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第四章の振り返り

7月になり暑い日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?
さてBBSGでは7月から「第四章私たち不可知論者は」を読み、ディスカッションしながら進めています。この章は長いのでしばらくお付き合いください。



第四章は誰の為に、何の目的で書かれているか

まず中身に入る前にこの章の書かれた目的と、伝えたい対象者について考えてみます。

次章では私たちが理解するアルコホリズムについての説明があり、それから不可知論者に向けた一章がある。かつて不可知論者だった人で、現在は私たちのメンバーになっている人も多い。驚かされることは、こうした個人の信念が、全く霊的な体験をする障害になっていないことだ。

AA(2003) : 43

伝えたい対象者は不可知論であり、その不可知論者に開かれた心を持てるように手助けすることがこの章の書かれた目的だと書かれています。「ビッグブックの構造(書かれた順番とその意図)を理解するには何の為に、誰に向けてこの章は書かれているかを意識している事は大切ではないか」という指摘がミーティングの中でありました。

本物のアルコホーリクが対象のプログラム

第四章の冒頭の文章をみていきます。

ここまでの章を読み進めてきて、アルコホリズムのことがかなり理解していただけたと思う。アルコホーリクとアルコホーリクでない人間の違いもはっきりしたと思う。あなたが本気で酒をやめたいと思っているのに、きっぱりやめられないようなら、あるいは飲んでいて酒量がコントロールできないようなら、おそらくあなたはアルコホーリクだろう。だとしたら、あなたは霊的な体験をすることによってしか克服できない病気にかかっていることになる。

AA(2003) : 65

前回取り上げた狂気のはなしはあなたが本気で酒をやめたいと思っているのに、きっぱりやめられないようなら」に前々回取り上げたアレルギーのはなしはあるいは飲んでいて酒量がコントロールできないようなら」に対応します。医師の意見から第三章まで読み進めてきた人は、自分が本物のアルコホーリクであることを認めていること、つまりステップ1をすませていることが前提として書かれています。この章の対象者は、自分が本物のアルコホーリクであることを認めているが、だからといって神に助けてもらうという考えには抵抗感のある人となります。

不可知論とは何か

不可知論という言葉は聞きなれない言葉です。どんな意味なのでしょうか。
大辞林4には

ふかちろん[3]【不可知論】〔agnosticism〕
所与の感覚的経験以上の実在(究極的真理・神など)を人間は知ることができないとする立場。そうした実在を有りとした上での主張と、その有無すら知れぬとする主張とがある。

松村明(2019)  

神がいるか(またいないことについても)は人間には知ることはできないという立場といえます。私たちの考え方にひきつけると「いるのかどうかはわからないし、自分の人生には関係のないこと(少なくとも自分の人生には介入してほしくない)」という態度ともいえます。詳しくはこちらを参照してください。

自分由来の力では助からない事実

良い道徳や人生哲学があれば飲酒の問題が克服できるというのであれば、私たちはずっと昔に回復していたはずである。けれども、道徳や哲学にどんなに真剣に取り組んでも、助からなかった。…私たちに飲むのをやめるのに必要な力は与えられなかった。人間の意志の力ではどうにもならなかった。何の役にも立たなかったのである。

AA(2003) : 66

①自分由来の力(理性、努力、意志の力等)では飲むのをやめることはできなかったという事実から(ステップ1)②自分を超えた力を頼るしかないのではないかと問いかけてきます。(ステップ2)「スポンサーとしてステップワークをする時に必要なのは、スポンシーさんがこの二つの事実にいかに直面して受け入れられるよう手助けすることである」という指摘もありました。そのためには通りいっぺんの知識ではなく、相手との応答の中で考えていくことが大切だと考えます。

必要な力がないこと

必要な力がないこと、それが問題だった。私たちは生きていくための力を見つけ出さなければならなかった。それは自分を超えた偉大な力でなくてはならないことがはっきりしている。けれどもその力をどこに、どうやって見つけ出すのか。

AA(2003) : 66

自分ではアルコホリズムを解決することはできないと心から認めることができたら、藁にもすがる気持ちで自分より大きな力を見つけたい、という願望が出てきます。ステップ1とステップ2は紙の表と裏のようなもので片方だけ受け取ることはできないと言われる所以です。力の場所(どこに)は頁81に、見つけかた(どうやって)はステップ3以降に取り組む事を指します。
詳しくは、該当頁にきたところで取り上げます。

この本の主題(main object)

それこそがこの本の主題である。この本の目的は、あなたが自分の問題を解決するのに必要な、あなたを超えた偉大な力を見つける手助けをすることである。だから私たちは道徳的であるだけでなく、霊的だと信じる本を書いた。

AA(2003) : 66

翻訳に揺らぎがあるようで、原文の意を汲むとこうなるようです。

「この本の目的は、あなたがあなたを超えた偉大な力を見つけられるようにすることである。(その力を見つければ)その力があなたの問題を解決してくれるだろう。」      

心の家路 ビッグブックのスタディ(75)より引用

問題を解決してくれるのは力(神)であって、私たちがその力を身につけられるようにするプログラムではないことは忘れないようにしたいものです。

道徳とはなにか

道徳的であるだけでなく、霊的だと信じる本を書いた。とありますが道徳の意味について議論がありました。「ここでの道徳とは規範とは公衆でのマナーといった狭い意味ではなく、人間の側の営み、精神を指しているのではないか」という意見がありました。この後に取り組む棚卸しや埋め合わせも、人間の側の精神や対人関係に働きかけます。それと同時に、神の側である霊的な領域にもアプローチしていくプログラムという意味です。「いい人や立派な人になるためのプログラムではなく、神に導かれるためのプログラム」という言葉の意味の理解が深まった気がします。

ミーティングでの議論を元に作図

霊的ということが自分にとってどんな意味を持っているか

霊的なものに抵抗感があるならば、今自分が持っている神の概念はどんなものかを話し合ってみる。それによって否定したい神の概念がわかるという話がありました。では、否定したい神の概念とはどんなものでしょうか。大体は裁く神、罰を与える神、見捨てる神という否定的な神の概念があるのではないでしょうか。今、否定したい神概念の反対のものを持つことができれば、信じようという意欲が持てるようになります。ビッグブックではおおらかで寛容な神の概念を提示しています。

私たちはもっと歩みを進める必要があったが、神は求める者にむずかしすぎる条件を出さないことを、私たちは知った。私たちにとって魂の世界というのは、どこまでも広がり、何もかもを包みこむものだ。まじめに求める人間を決してのけ者にしない。誰に対しても魂の世界は大きく開かれているのだと私たちは信じている。
私たちが神の事を話すときには、だからあなたがあなたなりに理解している神を指している。またこの本のなかに出てくる霊的な表現についても同じである。あなたはまず、霊的という言葉について前から持っている考えを捨ててほしい。それは霊的ということが自分にとってどんな意味を持っているかを正直に自分に問いかける邪魔になるからだ。

AA(2003) : 68

霊的ということが自分にとってどんな意味を持つのかを自分に問いかける為には、前から持っていた否定的な神の概念を捨てること、神が自分の人生に介入してくることを受け入れること、そしてそれは飲んだくれの人生よりいいものであることを信じることが必要なのではないでしょうか。

次回も引き続き第四章を取り上げます。

参考文献

AA(2003) 『アルコホーリクス・アノニマス』AA日本出版局訳 ,AA日本ゼネラルサービスオフィス
松村明(2019) 『大辞林4.0』三省堂編修所,物書堂