ギバー

 昨日の記事で書いたテイカーと反対にいちするのがギバー。ギバーとは自分の利益を最優先するのではなく、相手に“与えることができる人”を指す。

 この言葉を聞いて思い出したエピソードがある。10年以上前のことだ。体調不良だったにも関わらず、久しぶりに高校時代の友だちと忘年会があるということで無理して天王寺まで会いに行った。酒を飲むことは体調が悪かったのでできなかったが、久しぶりの友との再開を喜んだ。
 
 帰り際、「大丈夫か?」「無理するなよ」と言われ、別れた後、駅のホームのベンチで座って電車を待つ。すると、隣に香水のにおいのきつい女性がきた。気分が悪い時に自分の嫌いなにおいをかぐことほど悪いものはない。一気に吐き気が込み上げてくる。そうこうしているうちに電車が来たので飛び乗ると、案の定我慢の限界がきた。一度は我慢してのみこんだが、また逆流して電車の中にもどしてしまった。
  
 「最悪だ」「降りることもできないし、たくさんの人に見られている」「恥ずかしすぎる」いろいろな思いが胸に込み上げてきた。こんな時、普通の人なら嫌がって別の車両に行くだろう。しかし、何人もの人が助けてくれた。「すみません、これ少し飲んでますがお茶で口をゆすいでください」「誰か、新聞を持ってる人はいませんか?」「良かったら座ってください」ひとりひとりの言葉があたたかくて、恥ずかしさではなく、嬉しさで泣いてしまった。

 あの時助けてくれた人は、名前すらわからないが、根っからのギバー気質だった。あんな人になれれば、幸せは回ってくるのだと、過去の経験を思い出しながら感じた。

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