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ふわふわ #7

〜それは初めて恋を知った少女の、幸と不幸そして癒やしと再生の物語〜


 カランカランっとベルが鳴る。カツンとローファーの踵の音を立てた依月先生に抱えらて入った喫茶店は、老舗の純喫茶店で、あたしが普段利用しているスタバとかとは大違いだった。スタバを悪く言うわけではないが、老舗ならではの格調高い優雅で品のある空間、狭くもなく広くもなく、挽き立ての珈琲の香りが微かに鼻をくすぐる。右側の会計の陰に隠れるようにして置かれた蓄音機が小さなヴォリュームで女性の声のシャンソンを流している。そして、この店の顔とも言ってもおかしくない、光沢のある黒の花柄モチーフの手摺に、ゆるやかな曲線のグレージュの螺旋階段。まるで、ヨーロッパの宮殿にでも紛れ込んでしまったような不思議な感覚。
「いらっしゃいませ、依月さま。ご予約を賜っておりますので、どうぞお好きなお席へ…と、こちらのお嬢様は?」
 背が高く中背中肉で黒のスーツを着て、胸元に支配人・神崎と書かれたネームプレートが飾られている。一昔で言えば、貴族の館の従者的な役どころの、50代くらいの上品な男性が、依月先生に抱えられているあたしを見て、訊く。
「俺の大切なお嬢様。とても繊細だから、ワレモノを扱うかのように接してね。名前は、美しい羽を纏ったまとった僕の天使マイスィートと書いて美羽。解った?」
 ま…また依月先生。人のことでからかう。マイスィート…なんて、依月先生には大学にそれこそ沢山いるでしょうに。…そう…たくさんいるんだ…きっと…。
「承知いたしました。で、依月様、何故お嬢様はあなたに抱えられて?お見受けしたところ…お嬢様が歩くのに何か不都合があるのではないかと推測いたしますが…」
 パチンッ
 依月先生が指を鳴らす。
「流石、神崎。細かい部分まで見逃さないね。理由は俺なんだけど、まあ後で話すからさ。神崎、席案内してよ」
 神崎さんはかしこまりました、と告げ螺旋階段をゆっくりと登り、二階席のテラス側の席にあたし達を誘導してくれると、依月先生は、ブラックコーヒー、あたしは桃のフロートを注文してくれた。神崎さんは、一礼して下がっていく。
「勝手に選んじゃったけど、桃は好き?」
そう言って、顔&声色は天使、心はクズの依月先生があたしに微笑む。
「大好物です!」
 あたしがはしゃいで答えると、依月先生は、ホッと安心したような表情を浮かべ、
「どう?月兎耳つきとじ、気に入ってくれたかな?」
「は…はい!すごく素敵な喫茶店です。このような場所が宮坂にあったなんて…今度友達を誘って来たいくらいですっ!あ…あの、あたしうるさいですか?なんか…ひとりで舞い上がっちゃって…」
 急激にテンションが下がり、ため息を吐きながら、いつもの癖で額に掌を当てると、ズギッと痛みが走った。         そうだあたし額にも怪我してたんだっけ。
「…傷、痛む?」
 その時、依月先生が、細くて長い腕を伸ばし、あたしの前髪を掻き分け、大きな手のひらであたしの額を包み込む。やや首を傾け、愁いだ表情の依月先生は、なぜか儚く美しく、おまけに低音色気ボイスが加わり…正直見惚れてしまった。
「俺が駅の階段で変な事ばっか言うからさ、美羽は動揺しちゃったんだよね…」
「そっ、そんなこと無っ…」
「俺さ本当クズだからさ…特に可愛い女の子達にわね。出会って気に入っちゃったら3分で落とす自信あるし…。まあとにかく、確認しておきたいんだ。俺みたいなのがカテキョでいいの?」
 依月先生の深刻な言葉に、あたしは依月先生の腕をギュッと掴み、
「…依月先生じゃなきゃイヤです。だって…だって…駅で誹謗中傷から護ってくれたし、それに…ほ…本当のクズなら、そういうことしません。先生は…きちんとあたしのこと考えてくれて…あたしの為にこんな素敵な純喫茶も予約してくれていたし…?…依月先生、これなんですか?」
 それは、依月先生の右腕にもあたしと同じ絆創膏が貼られていたから。
「そ…そういえば、依月先生はいつも絆創膏を持ち歩いているんですか?それとも…たまたま偶然に?」
そうだ。男の人が絆創膏を持ち歩くなんて…なんだか以外。あたしの偏見?でも、パパも、会社の出勤時に持っていくこと無いし…。あたしが首を傾げると、依月先生は、自分の腕にピタッと貼られた絆創膏を見つめ、言う。
「献血だよ」
  献…血…?
「時々やるんだ。自分や自分の大切な人たちに、なにか起きたときに助けになるかなって…予防みたいな感覚で。絆創膏は景品で、一箱くれるって言われたけど、俺荷物は最小限派だし、第一箱をしまうバッグも今日は持ってないし。だから、数枚もらって、また次回ね〜みたいな。でもまさかこんなに早く必要になるとわね…ちょっと驚きってか」
 そう言って、依月先生は苦笑して、左の人差し指で、絆創膏をツンツンと突っつく。
依月先生の、大切な人たち…その中に…あたしは入っているのだろうか。
 い、いけない。不謹慎だ、あたし。依月先生のプライベートに踏み込もうとしている。
「依月先生…すごいなあ。あたしも街の角で献血のプレート掲げて声掛けしている人いるし。そっかぁ、献血かぁ」
 テーブルに腕を組み顔を乗せながら、うっとりと呟く。
「あ。でも美羽はまだ献血可能な年齢じゃないから、残念だけど今は無理」
 えーーー。何それ子供だから…成人していないからとかかな…。あたし、一応健康体だし、本人が望めば可能じゃないの?
「じ、じゃあ。あたしは何歳になったら献血できるんですか?」
 あたしはテーブルに身を乗り出して訊く。
「って、美羽、献血したいの?そんな霞しか食べていなさそうな細っこい体で?美羽はもっと食べて運動して、胸を大きくしなきゃ。知ってる?胸も脂肪の一部なんだよ。だから、余計なお肉はつけないで、胸にお肉をつけるの。分かる?」
 な、なんか話の内容が献血からあたしのお胸の成長話にすり替わっているんですけど。
「んー。俺は17才の時から始められたけど、女の子は…18才からじゃなかったかな。ちょっと記憶が曖昧だから、絶対とは言い切れないけどね」
 あ…そうなると…あたしはあと4年も待たないとできないんだ。大切な人たちに万が一のことが起きて…あたしには治せる技術も知恵もないけど、あたしの血液が役立つなら、役になりたい…そう思ったのに。
「美羽。どーしたの、ボーッとしてさ」
 依月先生は、口元に笑みを浮かべて、華奢な右手の人差し指の先端で、くいっとあたしの顔を引き寄せ、顔を近づけると、
「美羽になにかあったときは…俺が助けるよ。ね?「僕の天使さん」マイスィートエンジェル
「だからどうしてそういう女の子がドキドキしてしまうことを平気で言うんですか?少しも…そんなこと思ってないせいに…あたしはカップヌードルじゃありません!3分で落ちるなんて…」
「そうかな…もうとっくに落ちていると思ってたんだけど」
 拳を顎に当てて、くくくっと笑う依月先生に無性に腹が立った。
「…依月先生のことは好きですよ。ダメ男だけど…格好良いと思う部分もあるし。でも、自信過剰なところは…大嫌い!」
 依月先生はちょっと眸を見開き、驚いたようで、でもそれはあたしの発言でなく、月兎耳つきとじの、静かな空間に響いたあたしの叫びだった。だから、その証拠に依月先生は、口元に人差し指を立て、しーっと言う。羞恥心でいっぱいになってしまったあたしは、テーブルにひれ伏せ逃げに走った。

……
………
10分経過したが、苦情も何もこないので、大丈夫かなーと、店内を見回す。店内は全席禁煙になっているので、タバコを吸っている人はいない。お客さんは、若者よりもむしろ、すこし落ち着いた年代の人が多い。依月先生ぐらいの大学生風の人がテーブルにモバイルノートパソコンを広げ、何かを真剣に打ち込んでいる。あたしのママくらいの二人組の女性客が、たっぷりとクリームが盛ったケーキを突っつきながら談笑している。1番目に留まったのは、奥の席の老夫婦で、とても仲睦まじく笑顔で向かい合いながら、鮮やかな鼈甲色の紅茶を飲んでいる。一階のお客様は以上。二階席は、まずあたしと依月先生のふたり、日差しが良い具合に注いでぬくもりを感じる。螺旋階段を挟んで、ちょうど真向かいの席では、ふくよかな体型の女性がアップルパイを幸せそうに食べている。うん。なんとか、他のお客さんにはご迷惑を掛けていなさそうだ。はーっ、良かった。
「美羽、お腹空かない?」
 依月先生が、俺はなんか食べたい、と言う。あたしは、まだ桃のフロートが残っているから、大丈夫です、と返事する。
「…んーん。うん。じゃあ俺テキトーに注文するから」
 そう言って、依月先生はテーブルに置かれた金色のベルを鳴らし、元の位置に置く。
「わあ、可愛い!このベルで神崎さんを呼ぶんですか?」
「…いや、神崎は月兎耳の支配人だから。他のスタッフが来ると思うよ。店で働く人間は皆絶対音感の持ち主だかで、ベルの音も微妙に違うから何処のテーブルからベルが鳴るのか分かるんだ」
「凄い!」
「うん。才能の域だね」
 あたしが、もう一度じっとベルを凝視していると、カランカランと音がした。だれか新しいお客さんかな、と何気なく2階席からすこし身を乗り出してお店の入口を見下ろすと、なんとそこには宮坂駅の改札前で出会った、あの紅いカラコンの美形お兄さんと、うさぎのぬいぐるみを抱えた美少女の二人組だった。

ふわふわ#8へつづく
 
 

 
 


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