初投稿から約2ヶ月記念に
お久しぶりです。栗野森です。
もはや早秋ですね。枯れ葉が目立ってきました。
私が住む北海道は、涼しいを通り越して寒い域に入った気がします。
初投稿から2ヶ月経過してようやっと書けるようになったので、
要約するなら「スランプ→ 初心に帰る話」を、ほぼ率直な心境とともにに綴ろうと思います。
1.なにこれ…?
スランプ直後の感想は ↑ まんまでした。
当初は開始1ヶ月記念を節目に、短くても良いから投稿してみようと考えていたんです。''継続は力なり''方式に。
ところが。
7月に「はじめまして」& 投稿企画を勢いで連投して以後、変な燃え尽きと言いますか、空っぽ状態に陥って何も書けなくなりました。なんだか手元のお金を使い果たしてしまった時のようなすっからかん具合。
自分の中で何が無くなったのかはよくわかりません。
しゃっきりパソコンに向き合っても、リラックスしてゴロゴロしてても、
何も思いつかない。何もアウトプットできない。
自然に感動を覚えても、言葉が出そうで全然出ない。
15文字で終わらせていた超短い紙の日記も手につかない。
身近に私が文章化できるテーマが無い?否、そんなはずは。
手持ちの語彙や日本語力が乏しい?
それとも単に疲れているだけ??
え?え?7月に連投しただけでこうなるのかよ自分…どして…?
妄想は呼吸の如き通常モードで視覚的に思い描けるというのに、言葉に訳せない。ああああ!?何で!!?
頭が煮詰まって焦げ付いてしまって、自分で自分を迷宮入りにしていたというか、ズブズブ潜って溺れかけているような…考え込み過ぎて深みにはまるとたちまちこれなんです。
2.冷却期間
悶々とした結果、8月末になっていました。
note開始から1ヶ月経った記念の投稿をすっ飛ばしていました。
今思い返してみれば、当時は"書く"に囚われて一種のスランプに陥っていたんだなと得心できます。
純粋に、noteを続けたい気持ちに変わりは無い。
でも盛大に気持ちが空回ってるし、言葉に表せないもどかしさは苦しい。
このまま連投当初のやる気に頼っていたら、迷走を拗らせて文章そのものが嫌いになってしまいそうでした。
マズい。だが、どう対処したら?
そこで1ヶ月記念をすっ飛ばした後は、"投稿敢えて Out of 眼中期間"を設けることにしました。
本当の無関心(out of 眼中)になるのではありません。
考えなくて済むよう、なるべく意識の外に追い出す期間という意味です。
PCやスマホを完全に断つとどうしても私生活が成り立たないので、
note・日記・SNSのアプリや紙媒体をしまい隠す程度に留めました。
頭の焦げ付きが潤けてきたのは9月。
時間を開けたせいか、スランプ脱却のためには自分が作ったnoteの過去記事を読み返すべきだと気がつきました。
迷子になったら来た道を戻ってリセットしないと、泥沼にはまる。
スランプは方向音痴にも似てますね。
3.原点回帰
過去記事は我ながらあまりの拙さに悶絶し、セルフツッコミを入れながら読む羽目に。
最終的には、7月にnote投稿を決めたきっかけを思い出しました。
それは「リアルな人間関係上では難しいけれど、自分の言葉で"推し"がどう大好きなのかを打ち明けてみたい」という願望。
願望を実現すべく、できる限り素直な心境を書き出していったら、とりあえず記事の形になったのでした。
素直に"大好き"を打ち明けたかった。
確かに身近なところでは敷居が高くなってしまって、あまり話していない。
色々な不安もあって最近は慎重になっている。
ああ、そうか。''素直な自分をもっと言葉で解放したいから書く''のか。
note初回投稿でも述べていた「何かを書きたくなりました。何を何のために、まだ自分でもよくわかりません。」の、「何を何のために」の部分はこれか。
己が初心を顧みたら、気抜けがするほど急にほぐれました。
自分の言葉で語ってみたい妄想や物事が目に映るようになり、文言がまた湧き出すように。スランプ脱却の瞬間です。
迷走を止める鍵は「原点回帰」と「明確な初心」か…?
4.最後に
素直な自分を忘れずにいられる場所。
それが、私にとってのnoteになりそうです。
本当に本当に遅ればせながら、記事をお読みくださった方々と、7月の拙い投稿へスキボタンを押してくださった方々に、この場を借りて御礼申し上げます。
noteをここまで続けたいと思えた理由の1つ。
それが、7月の初投稿で読む方に自分の一端を打ち明けられた体験でした。
なお、"素直な自分"は無責任に言いたい放題書き散らす行為を意図していません。noteのコミュニティガイドラインに則った表現や内容に致します。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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