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「一人でも暖房をつけるか問題」から見えた、ふたつの価値観。

最近は、平日の日中、家で一人で過ごすことが多い。
その上で気になっているのが、日中から、「一人でも暖房をつけてもいいのか」という問題だ。1人で使うのはもったいない。そう感じるのは当然と言えば当然だ。しかし、よくよく考えてみると、その場に何人いても、その時にかかる暖房費用は同じはず。それなのになぜか、1人で使うと、3人のときには感じない後ろめたさがある。私のように感じる人は、他にもいるだろうか。それがなぜなのかを、考えてみる。

まず、それがルームシェアか何かなら、暖房を使うほど、一人当たりの支払い料金が増える。だから、ある一人がやたらに使いすぎると、不平不満につながるかもしれない。その結果、一人の時は極力使わないようにしよう、という考えになるのが想像できる。

次に、家族の場合はどうだろうか。
まずは夫婦の財布が別々の場合だ。
一方が光熱費を負担している場合、もう一方が暖房をやたらに使っているのを見ると、支払い側は「おや?」となるのだろうか。すると、暖房をつけるタイミングなどを、支払い側が口を出す権利が生まれるのだろうか。どうなんでしょう。そこらへんは、やはり夫婦間でしっかり話し合うべき問題のように感じる。

そして、夫婦同じ財布の場合はどうだろう。うちがこのパターンだ。
私の収入はすべて貯金にまわし、夫の収入からすべての支払いをしている。
この場合、私だけが日中、暖房をつけているのって、どういう状況なのだろう。

例えば、部屋に人がいる。部屋の中はとても寒く、体が冷え切っている。
上記の環境は、部屋にいるのが1人でも3人でも、めちゃくちゃ寒いというのは変わりはないはずだ。
じゃあ、1人では暖房をつけてはだめで、3人ならつけてもよい、という理由は何だろう?寒いのに。
自分でもよく分からないし、人によりそうだなあと思う。

これに対して答えが出るかは分からないが、何か価値観が隠れている気がする。
なんとなく、一人で暖房をつけるほうは、贅沢をしすぎている感じがする。
3人の場合は、寒いからしょうがないよね、という感じがする。

そもそも暖房って何なのだろう?
私にとっては、部屋の中を暖かくするするための道具だ。部屋を暖かくするのは、人が「快適」に過ごすためだと思う。(極寒の地域では、命に関わる問題なので「快適」とか言ってる場合ではないでしょう。私の地域はそこまでではない。)
「快適」のための道具なら、「不快」になる寒さならつけてもいいのではないだろうか。そしてそこに、人数は関係ないのではないだろうか。

それから、暖房にかける費用に対する価値観も、多種多様であるだろう。
「暖房費用はいくらかかってもいい。少しでも寒いのはイヤだ。」という人もいるだろうし、「暖房費用は高いし、極力つけたくない。だから来客時だけつける」、なんて人もいるかもしれない。

これらを考えていると、私の価値観が見えてきた。
私は寒いのがすごく苦手で、今の時期、ごついマフラーなしでは外に出られない。部屋の中でも、すべてのやる気を奪われるほど冷えを感じるので、ついつい暖房をつけてしまう。
その反面、「私一人しかいないのに、暖房をつけてもいいのだろうか?」と後ろめたさも同時に感じている。なぜ?

そこで浮かんだことは、何にお金をかけるか?ということだ。
私は、明確にお金をかけたいと考えている分野がある。その一つは「食」だ。子供が生まれてからは、食の重要性を知り、できるだけ自然に近いものを、農薬や添加物の少ないものを、という基準で選ぶようになった。
ただ、これをするには、お金がかかる。そういったものは、割高だからだ。特段裕福でもないのに、そこに注力しすぎると破綻してしまうだろう。だから、「食」の中でもある程度、的を絞ってはいる。それでも、格安の食品中心に買うことを考えると、まあまあかかってしまう。

家計管理をする上で、「お金をかける分野」と「お金をかけない分野」を分けるのは重要だ。
頭ではわかっているが、いまいち分けづらい。分けづらい理由は、自分の価値観がよくわかていないことが大きいのだと思う。

寒いのは健康によくないし、何よりすべてのやる気を奪われる。だから暖房をつけるのは必須だ、と思っていたけれど。
暖房をつける理由が「寒くて動けない」なら、「暖かければなんでもよい」ということだ。
言い換えると、目的が「体を温めて動けるようにする」ことなら、暖房をつける以外にもいろいろ方法はあるではないか、ということに気づいた。なんという遠回り。
極寒の地域ではないので、がっつり厚着をすれば、ある程度カバーができる。私一人の時ぐらい、厚着で暖房費用が浮くなら、全然苦じゃないな、と思った。

ということで、暖房を一人で使うことに後ろめたさを感じていた理由は、
体を温める手段はいろいろあるにも関わらず、「なんとなく」で、暖房というお金のかかる手段を選んでいたから、のようだ。

・寒いのは苦手でも、暖かければ手段は問わない。
・「なんとなく」でお金を使いたくない。
そんな価値観に気づくことができた。なんと些細なことでしょう。さらに深く問うこともできそうだが、このへんで良しとする。

自分の価値観に気づくのに、いつも遠回りしてしまう。
こんなに考えて見つけたのは、こんなことだったのか、とは思うが、こんな些細なことも、自分を生きやすくしてくれるのだなあと思う。


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