲き乱れる畑の中で、つばの広い帽子をかぶった西洋人が、しきりに葉へついた虫をとっている。その花があまりに珍しいので、商人は思わず足を止め、笠をぬいでていねいにその男へ声をかけた。
 「もし、お上人様。その花はなんでございます?」
 男は振りむいた。鼻が低く目の小さい、いかにも人のよさそうな西洋人である。
 「これですか?」
 「さようでございます」
 男は畑の柵によりかかりながら、首をふった。そして、慣れない日本語で言った。
 「この名前だけは、おきのどくですが、人にはおしえられません」
 「はて、するとフランシスコ様が人に教えてはならないとでも、おっしゃったのでございますか?」
 「いいえ、そうではありません」
 「それではひとつお教えくださいませんか。わたくしも近頃はフランシスコ様の洗礼を受けて、この通りご宗旨に帰依しておりますのですから」
 そう言って商人は、得意そうに自分の胸を指さした。そこにはたしかに、小さな真鍮の十字架が日の光を浴びて輝いている。すると男は、商人の首に下がるこの十字架がまぶしかったのか、ちょいと顔をしかめてうつむいた。しかしすぐに顔をあげて、今度は前よりも人懐こい調子で、冗談とも本当ともつかないことを言った。
 「それでも、いけませんよ。これは、わたしの国のおしえで、人に話してはならないことになっているのですから。それより、あなたが自分であててごらんなさい。日本人はかしこいから、きっとあたります。あたったら、この畑にはえているものを、みんなあなたにさしあげましょう」
 商人は男が自分をからかって言っているとでも思ったのであろう。日に焼けた顔に微笑を浮かべながら、わざと大げさに首をかしげた。
 「なんでございますかな。どうも、今すぐにはわかりかねますが」
 「なに、今日でなくってもいいのです。三日間のうちによく考えておいでなさい。誰かにきいてもかまいません。あたったら、これをみんなさしあげます。このほかにも、珍陀の酒¹⁴をさしあげましょう。それとも、波羅葦僧垤利阿利¹⁵の絵をあげましょうか?」
 商人は、相手がことのほか熱心なのに驚いた。
 「では、もし当てられなかったらどうしましょう?」
 男は、帽子を頭の後ろの方へずらしてかぶり直しながら、手を振って笑った。商人がいささか意外に思ったくらい、鋭い、鴉のような声で笑ったのである。
 「あたらなかったら、わたしがあなたから何かもらいましょう。賭けです。あたるか、あたらないかの賭けです。あたったら、これをみんなさしあげますから」
 そうして言い終わるまでに、男の声は、またあの人懐こい調子に帰っていた。
 「よろしゅうございます。では私も奮発して、なんでもあなたのおっしゃるものを差し上げましょう」
 「なんでもくれますか。その牛でも?」
 「これでよろしければ、今でも差し上げます」
 商人は笑いながら、黄牛の額を撫でた。彼はどこまでも、この話を、人のいい西洋人の冗談だと思っているらしい。
 「その代わり、私が勝ったら、その花の咲く草をいただきますよ」
 「よろしい、よろしい。では、確かに約束しましたね」
 「確かに、お約束いたしましょう。御主イエス・キリストの御名にお誓い申しまして」
 西洋人はこれを聞くと、小さな目を輝かせて、二、三度満足そうに鼻を鳴らした。それから左手を腰にあてて、少しそり身になりながら、右手で紫の花にさわってみて、
 「では、当たらなかったら――あなたの体と魂とを、もらいますよ」
 こう言って男は、大げさに右手をまわしながら、帽子を脱いだ。もじゃもじゃした髪の毛の中には、山羊のような角が二本はえている。商人は思わず顔の色を変えて、持っていた笠を地面に落とした。日が陰ったせいであろう、畑の花や葉がいっせいに鮮やかな光を失った。牛さえ、何に怯えたのか角を低くしながら、地鳴りのような声で唸っている......
 「私にした約束でも、約束は、約束ですよ。私が名前を言えないものをさして、あなたは誓ったでしょう。忘れてはいけません。期限は三日ですから。では、さようなら」
 人をばかにしたように、いんぎんな調子でこう言いながら、悪魔はわざと商人にていねいなお辞儀をした。


Ⅲ注

13.黄牛(あめうし)
...飴色の毛並みの牛。古くは立派な牛として貴ばれた。

14.珍陀の酒
...赤ワイン。「珍陀(tinto)」は、ポルトガル語で「赤」という意味。

​15.波羅葦僧垤利阿利(はらいそてれある)
...Paraiso terral。ポルトガル語で「天国の絵」という意味。




​​ 商人は、うっかり悪魔の手口に引っかかったのを後悔した。このままいけば、結局あの「じゃぼ」¹⁶につかまって、体も魂も「亡ぶことなき猛火」¹⁷に焼かれなければならない。それでは、これまでの宗旨をすてて、波宇寸低茂¹⁸をうけた甲斐がなくなってしまう。
 しかし、御主イエス・キリストの名を出して誓った以上、一度した約束は破ることができない。もちろん、フランシスコ司祭がいたらどうにかしてくれただろうが、彼もあいにく今は留守である。そこで商人は三日の間、夜も寝ずに、悪魔の企みの裏をかく手だてを考えた。それにはどうしても、あの植物の名を知る必要がありそうだった。しかし、フランシスコ司祭さえ知らない名を、いったい誰に聞けばいいのだろうか......
 商人はとうとう、約束の期限が切れる日の晩に、またあの黄牛をつれて、そっとあの男の住んでいる家のそばへ忍んでいった。家は畑と並んで、往来に向かい合っている。男はすでに寝てしまったようで、家の明かりは消えている。月はあるが、ぼんやりと曇った夜で、目を凝らすとひっそりとした畑のいたるところに、あの紫の花が心細く揺れていた。商人は自信がないながらも一策を思いついて、こうしてここまで忍んできたのだが、この静まりかえったけしきを見ると何となく恐ろしくなって、いっそこのまま帰ってしまおうかという気にもなった。ことにあの戸の後ろでは、山羊のような角のある男が、​因辺留濃¹⁹の夢でも見ているのだと思うと、せっかく張りつめた勇気も、意気地なくくじけてしまう。しかし、体と魂を悪魔の手に渡すことを思えば、もちろん弱音など吐いている場合ではない。
 そこで商人は、毘留善麻利耶²⁰の加護を願いながら、思い切って、あらかじめ用意しておいた計画を実行した。計画というのは、ある種の神頼みに他ならない。――つれてきた黄牛の綱を外して、尻をぴしりとつよく鞭打ちながら、例の畑へ勢いよく追い込んでやったのである。
 黄牛は打たれた尻の痛みに跳ね上がりながら、柵を破って、畑をふみ荒らした。何度か角を家の羽目板につきあてもした。そして蹄の音と鳴き声とが、うすい夜の霧を震わせて、ものものしくあたりに響きわたった。すると、窓の戸をあけて、何者かが顔を出した。暗いので顔はよくわからないが、きっと悪魔に違いない。気のせいか、頭の角は、夜目ながらはっきりと見えた。
 「この畜生!なんだって己の煙草畑を荒らすのだ」
 悪魔は手を振り上げて、眠そうな声でこう怒鳴った。寝入りばなの邪魔をされたのが、よくよく癪にさわったらしい。
 畑の隅の方に身をかくして様子をうかがっていた商人の耳には、悪魔のこの言葉が、泥烏須²¹の声のように響いた。
 ——この畜生!なんだって己の煙草畑を荒らすのだ。


Ⅳ注

16.じゃぼ
...Diabo。ポルトガル語で「悪魔」という意味。

17.亡ぶことなき猛火
...キリスト教カトリックにおける地獄は「神と決別した状態」のことを指し、必ずしも炎で身を焼かれるような肉体的な苦痛を伴うものではない。ここでは仏教における地獄のイメージ(たとえば炎熱地獄では、仏の教えと相容れない行いをしたものがその身を焼かれるという)が強く影響していると思われる。

18.波宇寸低茂(はうすちも)
...baptismo。ポルトガル語で「洗礼」という意味。

19.​因辺留濃(いんへるの)
...inferno。ポルトガル語で「地獄」という意味。

20.毘留善麻利耶(びるぜんまりあ)
...Virgen Maria。ポルトガル語で「処女マリア(聖母マリア)」という意味。

21.泥烏須(でうす)
...Deus。ラテン語で「神」という意味。




 それから先のことは、あらゆるこの種類の話のように、とても円満に終わっている。つまり、商人は首尾よく煙草という名を言い当て、悪魔との賭けに勝った。そしてその畑にはえている煙草を、ことごとく自分のものにした、というわけである。
 しかし、私は昔からこの伝説に、より深い意味がありはしないかと考えている。たしかに悪魔は、商人の肉体と霊魂を自分のものにすることができなかった。しかしその代わりに、煙草はあまねく日本全国に普及させることができた。してみるとこの伝説において商人が受けた恩恵が(つまり畑ひとつ分の煙草を手に入れたという事実が)、一面の堕落を伴っているように、悪魔の失敗もまた、一面の成功を伴っているのではないだろうか。悪魔はころんでもただでは起きない。誘惑に勝ったと思うときにも、人間は存外、負けていることがありはしないだろうか。
 それからついでに、悪魔のなり行きを、簡単に書いておこう。彼はフランシスコ司祭が帰ってくるのとともに、神聖なペンタグラマ²²の威力によって、とうとうその土地から追い払われてしまった。しかしその後も、やはり西洋人の姿をして、あちこちをさまよって歩いたらしい。ある記録によると、彼は、南蛮寺²³の建立後、京都にもしばしば出没したそうである。松永弾正²⁴を翻弄した例の果心居児²⁵という男は、この悪魔だという説もあるが、これはラフカディオ・ハーン先生が書いているから、ここにはご免をこうむることにしよう。それから豊臣徳川両氏のキリスト教弾圧にあって、初めのうちこそまだ姿を現していたが、とうとう最後には日本から姿を消してしまった。記録は大体ここまでしか悪魔の消息を語っていない。ただ、明治以降、再び渡来した彼の動静を知ることができないのは、かえすがえすも、遺憾である。

(大正五年一〇月二一日)


Ⅴ注

22.ペンタグラマ
...Pentagrama。☆型のこと。魔除けのまじないに使われる。

23.南蛮寺
...織田信長の許可によって天正四年(1576年)に京都に建てられたキリスト教会堂。

24.松永弾正(まつながだんじょう)
...松永久秀。はじめは三好長慶に仕え、その死後は長慶の子の義興を毒殺、後には足利将軍義輝を自殺させ、信長にくだったが、天正五年に殺された。

25.果心居児(かしんこじ)
...別名、因果居児(いんがこじ)。茶道の名人で、風雅の道に優れていた。織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、松永久秀らの前で幻術を披露したといわれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?