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ふありのリハビリ作品 act.3

Make a Wish(願い事)


#3王子の家

「莉々、どうしたの?具合でも悪い?」
稀くんが膝を折り、首を傾け訊ねてくる。あたしは、ルーナの存在を知られた事に、酷くショックを受け、同時に背徳感も襲ってきて、頭が、パニックになってる。
「莉々、僕は莉々のこと変だとは思わないよ。若い女の子が、アニメやゲームのキャラクターに憧れたり、好きになったり…そういう純粋な気持ちは尊いと思うよ。少なくとも僕は、莉々のルーナへの想いは…昇華されないと解っていても、馬鹿にしたりしない」
稀くんの返事に、あたしは唇を半開きにして、ポカーンと、整った顔を澄んだ眸を、見ていた。
「…稀くんは、みんなが言う通り、ピュアだね。馬鹿がつくぐらい…ホント…バカ」
あたしは涙がこみ上げてきて、稀くんの制服のシャツを両手で握りしめ、嗚咽をあげた。
「ルーナが好きなの!大好きなの!腐女子とか思われたくなくて、風帆にしか打ち明けていなかったケド…でも…どうしょうもないくらい好き」
その時、稀くんがふわりとあたしの背中に腕を回して、よしよしと、囁く。
「ルーナは幸せ者だね。莉々にこんなにも想ってもらって。僕、ヤキモチ焼いちゃうよ」
そう呟き、稀くんは微苦笑を浮べる。
「…莉々、空見て。雨、降りそうだよ」
稀くんの言葉に連れられて上を見上げると、たしかに、くすんだ灰色の雨雲がもくもくこちらに近づいてる。
「…スマホにも、雨雲接近。雷雨の予想も出てるね」
稀くんが制服のポケットからスマホを取り出し、確認している。
「もう数分で雨降るよ。どうする…ここには雨宿りする場所なんて無いし…。あそこ、僕の家なんだけど来てみる?」
そう言って稀くんの指さす方向に、最近建ったばかりの高級マンションがあった。物件とか、疎いあたしでも、あのマンションが建ったときに物凄い争奪戦になったとか、富裕層しか手の届かないセレブマンション、とか…そういう裕福なクラスの人間しか住めないという噂で賑わった。
「…ま、稀くんてあのマンションに住んでいるの?!」
雨雲も雷雨が迫っていることも失念して、あたしはびっくりして叫んでいたら、ポツ…ポツ…と、雨雫が降ってきた。
「莉々、聞こえる?雷の音もするよ。もう近くに来てる」
稀くんの言葉と同時に、稲光がピカッと灰色の空に亀裂を走らせた。
「きゃああっ!」
反射的に悲鳴を上げるあたしの後頭部を、稀くんが手のひらで自分の胸元に寄せてくれ、「怖くないよ」と、囁やき、
「応えを訊く間もなくなっちゃった。このままだと、ふたりとも明日は風邪でお休みになっちゃう。莉々、迷っている時間は無いよ、地下道までここからなら5分で着くと思うから、走るよ!」
稀くんの、余裕の無い言葉に、あたしは頷き、手を伸ばして稀くんの手を握る。
握り返された稀くんの手のひらは、とても、熱く力強かった。その横顔は、とても凛としていて、最初のあどけなさは消え、頼もしい男の子だった。

地下道まで雨に濡れながら、走りきったあたしと稀くんは、呼吸を整えるのに精一杯だった。
「…りっ、莉々…大丈夫?」
稀くんも両膝に両手を置き、呼吸を整えながら、あたしを気遣ってくれる。
「う…ん…。だ、大丈夫」
「良かった。それにしても…今日の天気、雨マークなんて無かったはずなのに」
稀くんが人差し指を顎にピタリと当て考え込む。
「それにしても…葱間風クレープ食べ逃がした〜。僕ね、あの公園のクレープ屋さんは、結構有名だって聞いてたから、いつか食べたいって思ってたんだけど、なんでか、女の子に…知らない女の子たちに、名前や住所や…とにかく質問攻めにあって。彼女はいるのか訊かれて…彼女はいないけど、将来のお嫁さんなら居るよ…って、答えたら…私に乗り換えて!とか、無茶苦茶言うの。だから、あのクレープ屋さんは高嶺の花。莉々のいる今日なら、彼女たちに『僕の将来のお嫁さんだよ』って、説得出来たのになぁ〜」
身振り手振りをしながら、雨に濡れたことなど、すっかり忘れて、稀くんがが心底辛そうに語るので、あたしはなんだか滑稽に思えて吹き出してしまった。
「ん?莉々…なんで笑っているの?」
キョトンと首を傾げる稀くんに、あたしはお腹を抱えながら『ごめん…』とか、『違うの』と、笑いを噛み殺しながら否定し、漸く笑い終えると、くしゅんっと、くしゃみが出た。
「大変。莉々が風邪引いちゃう…この地下道を上がれば、フロントに出るから、急ごう!」
天井が、大理石のアーチ状になっている、緩やかに上へ登る地下道をあたしたちは、手をつなぎマンションのフロントを目指して歩いた。公園から見たマンションの外観は、ガトー・ショコラような、深みのある色で、高級感が漂っていた。そのまさかのマンションの敷地に足を踏み込むなんて、思いもしなかった。
「あ、あの…稀くん。ここには一人で住んでいるの?ご両親も…」
「騎士とシェアしているよ」
あたしの言葉が言い終わる前に、稀くんにしては珍しく、低いトーンの声で遮られた。
「…そ、そうなんだ…」
二人の仲が良いことは、昨日把握済みだ。ということは、単に友人だけの仲ではなく、家族ぐるみの付き合いがあるのかもしれない。でも、それ以上の詮索はしない方が良いと思い、稀くんのプライベートには介入しないことにした。
「…莉々は、本当にみんな忘れちゃったんだね」
その言葉は、あたしに向けられたものではなく、稀くん自身が、淋しそうに自分に言い聞かせるように、呟いたもののように思えた。
あたしたち二人は、それ以上の会話をするネタも無く、ただ無言で歩き、硝子張りの自動ドアの中へ踏み込んだ。
天井からはテレビや映画でした見たことのない、豪華なシャンデリアと、蓄音機から流れるクラシック音楽の調べ。マンションのフロントの概念を見事に覆してくれた、この空間に、やはり、噂は本物だったのだと理解した。
稀くんは、フロントの片隅にある機械に向かって、淡々と操作してあたしを招いた。後から知ることになる、稀くんが向き合っていたのは、家のドアを開けるための、顔認証と指紋認証の確認を行っていたらしい。
「おいで、莉々。家に案内するよ」
振動が極力抑えられたエレベーターに乗り込み、右側の操作ボタンに稀くんが向かい合い、ピ、ピピ、と手早く打ち込み、ほんの僅かだけど、足元が揺れる感覚を覚えた。
「…何階?」
「……」
急に黙り込んでしまった稀くんが、何やら少し怖く感じてしまい、あたしは、少しばかり後方に下がり、ギュッと眸をつむる。
(そういえば…男の子のお家に行くの…初めてだ。ご家族に、ちゃんとご挨拶とかしなきゃ)
頭の中で、ぐるぐる考えを巡らせながら、いつの間にか、稀くんの手に引かれ、数歩踏み出すと、もうそこは紅王子家のエントランスになっていた。
なに…まるで魔法みたい。
マンションの概念を斬新に切り崩したこの建造物は、まるで未来を何十年、何百年も通り越した造形。
「ようこそ、僕の家へ」
先程の、エレベーター内で無言になっていた稀くんとは違い、いつもの、あどけない笑顔の稀くんが居て、緊張がゆるゆる解けていく。ああ、でも駄目。きちんと身を引き締めて、ご家族にご挨拶を…
「騎士ならまだ帰ってないよ。バイト中だからね」
「…え?」
目をパチクリさせながら、言葉を失うあたしに、稀くんはにっこり微笑み、
「言ったでしょう。ここ、騎士とシェアしているって」
!!
と…いうことは、今だと稀くんと二人きりになってしまう…そういうことになるの?
「エレベーターの仕組み、ガチに難しいから…多分莉々には扱えないよ。だ・か・ら・ここまで来てしまった莉々を、僕は帰さないよ」
あたしは、頭がカッとして、振り上げたあたしの腕を、いとも簡単に、稀くんがパシッと掴む。それならと、空いた片方の腕を振り上げる…けれど、こんな女の子みたいな、華奢な、細身の体躯のどこに力があるのか、もう片方の腕も捕まえられてしまった。
「莉々は僕から逃げられないよ。ね、未来の奥さん」
何故、こんなにも執着されるんだろう。あたしには、稀くんと面識なんて無いし、まさか、よくある、親同士が決めた婚約…とか…?笑えないよ。
と、その時、端正な美しい稀くんが前屈みに傾いてきた…
「…莉々…ごめん…僕、具合悪い…かも…」
耳元で囁かれ、反射的に避けようとしたら、ガシッと両腕で抱きしめられた。
「ごめ…んね…莉々」
その言葉の吐息は熱く、もしかしてエレベーターの中からずっと言葉少なかったのは、己の調子が悪化していくのを感じたから?
「ま…稀くんっ?」
ハアハアと苦しそうな呼吸をする稀くんを揺すぶり、すっかり力の抜けてしまった稀くんを抱きしめ、とにかく今はこの家の玄関をどうすれば開けられるのか…直接、稀くんから訊き出すしかないんだけど、高熱に苦しむ稀くんに出来るだろうか?
「…り…莉々、ごめんね…」
「あっ、謝らなくて良いよ!稀くん、病人なんだから…」
「ん…」
あたしが、稀くんの両肩を起こしたとき、腹部に痛みと、『ごめん』という微かな声がして、あたしの意識は、途絶えた。


#4、王子の家、2話、に続く


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