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     視点をもつこと

        
 色々な会社や団体が、創立何周年とかで記念誌を発行しているが、これらは誰も読まないのが相場である。いや、書いた人間だけは読んでいるともいう。
 かくいう私自身、一つも読んだことがないのだが、何の因果か、以前、関係していた法人で、創立100周年の記念誌を担当するお鉢が回ってきてしまった。
 
 さて、どうするか、ただ、過去に60年誌、80年誌を出しているので、それらをベースにし、他の記録も参照しながらまとめれば何とかなるだろうと最初は簡単に考えていた。
 
 ところが、そうはいかなかった。実に、60年誌と80年誌が対照的なのである。60年誌は、法人創立者の思いや関東大震災、東京大空襲など大きな事件に法人が翻弄される様が大胆に書かれており、読み物として面白い。面白すぎて、書き手の思いが過剰かなと思うほどだ。
 
 逆に80年誌は、逐年の編年体で、その年にあったことが記述されているのだが、読み終わってみると、ほとんど記憶に残らない。
正確かも知れないが、読む者の記憶に残らない年誌って、ところで要るの? この装丁豪華すぎない?
 
 ただ、困っていても仕方がないので、二つの年誌を、ノートを取りながら
丁寧に読みこんでみた。
 そうすると、その時々の、法人の課題と、時の経営者がその課題にどのように取り組んできたのかという姿が、おぼろげながら見えてきたのである。
 
いつも資金繰りに窮していた時代
財政基盤を強固にしようと顧客の拡大に奔走した時代
結果的に手を広げすぎて、本来業務とのバランスを失い、慌てた時代
本来業務の拡充によりバランスを回復し、発展の道筋を見出した時代
そして、それらの課題にほぼ決着をつけたのが、現在なのである。
 
 してみると、80年誌の記述はとても惜しい。
読む者に語りかけるべき事柄が、書いてないわけではないのである。
それなのに、中身がさっぱり伝わらないし、つまらない。
 
 要は、書き手の整理の仕方なのだろう。
書き手が、もう少し明確な視点をもって、その視点に沿った記述をすれば、読み手に訴えることができただろうに。
 
 年誌の編纂とは何だろう。
それは、現在に至るまでの先人の苦闘を辿り、そのうえで先人の思いを継承し、新たな時代や環境と切り結ぶ決意を示すものではないか。
目の前の課題と格闘している人間が、そういう視点で振り返って見れば、
このように見えてくるというのが歴史であるし、
未来への指針が見えて来るだろう。

そのような記述に、訴えるものがないことはあり得ないと思うのだが、
矢張り、誰にも読まれないまま書棚に積まれてしまうのだろうね。
       


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