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母子登校が無理ゲーに見える時

   分離不安で付き添い(多くは母子)登校している児童が増えている。私の知る学校にも複数名いる。

   子どもが家を出発できず親が学校へ連れてくる。これまで母親以外の付き添い登校はほぼ見たことがない。父親はすでに仕事に出発している。
 理由がわからない中登校しぶりが始まり次第に母子分離不安の様相を呈してくることが多い(大体は保育園や幼稚園でも母子分離不安で苦労した過去がある)。

 校門に担任が呼ばれるも、学校や学級の雰囲気を強くまとう担任へバトンタッチできるならそもそも不登校傾向になっていない。
 
 その後母親がどうしてもパスできない仕事や用事を控えている場合、本人・母親・教職員の3者合意の元で、子どもが母親を追いかけないよう教職員と手をつないだ上で母親に去ってもらうこともある。(これをすると次の時、家すら出てこれないことがある。)良くないが母親がもうこれ以上仕事が無理と追い詰められている状況では協力する。母親の社会人としての立場や人権もある。母親の言動次第で優先順位を変えるしかなく、正解が変わる。

 母子登校を別室や保健室で対応したケースで、登校しても他の児童の声やチャイムの音、学校の色々な刺激によって日に日に不安定になり、誰がいても母親がトイレに離れるのすらできなくなることがあった。
 何の苦行か過呼吸を起こしながら、校舎内の誰にも見えない場所(視線の刺激のない部屋や廊下は、空調機器自体がないので激暑か激寒で心身ともにやられる。学校の校舎は暑くて寒い。)に母子でポツンといる意味・・・となりそうな矢先、家では子どもから「死にたい」という言葉が出るようになり、学校としっかり離れた方が良いと提案した。学校の教職員が「学校に来ない方が良い」と言うのは、居心地の良い学校を準備してあげられてない虚しさがある。母親はそれでもまだ学校との接点を失いたくないようだった。
 雨の日も雪の日も母子で登校し我慢強い母親だと思っていたが、子どもとの戦いを人前でしたかったのかもしれない。人が変わってしまったような我が子と戦う大人の自分が孤独で辛く、正解がわからなくて、怖かったのかもしれない。

 そうして子どもは精神的に落ち着き、不登校になった。でも、病院でどんどん処方を増やし薬漬けになってまで校舎内で時間を過ごすことにそんなに意味があったとは思えない。
 落ち着いた後、学校以外の数少ない受け皿の中から合うものを探していくターンに入っていった。

 支援していて辛いのは落ちていくのを見守ることしかできないことだ。落ちてる(いわゆる急性期)最中の母子登校は誰にとっても無理ゲーに見える。痛々しいが、最終的に決行する権利は家を出発する母親の側にある。親自身も初めての経験をしながら山を越えている最中で、必死の形相で、親の心がその時耐えうるアドバイスしか響かず選び取らない。

 何年も不登校の子がいる保護者が学校へ寄った際「あの時はおかしかったです。」と穏やかな笑顔で会話ができる。
 女性ファッション誌LEEに「寄り添いという圧で息子を無理に学校に行かせてしまった。当時の自分にグーパンチしたいです。」(「学校に行かない君が教えてくれたこと」著者今じんこさんインタビュー LEE2023年10月号)とあった。

 しかしまた次の瞬間には「付き添いで別室とか他の子から見えない場所って用意してもらえるんですか?!」という必死の形相の新たな保護者と面談している。

 また無理ゲーが始まってしまうと思いながら、言うのは今ここじゃない空気がそこにある。振り出しに戻るような毎日だ。

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