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シルクドきんつば

「キュウリは好きじゃないんだ。食べたらマンホールの穴に落とされるからね」

目の前に座っていた人たちは周囲と目配せをして、絞りだすように「は」を羅列した。また間違えてしまったようだ。熱くなる頰を冷ますために水を一気に飲み干す。まばらな声が途切れたあと、みんなはおもむろに食器をまとめたり、メニューを開いたりし始めた。私はおしぼりを何度もたたみ直して、自分の発言が早く遠い過去になるように祈る。そういえば、とだれかが口を開いてやっと呼吸ができるようになった。

あとになって、ふつうはものを食べたときに脳内で映像が流れないことを知った。みんなはキュウリを食べてもマンホールの穴に落とされず、トウモロコシを食べても体が浮かずに、ただ味だけを感じるようだ。いつも会話がうまくいかないのは、私の感覚が混乱を招いていたのかもしれない。そう気づいてだんだんと自分が思ったことや感じたことを人に話さなくなっていった。

「きりのいいところで休憩にしましょうか」

木下先生の言葉で張り詰めていた教室の空気が和らぐ。私は手に持っていたガーベラを空中で少し泳がせたが、給水スポンジには刺さずバケツに戻した。花瓶を倒さないようゆっくりと壁側に寄せる。

「ヨシノちゃんのお祝いとしてちょっといいお菓子をもってきました。和菓子は好きかな?」

母親の友人が講師をやっているフラワーアレンジメント教室に通って1年が経った。先月コンテストに出した私の作品が入賞したようだ。すごいというまわりの称賛に体が縮こまる。

みんなは私のことをアレンジメントが好きな人だと思っているに違いない。本当は花をスポンジに刺す感覚を味わうために習っている。花がシャリシャリとスポンジに埋まっていく音や感触がたまらない。脳が溶けるような瞬間を楽しみたい一心で完成した作品が賞までとってしまった。照れ隠しでも謙遜でもなく苦笑しかできなかった。

「お口に合うといいけど」

お茶と一緒に置かれたお皿には小さな黒い四角が乗っていた。まるで黒いつみきのような物体をよく観察してみると、表面にはうっすらと白い膜がかかっており、その下には粒のようなものが透けて見える。99パーセントが粒あんでできているきんつばだと気づき椅子ごと後ずさる。

「すみません。きんつばアレルギーなので食べられません」

2つ年下の内山さんが俯きながらあんこのレンガを眺めている。生死にかかわるアレルギー申告のあとに、好みによる辞退を申し出る勇気はない。何より自分のために用意されたものを食べないのは良心が許さない。それは残念と内山さんのきんつばは元々いた箱に帰っていった。

「甘すぎなくて美味しい」

となりに座っていた主婦の小林さんはもう半分くらい食べていた。こっそり見た断面にはぎっしりと小豆が詰まっている。そろそろ食べ始めないと不審に思われてしまう。あわてて木製のナイフを手に取り、表面を撫でるようにスライスした。少しがまんすればいいと右手に力をこめて、1ミリにも満たないひと切れを口に運ぶ。

とたんに豆に似つかわしくない甘さが鈍痛のように鼻と口のあいだで響く。脳内では黄色と紫を使った趣味の悪いサーカス小屋の幕が開いた。オレンジの象が舞台から飛び降りて私をめがけて走りだす。長い鼻で体をもち上げられそうになったところで、お茶を飲んでサーカスから抜けだした。お皿に視線を向けると、人に提供できるほど綺麗なきんつばが座っていた。

これは罰だ。みんなはアレンジメントをがんばっているのに、スポンジを穴あきチーズみたいにして、脳をジュワッとさせていた人が賞なんてもらっていいはずがない。ふつうじゃない理由で通い続けていること、変なサーカスに連れて行かれるからあんこは好きじゃないこと、本当のことを何も言いだせずに逃げてきたツケが回ってきた。ここまできたら最後まで貫き通すしかないと観念して、ふたたびサーカスの幕を開ける。

あたりを見回しても観客は私ひとりだけだった。リハーサル中かもしれないと足音を立てないようにうしろの座席を目指す。さっきの象がいないことに肩を下ろしたのもつかの間で、食感や映像で甘重い痛みが全身に染み渡る。目をつぶろうとしても、まぶたをセロテープで固定されていて閉じることができない。カツン、カツンと音の鳴るほうを見ると、竹馬に乗ったピエロがこちらに向かってきている。涙を流している彼はもっと前で見るよう手招きする。私が首を縦に振るまで引き下がりそうにない剣幕だ。ステージに視線を向けると、綱渡りの準備をしているオレンジの象と目が合った。サーカスはまだ序章にすぎないと10分の9になったきんつばがほくそ笑んだ。

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