見出し画像

ハマった瞬間の熱が高すぎると私の中で定評がある私。noteも例外ではなく。
どうせ書くネタもすぐ無くなりますので暫しお付き合いください。

前回(と言っても30分前)のノートの最後の部分。人生観を語り始めてしまいましたが、私、自分の生き方ってかなりいいな、と思っているんです。
私に似てる人、あまり見たことがないのでかなり変わっているんだろうなぁ、と感じていますが、まぁ別にそれが良いとも悪いとも思っていません。なんかこう、そういう事実があるよねっていう。

前回もお話しした通り、私は割と気楽な考え方をしているかなと思います。
ただポジティブというわけではなく、むしろ元々かなりネガティブな人間です。でも人生において諦めとかそういう類の物事の捉え方って重要なんじゃないかなと。

諦めというと良い言葉選びではありませんが、まだまだ未熟者ですのでご容赦ください。

私の口癖、というか事あるごとに発するのが
「まぁそんなこともあるよね〜」です。
派生系、というか汎用性が低いのが「世の中いろんな人がいていろんな考えがあるよね〜」。
これ、私は魔法の言葉と呼んでいます。

基本的に人の考え方やらその人自身やら、そういうものを否定したくないというか、否定する権限なんてないと考えているので、自分とは違う世界に触れた時にこんなことを言っています。
改めて考えると思考放棄のような言葉だなと感じるわけですが、自分の常識から大きく外れているときにはやはり理解を諦めるってことも大事だと思うんです。万物を理解することができるなら人との衝突は起こり得ません。理解できないものがあってもしょうがないよね。
もちろん理解する姿勢、努力は必要です。自分だけの世界が正しいと思い込むのは危険ですしね。

具体的な例でも挙げてみましょう。
わかりやすいのは、性嗜好でしょうか。いわゆるLGBTQ。同性愛者とかのやつ。一応ですが、正直私はそんなに詳しくはないです。
私自身の性自認は完全に女ですし、今のところ異性愛者だと認識しています。だから性自認が男だとか、どちらでもない、とか言われても共感はできません。同性愛者の人の感じ方も分かりません。この文章だけだと冷たか感じるかもしれませんが、当事者じゃない限り理解し切る事はできない部分だと思っています。経験したことがないことって想像で補うしかないわけですが、その想像もやっぱり知識とか経験とかに裏付けられたものなんじゃないかなぁと思うので、やっぱり不十分なんです。
そもそも身体的にも性自認でも女で異性愛者の人にも色々いて理解できない部分もあるのに、同性愛者のことは理解できますよ、とはなりませんよね。理解する努力はしたい、けどあなたの世界のことはあなたしか完全に理解できる人はいないんだよ。という話です。

伝わるかなぁ。
難しいです。

理解を諦めるってそこで考えるのをやめる、というわけじゃありませんし、わからないから否定する、ということでもありません。
わからないことを受け入れて、その上でわからないけど相手の世界を尊重する、という姿勢を持つことが大切だと思うわけです。

世の中には異文化理解、とかそういう概念がありますが、別に何もかもを受け入れろって話じゃありませんよね。
政治とか利権とか、そういう難しいことは分かりませんが、みんなちょっと肩肘張りすぎちゃってるんじゃないかなぁと思います。

気づいたらまた話が逸れてしまいました。
さて、話をぐぐっと始めまで戻しまして。
私の気楽さっていうのは、やっぱり自己肯定感に裏付けされたものだと思っています。

自己肯定感というと、自分の長所を探しがちで、私のようにネガティブな人はもう最初の段階で躓きがち。過去の私は自己嫌悪で気分を落としまくっていましたので、かなり気持ちがわかる方だと自負しております。
じゃあなんで私が自己肯定感を高められたか、というと、ありがちな言葉ですが、自分を自分として受け入れることができたから。です。

留年しているくらいなので私かなりダメな人間です。親にはかなり迷惑をかけていますし、遅刻ばかりしています。金の管理も物の管理も杜撰です。こんな人間にいいところがあるかと言われたら迷わずNO、と言えるくらい。
今でも自分のことはダメ人間だと思っていますし、顔も別に整っていません。スタイルも良くはないですし、性格も良くはないかなと思います。
世の中には私より凄い人が、私より可愛い人が星の数ほど存在しています。

ネガティブな人って長所を探しても見つからないものです。全てが短所に見えます。短所を裏返せと言われても短所にしか見えません。(というか私自身が今でも短所しかないと思っています。だって短所だし…ダメ人間だし…)しかも自分の中で好きなこと、得意なことがあっても、身近にそれを超える人がいる。じゃあこれは私の長所ではないな。こうなります。

つまりやりがちなこのアプローチって時間の無駄です。無理です。そんなので自己肯定感上がるわけないしむしろ下がりまくりです。ダメなところ羅列しただけになっちゃう。あくまで私の経験ですが。

じゃあどうすればいいかというと、「私」という存在自体を認めたろうって話です。

私を構成する様々な要素は、私以外も持っています。でも、その要素が集まってできた「私」という存在は他には存在し得ないんです。似た人はいるかもしれませんが、全く同じ人間はこの世には存在しないわけです。
違う家庭で育って、違う友達と遊んで、違う方法で勉強して…見るテレビとか通う学校が一時的に同じになるとしても、生まれた時から死ぬまで全く同じなわけがないわけです。自分の経験は自分だけのもので、共有はできますが、実体験ができるのは自分しかいません。

うまく伝えられている自信はありませんが、
前回のnoteでも書いているコレが1番端的で伝わりやすいと思うので再度書くこととします。

「私は他の人にはなれないが、他の人も私にはなれない」

私の存在って唯一無二で、私以外が私の役割はできないじゃん!
これです。どんなにダメ人間だとしても、自分の存在って貴重って思えれば自己肯定感って上がるんじゃないかな。生きてるとなにかと人と比べがちですが、そもそも比べたところで私の存在価値は揺らぎません。だって私は私だし。
綺麗事に聞こえますが、生きてるだけで価値があるってやつなんじゃないかなぁ。

ポジティブな考え方は分かりませんし、私以外が応用できるかも分かりませんが。
私は私の考え方が好きです。間違っているかもしれないし、人からは理解されないかもしれません。
でも好きならいいよね。倫理的にも問題ないし。

何が話したかったかもはやわからなくなってきました。これだから行き当たりばったりは良くないですね。

なんとなくまとめると、諦めって意外と大事。だってどんなに頑張っても完全に理解することってできないから。他の人の世界を、人生を。私が経験することはできないから。という話と、
私の世界も、他の人には分からないし経験もできない。そんな唯一無二の世界の価値を感じられたら、結構好きになれたら自己肯定感が上がる気がする。という話です。

これくらいの気楽さで世界が回ったら幸せな気がするなぁとよく考えている人間の、それっぽいお話でした。
ちなみにタイトルは勢いで書いているので「勢」です。深い意味はないです本当に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?