こんなハタチのペーペーが「愛」について考えてきたことを記述してみたい。 (これは約5年間の経過です) なぜハーバーマスに辿り着いたのかという経過でもある。 元来、私が「愛」を考えるにあたっての糸口は恋愛であった。 私が考えていた恋愛における「愛」とは、他者の立場になって考えるということであった。それも自己を排除した上で、他者を尊重し、他者の望む形で私がある必要があるということである。 恋愛においては、たとえ私があなたのことを好きでも、あなたが私のことに興味がなく、迷惑である
ハーバーマスの『コミュニケイション的行為の理論』ではまず初めに「合理的」とはなにかという話がなされる。 その後、 ①認知的・道具的合理性 ②コミュニケイション的合理性 の2つが語られるのだが、読んだ時にはしっくりこず。なんとなく言っていることはわかるのだが、解説しろ、と言われたら出来ないなというレベルだった。 読み始めてから1ヶ月ちょっとが経ち、合理的であるとは世の中で物事を進める時には紛れもなく重要であるな、と感じていた。 それと同時に、合理的であることには危険性も潜ん