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   木曽御嶽山と奈良井宿

7月23日(日)
 木曽の御嶽山は霊峰である。昔の人は、木曽福島駅から歩いて2泊3日で登拝したというが、私たちにはとても無理。木曽福島駅からバスとロープウエイを乗り継いで、7合目からの登山である。
 バスから外の景色を見ていると、途中から道路の両側に、石碑が後から後から現れて、霊峰に来たのだと実感する。霊神碑総数2万というらしい。
また、バス道路の脇には、ときどき御獄古道が現れる。

 ロープウエイを降りて、1キロほどで行場山荘に出て、登山が始まる。
コマクサが咲いているかと思うが、見えない。
 1時間ほどして樹林帯を抜けると、岩がゴロゴロしてくる。2~3mの
大きなものもあるが、30cmくらいの岩がとても多い。赤茶けた色をしていて噴石だろう。持ってみると、大きさの割には案外軽い。
 霊神碑のある所では、頭の欠けた仏像があったり、石版が倒れたままに
してある。2014年に噴火があって9年経ったが、その傷跡はまだ生々しく残っている。



 山荘の中を登山道が通るという珍しい石室山荘で小休憩して、いよいよ
9合目。ここからの上りが一番きつい。
 二ノ池と剣ヶ峰の分岐に着いたのが午後4時30分になってしまったので、今日の剣ヶ峰登頂は諦めて二ノ池ヒュッテに向かう。
ヒュッテに向かう外輪山の一部は灰色の砂地で、こんなところに砂かと思ったが、火山灰だそうだ。

 泊り客は20人足らずだったため、随分ゆったりできた。
夜の星空が綺麗だそうで、午後8時30分頃、外に出てみる。寒い。
最初は真っ暗で何も見えないが目が慣れてくると、満天の星空だ。
北斗七星がくっきり見える。こちらの星座は何だ? さそり座らしい。
天の川も見えてくる。
 星を見ていると寒さを忘れる。だが、ずっと真上を見上げているため首が痛くなる。手で首を押さえて星を見ている。
 
7月24日(月)
 朝の4時半。ご来光を仰ぐ。ただ、雲の分厚い層が横切っていて、陽はわずかしか見えない。歩荷さんが、雲がピンクに染まることもあるというので期待したが、今日は残念だった。


 その時、大きな声でお経のようなものが聞こえてきた。行者が10数人、縦に並んで摩利支天の方に歩いていく。その先には雲海が広がっている。
ほら貝の音も聞こえてくる。
まるで映画のなかのような、霊山ならではの光景だ。 
 
 三ノ池を見るために、サイノ河原避難小屋まで行ってみる。三ノ池は
小さな池だが、雲海の上にある池である。ヒュッテのあたりでは、今朝、
雷鳥の親子が見られたそうだ。
 ヒュッテに戻り、荷物を背負って剣ヶ峰に向かう。約1時間で到着。
山頂にいると、雲が登ってくる。


 下山しているとき、ヘリコプターの音が聞こえてきた。上ってきた人に
聞くと、今日は、避難者の捜索をしているらしい。王滝口のシェルターが
完成して、ルートの規制が解除されるので、そのために捜索を再開したのだという。
 翌日の信濃毎日を見たら、何点か遺留品が発見されたそうだ。行方不明に
なった息子の登山靴を履いて捜索に参加した父親もいたという。
 実際、8合目の女人堂あたりから上は遮るものが何もない。ここに噴石が落ちてきたらひとたまりもないだろう。シェルターに逃げこんでも、シェルターの屋根を突き破った岩石もあったという。
 タイミングも最悪だった。紅葉を見るため一番混む時期で、しかも昼の弁当を山頂で食べようとしていた時間だったそうだ。
50人以上の人が命を落としたというが、何が霊峰を怒らせたのか。
 
 11時35分、ロープウエイに乗り、15分ほどで下の駅に着き、55分発のバスにぎりぎり間に合った。11時55分のバスの次は、15時10分発なのだ。
 木曽福島駅から奈良井駅に向かう。


 奈良井宿では、宿に荷物を預けて街中の散歩に出る。


 町家の作りの家が、木曽路の両側に延々と軒を連ねて、約1キロに及ぶと
いう。間口は3間の家が大半だが、7間の家も2軒あった。
 奥行は裏の山までという家もあり、私たちの旅館は20間だった。ただ、道の東側の家は、鉄道に敷地を取られて奥行が減ったという。


 漆器や木工品の店が一番多い。これは、宿場でも、旅籠を専業とするのではなく、櫛の生産などが主業であったことの名残りだろう。蕎麦屋やカフェは案外多くない。



 
 宿の玄関では、奥の方に運動靴が7~8足くらい並んでいる。
宿のご主人に部屋を案内してもらうと、奥の方に進んでいく。途中に6畳
ほどの居間があり、2人の女の子がいて、大きな方の子は背中を向けたが、小さな子の方は、こちらに挨拶した。
 この宿は1日2組しか泊めないところなのだが、ここの人たちの住居でもあるらしい。多感な女の子たちからすれば、顔を合わせたくないのも無理は
ない。
 私たちの部屋は、奥の8畳2間で、鉄道に面し、その先に奈良井川と道路があった。こんなに鉄道が近いと、夜うるさいかなと思ったが、そんなことはなかった。鉄道の本数が少ないので、それより、夜中もトラックがひっきりなしに走るのだった。



 夕飯の前、外に出ようとすると、大きな方の女の子と目があった。
「中学生?」
「はい、受験生なんです。でも、今はみんなが集まれなくて、タブレットで宿題してます。」
「それじゃ、つまんないね。でも、勉強、頑張ってね」
「はい」とにっこり笑った。
 本当は、物怖じしない、しっかりとした子なんだなと思った。
 
 奈良井宿は上町、中町、下町の3つに分かれている。鳥居峠に近い方が
上町で、はずれに鎮神社がある。江戸時代、疫病が流行ったため、それを
鎮めるために香取神宮の祭神を勧請したという。社は意外に簡素であるが、裏の社叢は相当に広いのかも知れない。
 町のあちこちに水場がある。生活用水でもあり、街道を行く旅人の喉を
潤しもしたのだろう。冷たくて、まろやかな美味しい水だった。
 
 夕食は、鯉の洗い、岩魚、ナスの煮浸し、など。山の中なので、米も野菜も売るほどは作れない。宿の食材も、近隣の農協等で買ってくるという。
 
 夜になって、外から、太鼓や笛の音が聞こえてくる。8月の例大祭に向けて、お囃子の稽古が始まったのだそうだ。元々は、若い男に限っていたのだが、昨今、そう言っておれなくなって、女性も出るようになった。我が家の上の娘も出ますと言う。
 稽古を見に行ってもいいかと聞くと、宿の前の道でやっているという。
外に出てみると、大人が子供たちに太鼓や鼓、そして笛を教えている。
女の子も後ろの方で笛を持っていたが、まずは隣のおじさんの笛を聞くところからという風情だ。
 
7月25日(火)
 朝の5時頃起き出すと、玄関の鍵はまだ締まったままだ。外に出ると、半袖のシャツではまだ肌寒い。歩いている人は、誰もいない。
 鎮神社の本殿は、もっと奥の方にあるのかなと思って行ってみたが、何もなくて引き返す。
 すると、何歩か先をセキレイのような鳥が道をツンツン飛び跳ねていく。近づくと、また飛び跳ねていく。これを繰り返す。遊んでいるのかな。
こっちを見ているような気もしてくる。腹の辺りが黄色なのでセキレイではない。キセキレイかな。そして曲がり道に来ると、脇に飛んで、私が通り
すぎる形になった。
「あれ、もう行かないの?」 束の間の相棒は、森の中に飛んで行った。


 公民館の駐車場でラジオ体操をやっている。この地では、ラジオ体操の
主役は、まだ小学生や子供である。
 
 今日は、櫛卸問屋の中村家を見に行く。当主がこの地を離れて、この家を移築しようとしたことがきっかけで町並み保存の機運が高まり、現在の奈良井宿に繋がっているのだという。

鳥居のある床の間


 中村家では、「猿に注意」「ハチに注意」の貼り紙がしてあったが、受付では蛇に注意と言われた。注意しろと言われても、ハチはまだいいが、町家のなかで猿や蛇に、どう注意すればいいんだろう。


 展示してある塗櫛は小ぶりで、形は驚くほど斬新で多様である。
これなら、色々と集めたいという気にもなるだろうと思う。漆は、裏の土蔵のなかで塗ったのだそうだ。
 
 宿を出る時にも女の子に会ったので、
「昨日はお囃子やってたね」
「昨日が初めてなんです」
 昔からのことを伝えていくって、かっこいいよと言いたかったけど、
爺さんが何言ってもしょうもないと言う気が勝って、
「勉強も、お囃子も、enjoy!」と言ったら笑っていた。

 霊峰と宿場町、多くの人の思いや生活に触れる旅になった。
 


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