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【短編小説】座礁の春 1

 これは私、千駄木メイが2021年の3月に東海村を訪れたときに記録として書いた文章です。転載元はhttps://sweetbuggydays.weebly.com/home/311-312 。当時、私がこつこつ書いていたブログ記事の再掲です。

 このときはまだ外出制限の真っただ中で、世間もずいぶんと混乱していた。今では当時の記憶もだいぶ薄れてしまったけれど、この文章を読み返すと、不思議とあの頃のぴりぴりした空気感を身近に感じられる——。
 私たちが経験した、あの躁静たる日々の奇妙な出来事の一つひとつに、「思い出」のラベルを貼って戸棚にしまい込むのはきっとまだ早すぎるだろう。でも、個人的記憶であれ集合的記憶であれ、その印象の鮮やかなうちに折に触れて手に取り、ふうと息をふきかけて歳月の埃を払ってやることは、とても重要ことなのではないかと私は思う。

☆☆☆

 3月半ばに休みを取って、茨城県の東海村に行ってきた。

 観光というほど大げさなものじゃない。早朝の電車に乗って茨城まで行き、水戸の市街地と東海村の海岸周辺を一日かけて歩いてまわった。夜は友人と食事をしたあと近くのホテルに泊まって、翌日の夕方には東京へ帰ってきた。あんこう鍋も食べてないし、偕楽園の梅も、海浜公園のスイセンも見ていない。ちょっとした遠出くらいの気楽な旅行だ。

 それでも、1日分の着替えとアメニティを詰めたリュックサックを背負い、知らない通りを歩く感覚がとても懐かしかった。もちろんマスクと手指の消毒は欠かせないけど、それさえ守れば通行人や店の人に嫌な顔をされることはない。十分な対策と配慮さえできていれば、これくらいの非日常を楽しむ余裕が出てきたということなのだろう。私としては、これでやっと一息つけた気がする。「新しい日常」の中にだって、やっぱり小さな非日常は不可欠だ。

 目的地を東海村にしたことに大した理由はない。昨年の9月に結婚した友人を訪ねることと、最近中古で買ったフィルムカメラで海を撮ることがひとまずの目的だ。それだってまあ、後づけの理由みたいなものだし。
 その土地について私が知っていることといえば、原子力関連施設の集積地として発展してきた海沿いの街で、近くにネモフィラで有名な国営の海浜公園があるということくらいだ。その海浜公園には幼いころに家族で一度だけ訪れたことがあるが、そこで何をしたのかも、どんなものを見たかも思い出せない。覚えているのは、敷地内にあるテント小屋のような施設の中で、長テーブルにみんなで腰を下ろしてヘッドフォンをかぶり、立体音響のアトラクションを体験したことだけ。妹が泣き出し、父親に連れられて外に出て行った後も私は部屋に残り、マッドサイエンティストが患者を追い回す趣味の悪いサウンドホラーを最後まで聴き続けた。妙に冷ややかな暗い部屋の中、縞鋼板の床を革靴で踏み鳴らす「カンカンカン」という鋭い足音が響きわたっていた。頭のおかしな外科医は私のすぐ後ろを足早に通り過ぎながら、神経質そうな苛立った声で「まったく、もう」と小さく呟いた。そういうことは妙にはっきりと覚えている。ある種の恐怖は網膜を介さずとも、想像によってより純粋なイメージとして脳裏に焼きつくものなのかもしれない。

宮下銀座ノスタルジア

 常磐線の特急に乗って水戸駅に着いたのが午前9時過ぎ。東海村を観光するにしても時間を持て余しそうだったので、ひとまず水戸駅周辺の宮町というエリアを歩いてみることにした。
 その日の夜に友人から聞いた話によれば、宮町は周辺の小中学生にとって憧れの街だったそうだ。友人(とりあえずここではK君と呼ぶことにします)が通っていた東海村の中学校には、「宮下銀座(宮町の商店街)に子供たちで行けるにようになってやっと一人前」みたいな風潮があったらしい。K君の場合は、2009年公開の映画『アバター』をどうしても3Dで観たくて、数人の仲間と、鉄道オタクの同級生を誘って行ったのが初めてだったという。残念ながら空席が人数分なくて映画はあきらめるしかなく、駅前で鉄道模型の展示会だけ見学して帰ってきたらしいけど。
 素敵な話だ。少年たちが期待に頬を上気させながら時刻表を睨む姿や、肩を落として宮町の路地を歩く様子が目に浮かぶ。そういう一種の通過儀礼のようなエピソードって、だれしも必ず一つくらいは持っているものなんですね。

 古着屋とアメカジショップを何軒か覗いた後、店舗の2階に張り出された巨大なユニオンジャックに興味を惹かれたという単純な理由で、宮下銀座の商店街にある小さな洋服屋に入った。まるで白熱灯に吸い寄せられる無学な夜の羽虫みたいに。
 この店の主人がかなりお喋り好きな人で、60年代イギリスのユースカルチャーやジーンズの歴史、クリムトの絵画の解釈について延々1時間近く話を聞かされることになった。その間もひっきりなしに服を勧められて、マネキンみたいに着替えさせられるものだから、最後はなし崩し的に結構な額の買い物をしてしまった。701モデルのジーンズとモックネックのカットソー、そして友人へのプレゼント用のネクタイ。合わせておよそ6万円。なかなかの出費だ。まあもともと春服が欲しかったし、誰かの熱いオタク話を聞くのも嫌いじゃないから、別にいいんだけどさ。

 せっかくここまで来たのだから、昼食くらいは美味しいものを食べようということで、弘道館の近くにある喫茶店でビーフシチューとトーストのセットを注文した。那珂川沿いの地味な立地にあったけど(すみません)、入ってみたらとても素敵なお店だった。キッチンには50歳くらいの笑顔がチャーミングな奥さんがいて、料理をしながらいろんな話をしてくれた。話を聞くと、思った通り私の母親とほとんど同い年で、私くらいの年齢の娘が二人いることがわかった。
 店内のBGMは、チェッカーズやWinkや松田聖子といった80年代のアイドルソングばかりだった。私の母がマツダの赤いキャロルに乗っていた頃、カーステレオで毎日掛かっていた音楽だ。私はその真っ赤な半円形の車とカセットテープで聴く音楽を気に入っていた。だから母が車を買い替え、半円形のキャロルが四角いワゴンRになったときには、ずいぶん寂しい気持ちになったものだった。まあそれもほんの少しの期間のことで、ボタン開閉式の窓やCDオーディオの目新しさのおかげで、すぐに赤いキャロルのことなんて忘れてしまったのだけれど。そんな思い出を奥さんに話すと、穏やかな笑顔を浮かべたまましばらく遠い目をしていた。カセットテープがCDやサブスクに取って代わり、車内で掛かる音楽が80年代の歌謡曲から嵐や藤井風になっても、ずっと変わらないものがある。記憶はその一つだ。
 ホールの隅にはレコードプレーヤーも置いてあったが、こちらはトーンアームが壊れていて今は使えないということだった。店には私の他にお客さんがいなかったので、食事が出てくるのを待つ少しのあいだカウンター席を離れて、無造作に積まれたひと抱えのLP盤を見せてもらった。そこには80年代の歌謡曲に交じって、けっこう本格的なジャズ盤のコレクションもあった。ルイ・アームストロング、ソニー・ロリンズ、アート・ペッパー、ウェス・モンゴメリ、ウィルバー・ハーデン、そしてファッツ・ドミノ。どれも明るく前向きな音楽ばかりだ。そこにはビル・エヴァンス的メランコリーも、チェット・ベイカー的自己陶酔もない。一見ミーハーなように見えて(すみません)、しっかりと自分の耳を持っている。これにはちょっと驚いた。
 それらのLPは、常連さんにターンテーブルを貰ったことがきっかけで集めるようになったのだという。はじめのうちは青春時代の音楽をLPで聴いて懐かしむだけで満足していたのだが、「せっかく近くに中古レコードショップが沢山あるんだから」という理由で、あまり詳しくない昔の音楽も買い集めるようになったそうだ。たしかに宮町はLP収集を趣味にするにはうってつけの町だ。精神的な若さと歴史への敬意が同居している。そういう町って、考えてみるとなかなか珍しいかもしれない。

東海村を歩く

 K君の住む東海村は、水戸から常磐線に乗って20分ほどのところにある。国内随一の原子力関連施設の集積地ということもあって、東海駅は特急の停車駅になっているし、村の東西を跨ぐように国道6号と245号が通っているので交通量も多い。人口は3万7千人。その特異な成り立ちと産業形態から、平成の大合併の後も村として存続しつづけている。

 電車の中で東海村の観光地を調べてみると、海岸の近くに有名な神社があることがわかったので、行ってみることにした。昼過ぎに東海駅に着き、外に出るともう日が高く上っていた。風はほとんどない。原研通りの銀杏並木が歩道にくっきりと黒い影を投げかけている。気温は20度を超えていて、大きなリュックサックを背負って歩いているとそれだけで汗がふき出してきた。私は羽織っていた厚手のナイロンシャツを脱ぎ、Tシャツ一枚になって海岸に向かった。まだ三月だからと油断して、帽子と日焼け止めを忘れたことをすぐに後悔した。
 しかしそれでも、ひさしぶりに「遠くまで来た」という感覚があって嬉しかった。途中で何度か道を間違えて、まっすぐ続く畦道を蛙の大合唱を聴きながら引き返したり、林の中に突然現れた古墳時代の横穴群に感心したりしていると、知らない土地で道に迷うことの愉悦が押し寄せてくるようだった。

 神社にお参りを済ませ、さあ海を撮ろうと海岸を目指したが、Google Mapに示されたどの道も、原研の高いフェンスと松林に塞がれていてなかなか浜辺に辿りつくことができなかった。潮の匂いはするし、埠頭のクレーンの先端もあんなにはっきり見えているのに。なんだかカフカの『城』みたいだ。
 しかしもちろん、海岸に繋がる道はあった。そこは作家の無意識を映す架空の街ではなく、Google Mapにピンが立つ現実の観光地なのだ。ほどなくして境内の裏手に「村松海岸▸」と書かれた控えめな看板が立っているのを見つけた。橅と松の混交林にひっそりと続く細い石畳はあるところで砂にのまれ、少し開けた視界の両脇を砂防の松林が黒く縁取るようになる。

 起伏のある1キロほどの砂丘を、靴の中を砂まみれにしながら歩いていく。太陽は中天を過ぎてなお私の肌をしらじらと焼き、道の両脇のフェンスに沿うように植えられた黒松は風に揺れることもなく砂丘に黒い影を落としていた。海岸へ続くこの道の両側はやはり原子力関連施設の敷地になっていて、有刺鉄線のついたフェンスによって隔てられている。向こう側にはいくらかの緩衝地帯が設けられ、防犯センサーのついた黒いポールが未来の墓標のように無言で立ち並んでいた。

座礁の宵

 錆びた金網の扉をそっと手で押し開けて、海岸に出た。
 周囲を物々しいフェンスに囲われた200メートルほどの砂浜に、太平洋の荒い波が繰り返し打ち寄せている。数日前に降った大雨のせいか、浜辺にはところどころ木片やブイやペットボトルなどの漂着物が堆積した小さな塚ができていた。私はそれらの残骸に足をとられないよう注意しながら砂の丘を登り、椎の灌木に腰を下ろした。

 巨大な冷却塔の先端から立ち上る蒸気が穏やかな風に靡いて空に消えていく様子や、広大な外洋に点景のように浮かぶいくつかの漁船をあてもなく眺めていると、不思議といろんなことが上手くいきそうな気がしてくる。いろんな物事がしかるべき場所に落ち着き、全てのわだかまりに適正な言葉を見つけられそうな気分になる。…そうなったら本当にいいんだけど。

 波打ち際を歩いていると、彎曲した海岸線に沿うように足跡が10メートルほど続いているのが見えた。その先には大きなキャンバスの据えられた木製のイーゼルが立っていた。砂の上の足跡の残り方からして、ほんの少し前までこの場所に誰かがいたことは間違いない。
 私はとっさに周囲を見渡した。しかし人影はない。しばらくのあいだ意識を集中してその場に立っていると、断続的に響き渡る波音の合間に音楽が聴こえてきた。
 ビートルズの「Strawberry Fields Forever」だった。

目を閉じていれば 生きていくのは簡単さ
見えているから誤解するんだ
何者かになるのは難しいけど
うまくやれるさ
僕には関わりのないことだけどね

案内するよ
ストロベリー・フィールズに行くところなんだ
現実離れしていて
気になるものも無い
ストロベリー・フィールズよ永遠に…

"Strawberry Fields Forever"(The Beatles,1967)

 私はめまいを感じてその場にしゃがみ込んだ。急速に現実が遠のいていく気がした。コンプの効いたシンセサイザーの音色に合わせて心臓が強く脈打っていた。

 しかし次に流れたのは「Penny Lane」ではなく、YUIが歌う「feel my soul」だった。それで私はいくらか平静を取り戻した。なんといってもYUIは私が子供の頃から大好きな歌手だった。浜辺でサイケデリック期のビートルズを流すような人とは関わり合いたくないが、YUIも聴くとなればまだ多少は話が通じそうではある。大方音楽を聴きながら浜辺で絵を描いていた誰かが、何かの用事でその場を離れているのだろう。イーゼルの方へ目を凝らすと、キャンバスを固定する金具の縁に、ロジクールのポータブルスピーカーがぶら下がっているのが見えた。
 私は額の汗をぬぐって立ち上がり、キャンバスの近くまで歩いて行った。この頃には落ち着きを取り戻すのと同時に、いったいそこにどんな絵が描かれているのか興味が湧いていた。

 デッサン用の鉛筆で黒々と描かれた夜の海岸に、一頭の巨大な鯨が打ち上げられている。鯨の濡れた体表が月明かりを艶やかに反射する。波打ち際の彎曲ぐあいからして、この海岸を描いた絵であることは間違いないが、そこには原子力研究施設もフェンスも、防砂林の黒松さえ描かれていなかった。冷却塔があるはずの埋め立て地は隆起した岩礁になっていて、海に張り出した岬に古びた灯台が立っていた。決して大きくはない。絵の中では小指の爪ほどのサイズしかない。それが外洋に向けて投げかける光の筋によってかろうじて灯台とわかる。キャンバスの右下(つまり松林もフェンスもなく、砂浜だけが広がる空疎な余白)に小さく、「座礁の宵」と走り書きされていた。
 鯨には詳しくないが、その大きさと口吻の形状からザトウクジラの仲間であることはわかった。美しい生物だ。地上にあるとその巨躯の異質さがより際立って見える。彼は目を見開いて横たわり、片側の鰭をぴんと立ち上げて静かに死を待っている。浜辺に座礁して死んだ海獣はしばらくすると腐敗によって体内にガスが溜まり破裂すると聞いたことがあるが、彼の胸鰭の付け根が膨れているのにはまた違った理由があるように思えた。たとえば、そこから得体のしれない何かが生まれようとしているような——。

 視線を感じてふり向くと、背の高い男が私のすぐ後ろに立っていた。
 男は右手でキャンバスを指さし、左手を自分の胸にあてた。「この絵は・僕の」という風に大きく口を動かし、よれた白いポロシャツの胸ポケットから先の丸まった鉛筆と小さくなった消しゴムを取り出すと、手品でも始めるような手つきでわざとらしくそれを私の目の前にかざした。それから白い歯を見せて笑った。
 男は私の肩越しに手を伸ばして鉛筆と消しゴムをイーゼルの縁に置き、だぶだぶのカーゴパンツから不織布のマスクを出して着けた。

 「この絵、俺が描いてンだ」
 今度ははっきりと口に出してそう言った。

2に続く

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