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苦手な番組

 実家で暮らす僕は夕食時に両親が好きなテレビ番組を横目で観ながら静かに食事をする。

我が家の定番は『プレバト』だ。中でも芸能人たちが俳句を詠み名物先生が添削するコーナーが両親は好きなようである。

「日本語としておかしい。」「この言葉は書かなくても伝わるから必要ない。」

次々と赤ペンがいれられていく。それを観て「なるほどなぁ。」「さすが先生!」と父は感心している。

僕はあまりこの番組が好きではない。なぜ好きではないのか最初わからなかった。

ある時、中村哲さんの本を読んでいるとこんなことが書いてあった。

「アフガニスタンの識字率は10%未満。しかし読み書きのできないすぐれた詩人がたくさんいる。識字率が高いからといって文化が優れているわけではない。」

これだ!と思った。あの番組に感じる違和感はここにあると思う。

アフガニスタンでは詩会なるものがあり、身分や国籍を問わず集まった人が季節の花をテーマに即興で詩を詠むという。そこには読み書きのできない人もいるが共に詩を愛するというのだ。

詩とはこういうものなのだろう。

だとすれば詩に間違いなんてあるのだろうか。

どれだけ俳句のルールから外れようと、日本語として間違っていようと、そこに根差したいのちから詠まれた詩に間違いなどあろうはずがない。

「私は日本に生まれたから、この日本を愛しています。四季折々の変化に富む、この国の自然を愛しています。そこから生まれてきた民族の詩心を、こよなく美しいものと思います。」

僕の好きな詩人である坂村真民さんの語られたことだ。

僕は整えられた高尚な文化より、その地に根差した荒々しい魂の叫びのような文化こそ豊かだと思う。

そして詩は誰もが声をあげられる力あるものであって欲しいと願う。

と、詩を詠んだこともない僕が「詩とはなんぞや」と語ることほど滑稽で野暮なことはないなと恥ずかしくなってきたのでここらへんでやめときますね

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