今井雅子作「膝枕図書館」-京都弁に挑戦-


今井雅子作「膝枕図書館」-京都弁に挑戦-

休日の朝。独り身で恋人もなく、打ち込める仕事もなくした薫は、図書館へ向かった。
とくに読みたい本があったわけでも、調べたいことがあったわけでもない。
何(なん)かしてんと、物思いに沈んで抜け出せんようになんねん。もっと何(なん)か打つ手はなかったんかなぁ・・・って。


入社して、あの部署に配属されたときは、間違ぅた場所に来てしもたと思たわぁ。会社選びから間違うてたんやと後悔してん。それが今では、あの会社で過ごした日々が恋しゅうてしょうがない。
あの会社で働いている自分が好きやった。いや、好きになってん。
自分のことも、会社のことも、そこで生まれる商品のことも。仕事ぶりを認められて自己肯定感が上がったといえばそれまでやけど、誰かに必要とされる手ごたえと喜びを薫は生まれて初めて味おぅた。


薫を求めたんは、薫が手がけた商品たちやった。薫が勤めていた会社「膝枕カンパニー」は、その名の通り「膝枕」を製造販売しててん。
もう二度と帰れへん。そやからこそ、想いが募る。
「カエリタイ アナタノトコロニ カエリタイ」
薫に何度もメッセージを送ってきた箱入り娘膝枕もこんな気持ちやったんかなぁ。
薫が入社した年、膝枕カンパニーの放つ「膝枕」シリーズがヒット商品に躍り出た。
人気に火をつけたんはSNSや。誰も触れたことのないヴァージンスノー膝が自慢の「箱入り娘膝枕」に溺れたマメな男のつぶやきがバズり、注文が殺到してん。
人工知能を内蔵した膝枕型ロボットの予測不能なリアクションは、動画チャンネルでウケてん。
売れへん作家が膝枕に溺れた体験を綴った半自伝小説「膝枕」が朗読作品として人気を呼んで、二次創作が次々と生まれてん。そのうち『108回目の膝ポーズ』はナオキ賞にノミネートされてんでぇ。家族の一員として膝枕を溺愛するユーザーのニーズに応え、膝枕専用膝かけ、膝枕専用座布団、膝枕専用膝クリームといった新商品が次々と生まれてん。膝枕とのペアルックは生産が追いつかへんようになって、膝枕と食事できるレストランは予約が取れへん人気店になったゎ(笑)。
膝枕占い。膝枕チャンネル。膝枕博覧会。膝枕マナー講座。膝枕婚活。膝枕列車。膝枕キャバクラ。膝枕カフェ。膝枕ダービー。膝枕弁当。膝枕パン……。流行りに乗って、何(な~ん)にでも膝枕がついたゎ。


折しも未知のウイルスによる感染爆発に見舞われ、人々は行動の自由を制限されててん。
触れ合いに飢え、暇を持て余した人たちにとって、生身の人間の膝そっくりな膝枕商品は、心の隙間を埋めるのに打ってつけやってん。
疫病への不安を和らげ、精神の健康を保つ効果も認められ、膝枕の購入に助成金を出す企業や自治体も現れてんでぇ。一家に一台。一人一台。またたく間に膝枕は生活の一部となったゎ。
国を挙げての膝枕ブーム。膝関連株の株価が軒並み上昇して、疫病で暴落した日経平均を押し上げてん。膝枕特需で息を吹き返し、倒産を免れた会社も少なからずあったんやって(知らんけど)。
その年の流行語大賞に「膝枕」がノミネートされ、その年の漢字ひと文字に「膝」が選ばれた。
年の暮れの寄席では「膝浜」が人気で、大晦日にはボーカロイド膝枕たちによる「紅白膝合戦」の後、「ゆく膝くる膝」が裏番組ながら20%近い視聴率を獲得したんやで(知らんけど)。
年が明け、疫病は終息したんやけど、国民の生活は元には戻らへんかったゎ。学業や労働を忘れ、膝枕に沈み込んだまま起き上がれへんようになった「膝枕廃人」が国じゅうにあふれてん。交通機関はストップするし、物流は止まるし、治安は乱れに乱れた。膝枕による経済的損失は13兆円に上ると試算されたんやって(これも、知らんけど)。


このままでは、国が滅びる。
流行りに乗って「膝枕内閣」と自称していた政府は手のひらを返し、首相と膝枕が膝を突き合わせたポスター13万枚を回収した。
膝枕禁止法が緊急可決され、膝枕の製造、所持、使用が禁じられてん。
バレンタインデーを当て込んだ膝枕型チョコレートは店という店から引き上げられて、メーカーに返品され、溶かし直されてん。
膝枕商品だけではのぅて、膝枕について描写された出版物や映像作品も発売禁止処分となってん。
膝枕カンパニーは倒産(とーさん)。薫は失業した。(まっ、そういうわけ)


再就職先を見つけなアカンねんけど、そんな気持ちにはなれへんねん。体に力が入らへん。
そやから図書館で時間をつぶしてんねん。
以前は新商品開発のヒントを求めて、棚に並ぶ本の背表紙を眺めててん。実際、図書館で得たひらめきが商品につながったこともあってんで。「白雪姫膝枕」「灰かぶり姫膝枕」「眠れる森の美女膝枕」など、昔話のヒロインをモチーフにしたプリンセス膝枕シリーズは累計出荷数13万人を超える大ヒット企画となってん。
13万人やでぇ。
社内でも世間でも膝枕を数える数詞は「台」やったけど、薫は「1台、2台、3台」ではのぅて、「ひとぉ~り、ふたぁ~り、さんにん」と数えるねん。薫にとって膝枕はモノではのぅて、人格を持った存在やねん。
膝枕たちを生み出し、育て、世に送り出す。その仕事をうしのぅてしもた今、本のタイトルを見ても空しゅうなるだけやった。
幸せそうなタイトルを見るとみじめになり、前向きなタイトルを見ると卑屈になった。小説も啓発本も読む気にはなれへん。
古典の棚に向かったんは、今という時代から離れたかったからやねん。
見るともなく棚を眺めて、あるタイトルに目を留めた。

「『膝枕草子』
あぁ~、言わずと知れた清少納言の『枕草子』に膝入れした古典膝枕やん。本屋さんからは引き上げられたみたいやけど、図書館にはまだ残ってたんやねぇ。その隣には『源氏膝語(げんじひざがたり)』があるわぁ。そのまた隣には『徒然膝(つれづれひざ)』。」

はやる気持ちを抑え、薫は他の棚に目を移す。

「井原久伊鶴(いはらひさいかく)の『好色一代膝』と『好色五人膝』。十返膝一九(じっぺんひざいっく)の『東海道中膝枕』。へえ~!まさか、もう一度会えるやなんて。こんなとこでねぇ」

ページをめくり、中を見る。墨で塗り潰された箇所もなく、全文を読めるようになっている。

「枕芭蕉の『奥の細膝』。谷日崎(たにひざき)潤一郎の『細膝(ささめひざ)』。《小枝のようなか細い膝で懸命にあなたを支えます。守ってあげたい膝枕》から生まれた『細膝(ほそひざ)繁盛記』」
あぁ~、あれもこれも読みたいわぁ。家に連れて帰りたいなぁ。」

昔話の棚も圧巻だった。

「『浦膝太郎』『カチカチ膝』『膝とりじいさん』『膝咲かじいさん』『膝地蔵』『三年寝た膝』『泣いた赤膝』」

無事を確かめるようにタイトルを一つ一つ読み上げながら、薫は胸が高鳴った。

「街角で凍えながら膝枕を見る少女が、おばあちゃんの膝枕に頭を預けたまま天国に召される児童労働の深い闇を描いた名作『マクラ売りの少女』。ヒサップ物語の『膝とキリギリス』『金の膝と銀の膝』『王様の膝はロバの膝』。あっ、他にも『ジャックと豆ヒザ』『親ゆび膝』『不思議の膝のアリス』『ヒザビアンナイト』『赤毛のヒザ』『若膝物語』。ん~、世界名作膝シリーズがこ~んなにあるわぁ」
「シェイクスヒザの人気シリーズ『ジュリアス・ヒーザー』『じゃじゃ膝ならし』『マクラとジュリエット』『真夏の夜の膝』『ヒザ王』『枕違いの悲劇』。こっちにはドフトヒザスキーの『ワーニャ伯父さんの膝枕』。チェーヒザホフの『枕の園』」

「えっ?ちょっと待って! 何この膝入れ現代文学のラインナップ! 三股をかけた単身赴任夫が島流しに遭う『膝の流刑地』、膝蹴りの女王とMっ気のある主人公の掛け合いのテンポ感最高な『膝蹴られたい背中』、膝枕erたちの熱狂ぶりを描いた『ヒザマクラーズ・ハイ』、それに青春膝枕小説の金字塔『桐島、膝枕やめるってよ』」

「ふ~ん。膝映画も揃ってるやん! すごいなぁ。体脂肪40パーセント、やみつきの沈み込みを約束するぽっちゃり膝枕がヒロイン。体当たりの演技が評価され、アカデミー賞最重量女優賞に輝いた『バウンド・オブ・ミュージック』。箱入り娘膝枕の視点から描いた『“ウエスト”・サイドストーリー』。『ヒザの魔法使い』原題は『Hizard of Oz』。ダンシング膝枕が踊り狂う『マクラッシュ・ダンス』。陶芸家が自分の焼いた膝枕に溺れていく『ヒザーポッターと秘密の膝』。えーっと、それから『膝とともに去りぬ』『愛と青春の膝立ち』『マディソン郡の膝』『プラダを着た枕』『膝の王子様』『膝の惑星』『膝との遭遇』『バック・トゥー・ザ・ヒーザー』『ヒザー・ウォーズ』『ヒザンチャの男』『マイ・ヒザ・レディー』『マクラ座の怪人』『マクラン・ルージュ』『リトル・kneeメイド』」

「はぁ~、実用書もこんなにあるわぁ。『置かれた場所で膝枕』『人生がときめく片づけの枕』『人は膝枕が9割』『頭のいい説明すぐできる膝』『東大生の膝枕』『年収一億円の人がやってる7つの膝枕』(あっ、コレええやん!※こちらは読みたい!の意)『英語ペラペラ膝枕学習法』(あっ、コレはえぇわぁ。。。※こちらは読みたくないの意)『人生で大切なことはすべて膝から教わった』」

ふと背後から視線を感じ、薫が振り向くと、緑の作業エプロンを着けた男が立っていた。
図書館の人らしい。

「こんにちわぁ」 (※京都弁イントネーションにて)

図書館の人は何も言わず、ジトっと薫を見ている。その視線は、薫が両手に抱えている膝枕本に向けられている。

「すみません。貸し出し点数超えてしもてますぅ?なんかうれしゅうなってしもぅて、つい。。。こんなところによ~さんあったんですねぇ」

黙っているのが落ち着かず、薫が話し続けると、
「お客様には見えるんですね?」
図書館の人が不意に口を開いた。

「はぁ。。。見えるって? 何言うてはるんですか?」

「お待ちしていました。どうぞこちらへ。特別室にご案内します」
図書館の人に案内され、ついて行く。突き当たりの扉まで来ると、図書館の人が鍵を開け、灯りをつけた。眩しい白が目に飛び込む。薫は息をのみ、次の瞬間、歓喜の声を上げた。

「うわぁ~、枕やん!」

電灯の灯りを反射して白く輝く無数の丸は、膝枕たちの膝頭だった。

「み~んな、ここにいたんやぁ~!」

薫は駆け寄り、膝をそっとさする。だが、反応はない。バッテリーが切れている。ここに納められてから随分時間が経っているのかもしれない。
と、奥のほうでガタガタと音がする。
近づくと、激しく体を揺さぶっている膝枕がいた。この膝枕はまだ動けるらしい。お姫様だっこの格好で膝枕を取り出し、型番を確かめる。

「RHCP241201。ペッパーちゃん!」(あ~るえいちしぃぴぃ、にぃ・よん・いちぃ・にぃ・ぜろ・いち)

薫が呼びかけると、ペッパーちゃんの膝が大きく弾んだ。

「喜んでくれてんの? ちょっと~、ペッパーちゃん弾みすぎやってぇ」

床に置くと、飛び上がらんばかりの勢いでペッパーちゃんが弾んだ。

「むっちゃ可愛いやん! もう我慢できひんわぁ!」

薫は思わずペッパーちゃんの膝に飛び込む。だが、ペッパーちゃんは膝をぎゅっと閉じ、拒絶するかのように身をこわばらせている。さっきまでの歓迎ぶりはどうしたのだろう。

「ペッパーちゃん、久しぶりの再会で緊張してんの?」

ペッパーちゃんは首を振るように膝頭を左右に振る。
カチャリとドアの鍵がかけられる音がした。
薫は膝枕たちとの再会に夢中になって、図書館の人の存在を忘れていたが、薫の様子をあのジトッとした視線で見ていたらしい。そして、鍵をかけた。

「えっ!?部屋に閉じ込められたん?」

プシューッと排気音を立て、ペッパーちゃんの膝頭が強烈な刺激臭のガスを放った。唐辛子に含まれるカプサイシンだ。膝枕に溺れて火事や災害に気づかず逃げ遅れる事故が相次いだため、膝枕が危険を察知したときに匂いで警告する機能をつけることになった。薫はその開発チームの一員だった。
型番がRHCP(あーるえいちしーぴー)の4文字で始まるのは、レッドホットチリペッパーの頭文字を取っている。ペッパーちゃんのあだ名はそこからついた。

「あぁそうかぁ。ペッパーちゃん、さっきあんなに弾んでたんは、こっちに来たらアカン!て知らせてくれてたんやねぇ。」

発禁処分になった膝枕文学作品と膝枕たちが集められた京都のとある図書館。ここは、禁じられた膝の始末部屋だったのだ。その網にまんまと引っかかってしまった。

「それにしてもすごい匂いやわぁ。
逃げなアカン。その前に、起き上がらなアカンわぁ。。。
頭ではわかってんねんけど、体はどんどん膝枕に沈み込んでいくわぁ。膝枕に頭を預けてしもぅてからでは、もう引き返せへんやん。警告を出すタイミングをもっと早うせなアカンなぁ。。。
もういっぺん膝枕カンパニーに戻って、膝枕を作れるようになったら、改良版を提案しょ。」

と薫は思うが、そんな日は来るのだろうか。

「あぁ、ここから出られる気がしぃひん。その前に、起き上がれる気がしぃひんわぁ。。。」

夢か現かサイレンの音が近づいてきた。(終)

2022年5月6日 朗読者:ひろ


◆朗読を終えて(あとがき)
たぶん1月か2月頃だっただろうか。この作品を読んだ時、ふと「京都弁で朗読してみたい」という気持ちが沸き上がった。「京ことば」ではなく日々の暮らしの中で使われている京都弁で。
そして標準語から京都弁に翻訳?する作業を始めたものの、今井先生の作品イメージを残しつつ、日常会話としての京都弁に変換することは、思っていた以上に難しかった。

その後、何かと忙しさに紛れ、4月に入り、ようやく取り組みを再開し始めたところへ、「膝枕」セリフをスペイン語にした作品をこたろんさんが朗読されると聞き、久しぶりにroomにお邪魔した。5月4日のことであった。こたろんさんの朗読を聞いた私は一気にスイッチが入り、やりかけの台本に京都弁を書き込み、小羽さんに連絡をして、朗読する日を決めた。京都弁の原稿に納得していた訳ではなかったが、「膝は熱いうちに打て!」とばかりに事を進めた。朗読日は5月6日に決まった。


2か月振りの朗読発表に、心臓が飛び出しそうなほど緊張したが、何とか読み上げ、自分が思っていた以上に皆さんから好評を頂いたことは大変光栄で本当に嬉しかった。(皆さん、ありがとうございました!この場をお借りして心からお礼申し上げます。)


今井先生から、「原稿を」とのことで、手書きをデータに書き起こす作業をしている中で、ふと、NHKの朝ドラ再放送「芋たこなんきん」の田辺聖子さん(作家)を思い出した。京都弁も含め関西弁には微妙なアクセントやイントネーションがある(それは他の方言にも言えると思うが)。
例えば、「おはようさん」。おそらく「おはようさぁん」と書く方がニュアンスは伝わるのではないか。
はっきりと「あ」と発音している訳ではないのだが、「ぁ」が隠れているのである。(おそらく関西弁を話される方にはこのニュアンスは伝わると思う、思いたい)。すべてではないが、今回、京都弁で書き起こすに際し、そのことを念頭に置いた。関西以外の方が、京都弁versionに挑戦されるときに参考にしていただければ幸いである。


最後に、いつも大らかに見守ってくださる今井先生ありがとうございます。そして小羽さんには日程調整やら当日も、大変お世話になりました。またいつも私の背中を押してくれる朗読同期のおもにゃん、こもにゃん、そして、こたろんに、また拙い私の朗読をお聴きいただいた皆様に心から感謝申し上げます。

「ありがとさぁ~ん!」  


2022/5/11 文責:ひろ

※今回投稿のためにnoteの登録をしました。慣れないことで、おみぐるしい点がございましたら、何卒ご容赦ください。

※また、本作品を朗読される際には、ひろまで紙飛行機などでご一報ください。みなさんの朗読をぜひ聞かせていただきたいと思います。


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