【小説】カラオケボックスにて

男:すいません。そこ、ちょっといいですか?
女:あ、ここ?ごめんねー。はい。どうぞ。
  あなた、コーヒー好きねえ。
  さっきからコーヒーばっかり。
男:はあ。
  あの、失礼ですけど、ここで何されてるんですか?
  自分、ドリンクバー何回も来てますけど、
  ずっとここにいらっしゃいますよね?
女:ここが好きなの。
男:あの、まさかと思いますけど、
  無断で入って来てるわけじゃないですよね?
  ドリンクバーだけ楽しみに、みたいな。
女:あら、失礼ね。ちゃんと料金払ってますー。
男:それで、ずっとここにいらっしゃるんですか?
女:そう。悪い?
男:悪くはないですけど。
女:ここは楽しいわよ。
  あなたもどう?
男:僕は遠慮しときますけど、何が楽しいんですか?
女:あなたみたいにね、いろんな人が飲み物取りに来るでしょ?
  そのときの顔を見るのが好きなの。
男:へえー。
女:おもしろいことにね、楽しい顔の人間って、少ないの。
男:そうなんですか!
女:そうなの。歌って楽しむ場所なのに、不思議でしょう。
男:そうですねえ。どんな顔が多いんですか?
女:寂しい顔、疲れ切った顔、途方に暮れた顔、
  とにかく負の表情が多いわね。
男:ストレス発散の場なのに変ですね。
女:そこなの!
  わたしはどうもね、そこの考えが違うと思うのよね。
男:どういうことですか?
女:いいわね。興味出てきたじゃない。
男:はい、なんとなく。

男は笑う。

女:ストレス発散をしに来たってことは、
  そもそもストレスが溜まりに溜まってるってことなの。
  だから、カラオケに来てる時点で、心が疲れちゃってるのよね。
男:なるほど。
女:ここからがもっとおもしろいの。
  そんな心の状況だとね、
  『カラオケでストレスを発散している』行為すら
  虚しくなってくるのね。
  だから、歌えば歌うほど落ち込んできちゃうの。
男:逆効果なんですね。
女:でも、
  せっかくカラオケに来たんだから、歌ってる間は無理にでも楽しむの。
  ただ、その空間から少し離れたとき、
  正直な感情がひょっこり顔を出すの。
男:それが、ここなんですね!
女:そういうこと。
  ちなみに、あなたも疲れた顔してたわよ。
男:お恥ずかしいです。

男は頭を掻く。

女:今日は1人で来たの?
男:いえ、友人と5人で。
女:あなたもどっかで無理してるのね。
男:そうかもしれません。
  ところで、あなたは寂しくないんですか?
女:寂しいわよ。

女は上を見上げる。

女:寂しくなったらここへ来るの。もちろん、料金を払ってね。
  それで寂しい顔をたくさん見るの。
  それで「あ、寂しいのは自分だけじゃない」って。
  その気持ちをお腹いっぱい食べて帰るの。
  言ってみれば、一番寂しいのは私なのよ。

男はコーヒーを淹れる。

男:はい。これ飲んでください。
女:え?
男:お姉さん、ずっとここにいるのに、飲んだことないでしょう?
  ここのコーヒー、案外いけるんですよ。

女は男を見つめる。

男:さあ、どうぞ。

女はコーヒーに口をつける。

女:おいしい。

男はにっこり笑う。

男:それじゃあ、僕は虚しい空間に戻りますね。

男は部屋へと戻る。

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