平安時代の恋愛事情
古文の勉強法って別にそんなに複雑じゃないんですよね。
単語やって文法やって、そして読解やって、みたいな。
その中で、古文常識や和歌の修辞、敬語などを補強していく、というくらいですね。
なので、どちらかというと「古文の勉強が面白くなる」ようなきっかけを作りたいなと。
今日は、「古文の雑学」を紹介しようかなと思います。
これを読んで少しでも「古文面白いかも」と思って貰えたらと思います。
そもそも古文ってどういう学問だと思いますか?
「古文漢文なんて勉強しても何の役にも立たねぇ」って意見も多いんですよね、悲しいですが。
確かに「言語を学ぶ」って言っても英語みたいに今使われてるものでもないし、実用性もないし。
せいぜい昔の文書が読めるようになるだけですよね。
いいですか。
古文ってのは、過去の出来事ではなく、現在を作ったものなんです。
例えば。「奥さん」って言葉。
現代では「妻」のことを指す言葉ですが。なんで「奥さん」とか「奥様」って言うか知ってますか?
由来は平安時代に遡ります。
平安時代の貴族なんかは「寝殿造」っていう構造の、ものすごいだだっ広い家に住んでたんですよね。
そして、寝殿造の構造として、ど真ん中に大きな「寝殿」があって、その北、東、西にそれぞれ「北の対(たい)」、「西の対」、「東の対」という別館のようなものがあったんですね、
南の対はありません。南にまで建物を作ったら光が入ってこなくなるからですね。
で、その別館に主人の妻などが住んでいたわけです。
で、当時というのは一夫多妻制ですね。ということは正妻の他にも何人か妻がいたわけです。
で、「正妻が1番大切だから」ということで、寝殿造の入口(南)から見て、一番奥にある「北の対」に暮らしていたんですね。
今もう答えを言いましたが、「正妻は1番奥にいる」んです。
だから正妻のことを「奥様」と呼んでいたんですね。そして、今は一夫一婦制になってますから、そのまま妻のことを「奥様」と呼ぶようになりましたと。
まぁそんな感じです。知ってましたかね?僕は知らなかったので中々驚きました。
つまりは、現在の風習とか生活習慣にも当時の名残があったりするわけです。
当たり前といえば当たり前の話ですが。
ある意味で、日本史や世界史を学ぶのと同じ意義があるんです。
日本史や世界史はどちらかというと「マクロ」の視点で学ぶ学問です。
大きな視点といいますかね。国とか藩とか、個人にスポットを当てるというよりはより大きな視点から見てますよね。
古文は違います。「ミクロ」の視点です。
個人にスポットを当てて、当時の人々の生活習慣だったり、考え方、価値観などを学ぶことができます。
どちらも大切だと思うんですよね。
なので古文や漢文の勉強を否定する人は、日本史や世界史の勉強も否定しないと筋が通らないんじゃないかなーと思いますね。個人的には。
話が逸れたので戻しますが。
で、その上で。単語や文法を学ぶのはもちろん古文において必須事項なんですが、その前に前提条件として「古文常識」を知っておくべきです。
当時の恋愛の方法とか、生活習慣とか、知らないとわけわかんないですもんね。
「古文常識って勉強すべきですか?」という質問はよく頂くんですが、これは「環境による」のかなぁと思ってます。
学校の授業とか塾の授業とかを受けてるとこの辺の話は読解の解説のついでにしてくれるので自然と身についてきます。なのでわざわざ自学習で時間をとってやる程でもないのかなとは思いますが。
独学とかで1から古文を勉強する人などはやっておくべきでしょうね。
といってもそれほどたくさん覚えることがあるわけでもないのですが。
ということで今日は特に古文において重要な「昔の恋愛」について解説します。
古文常識の一番コアな部分と言ってもいいと思います。
知ってる人は復習がてら聞いてください。
平安時代をベースに考えてください。
当時の恋愛で、結ばれる方法は2つしかありませんでした。
1つ目が噂。2つ目が垣間見。
やばいっすよね。普通に出会うことってないんです。
噂って何かと言いますと。
その家に使えている女房(侍女)が、自分の家の姫について噂を流すんですね。
「うちの姫君は色白で、顔もふくよかで琴もできて、教養たっぷりですよ〜」みたいな。
で、その情報を聞いた男たちが、興味を持ったら手紙を書く、みたいなシステムです。
やばいですよね。いくらでも話盛れるやんみたいな。
出会い系とかよりよっぽど情報少ないし、みたいな。
もうひとつの「垣間見」は文字通りのやつです。偶然に姫の家の垣根の隙間から、見つけて一目惚れするってやつです。
ロマンチックな感じもしますけど、冷静に今やったら普通に気持ち悪いですよね。
ちなみにですが、当時、自由恋愛で結ばれることは「野合(やごう)」と言って、野蛮な行為、と見なされてたらしいです。
噂、からの手紙のやり取りで結ばれるパターンが当時の王道であったということですね。
自由恋愛が野蛮、って今だと考えられないですよね。
ま、当時は政略結婚というくらい、結婚は「政治の道具」と考えられていましたから、自由恋愛されたら親が困っちゃうわけですね。
で、手紙のやり取りなんですが。
直接、男と姫がやり取りする訳ではありません。
間に2人挟みます。
男側の部下と女側の部下を挟みます。
通常、男側は随身というボディガードのような役割の人に手紙を渡します。
そして随身は姫側の家の女房(侍女)にその手紙を渡します。
そしてようやく姫の手元に渡るって感じですね。
厳密に言うと、姫に手紙を渡す前に、女房やら、姫の父や兄がその手紙を読んだり、男側の素性を調べた上で、
「姫にふさわしい男かどうか」を判断するのが一般的だったみたいですが。
めちゃくちゃ人の恋愛に干渉してくるやんって感じですよね。
で、姫側が気に入ったら、手紙を返します。
当時の「手紙」というのはもちろんただのラブレターではありません。
和歌が入ってます。
あ、この和歌の入った手紙のことを「懸想文(けそうぶみ)」と言います。
しばらく手紙のやり取りをして、結婚へ
という流れです。
さらにここから結婚に至るまでのプロセスもちょいちょいややこしかったりします。
3日連続で男は随身を連れて、姫の家に行くわけですね。
そして、よひ(宵)からあかつき(暁)にかけて、姫の家に滞在し、一晩を共にします。
宵というのは、普通に夜ですね。
そして暁というのは、夜が開ける前のまだ暗い頃です。
夜が開けるタイミングが、「あけぼの」ってやつですね。
宵→夜中→暁→あけぼの
の順です。
これを3日連続で繰り返すんです。ヤバいっすよね。
3日連続で男が姫の家に通ったら「結婚成立」となるわけです。
ちなみに、当たり前ですが、このタイミングで相手の顔を初めてお互い見るわけです。
それまでは文通だったわけですから。
なので、初めて姫の顔を拝んだ時に「思てたんと違う!」となったら、2日目以降は家に行かないわけですね。
となると結婚は成立しません。悲しすぎますね、
「女側に選択権は無いのか!」って話なんですが、残念ながら当時はないんですね。
男尊女卑の時代です。酷い話ですね。
で、3日連続通ったら結婚成立。めでたしめでたし、ということですね。
もう少し細かいところまで踏み込めば、いくらでも話は広げられるのですが、最低限知っとくべきところに絞りました。
あまり知りすぎても仕方ないですからね。「古文常識マニア」になっても問題は解けませんから。
少しでも「古文って面白いんだな」って思ってもらえればと思って書きました。
では今日のワーク。
「あなたの知っている古文常識を共有してください」です!
分からない人は、Googleでなんなりと調べてみてください。
では!
ニューロン
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