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白詰草と蒼白鳥

 毎年、春になると一斉に白詰草が咲きだす池がある。緑の森奥深くにその池はあった。これは、その白詰草の池と、俺の妹の身に起きた逸話。

「袴なんて珍しいわね」
「そう、かな…」
 わたしは、不思議そうに首を傾げ、両手でポンポンと袴を叩く少年をじっと見ていた。
 わたし達の足元には一面の白詰草が咲いていて、都会暮らしのわたしには、とても身体が澄み渡るような、浄化されるような新鮮な気持ちだった。祖母の家に遊びに来て、すぐそばの広い森に迷い込んでしまったそこで出逢った、袴姿の少年。なんだか時代錯誤な服装に最初は戸惑ったけど、話していくうちに彼の身の上に同情していった。
 両親の仲がうまくいかず、両親の離婚と共に姉と離れ離れになってしまった。姉とはとても仲がよく、いつもこの白詰草の池の畔で、花冠を編んだり、つめたい池の水面に両足を浸してみたり。
「姉さんはとても器用で、いくつもの花冠を作ったんだよ。大きいのや小さいの」
そう、自慢気に語るこの少年の名前をまだ知らない。
「わたしは雛。あなたのお名前は?」
「…蒼白鳥《そうじろう》。ちょっと変わった名前だけど、姉さんがとても気に入ってくれて…だから僕もこの名前が好き」
「…そう…なんだ」
 それからわたし達は何気ないとりとめのないお喋りをして、気がつけば白詰草の池の水面が橙に変わっていた。
「わたし…そろそろ帰らないと。お兄ちゃんに叱られちゃう」
 慌てて立ち上がったせいか、足元がよろける。身を挺して蒼白鳥さんが身体を支えてくれるが、同時にこんな事を耳元で囁かれた。
「どうして帰ってしまうの?折角戻ってくれたのに」
 ザザザーーっと風が吹く。
「やっと戻ってくれた姉さん。もう、帰れないよ。ここで、ずっと一緒に居るんだよ」
 わたしは、ガバっと蒼白鳥さんから離れると、大きく首を振る。
「違う…わたしは雛。先程自己紹介したでしょう」
「うん。だから雛姉さん」
 蒼白鳥は、幼い顔でにこにこ笑う。 
「今度こそ一緒だよ」
 わたしは急に目眩を感じ、その場に崩れ落ちた。
「…白詰草が良く似合っているね」
 蒼白鳥さんは、気絶したわたしの身体を抱きあげ、クツクツ笑うと、大きな歩幅で歩き出し白詰草の池に向かい、ためらうことなく履いているわらじを水面に浸け、ずんずんと歩き進んでいく。 
 
 背の高い針葉樹に囲まれ、夕陽が暮れなずむ白詰草の池に驟雨が降り注ぎ、やがて水面が凪ぐとそこにふたりの姿はなかった。

 以上が、俺の妹、雛の一抹の噂話として語られている逸話だ。蒼白鳥は、昭和の大戦で家族…とりわけ慕っていた姉と離れ離れになり、あの白詰草の池で水死したという。

『夢紡ぎ〜逢魔ヶ時の夢雫〜』より、一部抜粋による再編集

 


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