人生の放浪者
ロバート・ハリスの「エグザエルス」を読んでいる。
10代の頃、ラジオオタクだった私はロバート・ハリスの番組を欠かさず聴いていた。
そして、その人の人生観でどんなもんだろうかと興味が湧き、本を買ったのを覚えてる。
当時の流行り「バックパッカー」に憧れていたし、働いていた場所にはほとんどが夢追い人がいた場所。
ミュージシャン、彫り師、演劇、デザイナー等の卵、海外で頑張って夢破れた人。
10代の私には刺激的な職場。
やりたい事をばーって喋って、やれよ!行けよ!って後押しもあり、音楽も初めて1人で海外にも行って、ドレッドにもして。
やりたい事やってたら、類は友を呼んだのかそういった部類の人が集まって、繋がって。
で、最初の話に戻る。
タイミングなのかな、人生の放浪者達から連絡があったり、連絡したりしていて。
半年前からうっすら和歌山に移住した「皆の兄貴」に会いたいなーって思っていたら、放浪者の1人が「会いたいなって思ってるんだ」と。
これはいい機会だから、コンタクト取ろうと。
連絡とる前にふとインスタの投稿を見てみたら、激アツ投稿していた。
抜粋して
いろいろな環境、状況、立場がある中で世界中で皆もがいてる。
詰まるところ、それが人生って言うことだと思う。人生に答えなんかない。
環境も状況も優先順位も天気のように常に変化するもの。
ただそれだけの事、それでいい。
そこにどうコミットしていくかは自分だけの中にしかない。他人に相談する事は時に大切だけど迷いに繋がる。
セオリーはあくまでもセオリー。
それを裏切って壊していく作業も必要。
その繰り返しが色んな場面でモノをいう。
支えてくれた人達のことや、大きな山を乗り越えた自分を思うとマジで泣けてくる。
でも、また山にぶち当たる。
乗り越えるしかないよな。
そして、泣けるっていいよな。
人生はほんまオモロい。
私はこの人がどんな人か、どんな事が過去にあったか、今何が起きてるのかを知っている。夜な夜な語らったりもした。
だから、めちゃくちゃぶっ刺さったんだと思う。
兄貴の奥さんに今度遊び行きたいよって連絡したら、秋くらいには色んな事が落ち着くからその頃皆できてーと。
翌日直ぐに兄貴からも連絡くれて、、、
最後に「ゴキゲンさんやで」と。
そう、私の名前「ごきげんさん」は兄貴がいつもいう「ゴキゲンさん」から付けた。
いつも「ゴキゲンさんやなー」「ゴキゲンさんでいこ」っていう。
で、また戻ると私もまた人生の放浪を楽しもうと思ったって話。
たぶん、このタイミングなんだと思う。
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