自分の支配を越えられるか

私がこの何年間か、日本人が乗り越えられるのか疑問に思っていたことのひとつに、インターネットの進化による視覚的コンプレックスの支配、がありました。

インターネットや美容整形が身近になるほど、伝統のある宗教への信仰や親しみが薄い現代日本人にとって「いかに視覚的に優れて見えるか」が、そのまま生きる意味や価値観に置き換わってしまったのを感じていたからです。

静止画が美しく見えることや目先の快楽を得ることが人間にとっての幸せであって、他のことはどうでもいいという日本人が増えた結果がこのすさんだ国をつくったとしか思えず、もうどうにもならないところまで来ている気がしたところで、ようやくコロナ禍が明けました。

人間には、自分のすべきことや経歴を突き詰めることが生きることだと考える人と、見た目がすべてだと思う人の二種類いて、職業でそうなるほかに、後者でいることが幸せなはずはないのでないかと、私は思います。なぜなら日本人は強烈な白人コンプレックスを持っていて、それは敗戦国であることもあいまって、なかなか覆せる価値観ではないのではないでしょうか。

もちろん世の中には、美しくいることが社会に良い影響をもたらす職業の人もいます。しかしなぜそれが職業になりえるのかといえば、他の職業と同じように他者よりも上であるからであって、当然ながら一般人の多くは他の人より美しいわけがないということです。

それで給与を得ているわけでもないのに、見た目を美しく見せることに大きな労力を使い幸せと思うということは、逆にそれ自体が自分への不幸になるための洗脳に近いように思えます。常に美醜で自分や他人を判断するという状態は、美しさを盾に社会に悪影響をもたらす人間までも肯定することになりかねないからです。

私がこうしてSNSに書き記すことも、給与が出るわけではないので、自分で書き綴りながら無意味なことだなと思うことがしょっちゅうあります。しかし、それを冷静に思える状態であることと、そう思いつつも私の記したことに良い評価をくれる存在は自分を救っていると思います。私と同じように素人の誰かが美しくあることも、この程度の無理のない範疇であればきっと問題はないはずですが、いわゆる趣味の範囲を超えた労力と時間を費やすことになったとき、悪い方向へ欲求が向かう可能性は高いと思います。自分の承認欲求と対峙し、それに勝つということは、現代日本人にとって必要な生きる技であるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?