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15回目:「気」を一旦忘れて

「気」よりもっと都合のいい言葉は、恐らくない。日本人も漢字の文化圏なので、多少この「気」の曖昧さがわかるだろう。呼吸するのは、「気」管。心理作用は「気分」。内蔵の感覚も「吐き気」。さらに「文系人」の漫画家は手のひらからビームを出すカメハメハまで「気」と呼んでいる。中国でも、古来から「気功」と呼ばれる超自然なものが信じられている。これらの存在は、すべて太極拳の「気」への理解の邪魔になっているのは、間違いない。

太極拳の古代の論述には、よく「行気」という言葉を使う。つまり「気」は一箇所に固定するものではなく、血液みたいな流れるものか、空気みたいな漂うものか、電流みたいな媒介により伝導されるもののようだ。どんなものであろうも、感じられるし、操作ができる。そして体の隅々まで行き届く。

近世の科学では、人間の体への研究はだいたい解剖学ベースで、骨格、筋肉、臓器、血管、神経などなどにパズルのかけらみたいに、パーツごとに分けて研究されている。しかし、そこに欠点がある。解剖は、死んだ人の体がベースだ。生きている人間の体がどうやって動いているのか、実はそこまで究明されてなかった。

2000年代から、従来の骨格と筋肉による運動理論には、新しい発見ができた。それは、「筋膜(Fascia)」というものだ。この「筋膜」こそが、「気」の正体ではないかと「理系人」の私はこの説が一番有力だと思う。

興味のある方は、この本<スポーツと運動の筋膜>を読むのがおすすめである。著者のThomas Myersなどは現在世界トップレベルの筋膜研究者である。

広義的な「筋膜」は、筋繊維を包む膜だけではなく、内蔵を包む膜、軟骨や腱などを含めて、ほぼ体全体を覆うものである。英語で言うと、Connected Tissueになる。これは表面を覆うだけではなく、骨につながる深い場所にある結合組織なども含まれる。ということで、「体の隅々まで行き届く」ことは間違いない。

この「筋膜」は、運動という意味では、従来の骨格と骨格筋を一つ一つ、どこが起点どこが終点を確認する方法ではなく、体全体の連動に注目している。この理論によると、筋膜の繋がりでいくつか全身のパーツを連動させるルートが構成される(myofascial line)。その連動は、人間の脳を経由せず、自動で行われている。一番わかりやすいサンプルは、人間が歩く時、自然に腕が足に合わせて揺れることだ。特に頭が考えなくても、足と反対側の腕が一緒に前に出る。これは、筋膜のルート(myofascial line)による連動で、「行気」というのは、たぶんこれに近いことである。しかし、この筋膜のルート上、どこかの筋肉が緊張すると、この連動がうまくできなくなる。例えば、歩く時わざと二の腕に力を入れると、自然に腕の揺れができなくなる。ルート上にある一部の筋肉が硬直状態になると、全体の繋がりが断ち切られるからだ。これは、「気が滞る」ことだろう。

今までの現代運動理論では、筋肉がパワーを生じ、人間の動きの動力になるとされていたが、「筋膜」理論の発見で、単独の筋肉よりは、筋膜の繋がり上すべての組織の共同作用がもっとパワフルな出力ができることがわかった。それは野球選手のピッチャーが時速160キロのボールを投げられるのは、決してボディビルダー並みの筋肉が発達しているわけではないことから証明できる。「筋肉」の収縮により生まれたパワーを使うのではなく、「筋膜」自体の張力(両端からひっぱる力)をうまく利用して生み出したパワーである。筋肉が年齢による衰えても「筋膜」は衰えない。そのため、太極拳のマスターが古希の年でもものすごいパワーがある理由だろう。「気」ではなく、「筋膜」をうまく使っているから。

「筋膜理論」こそ、現代人、理系人が太極拳の奥義を探る基礎である。


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