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ミステリーにおける描写の問題

 最近思うことなのだが、ミステリー(エンタメ)小説に細かな描写は必要なのだろうか——という疑問があったりする。
 わかりやすくするために、次の文章を見てもらおう。

 彼女は恥ずかしげで態度もおどおどしていた。テーブル上の後片付けや食器洗いの仕事がら、各テーブルの客と実際に対応する給仕の仕事へ上がったものの、あきらかに雰囲気にのまれていた。彼女の金髪は、荒々しく引っ張り上げられて、頭のてっぺんで不恰好に束ねられ、その手はお湯のために赤くふくれあがり、鼻には汗が光っていた。それでも、彼女は申し分なくかわいかった。顔の輪郭の完璧なライン、彼女の広い頬骨、尖った顎、小さいが筋のとおった形のいい鼻、すらりと伸びた首など、彼女の顔立ちの美しさはなにものにも傷つけられぬ類いのものであった。
 パトリシア・モイーズ 谷亀利一訳 雪と罪の季節(P13) より引用。

 私だったら「彼女は顔立ちの美しい女性だった」くらいで済ませてしまうだろう。今の読者は細かい描写をしても、流し読みするか、その部分をすっ飛ばして読むような気がするからだ。
 というのも、最近の読者はエンタメ小説に「タイパ(タイムパフォーマンス)」を求めるというのだ。
 娯楽としての読書は確かに時間がかかる。文庫本一冊読む暇があれば、アマプラやNetflixで動画が何本も視聴出来るだろう。そうした意味では小説はタイパが悪いと言える。
 だからこそ、スラスラと一気読み出来るエンタメ小説が求められるというわけだ。
 で、思ったのがどうやってタイパの良い小説を書けるのか、ということである。
 そこで私が考えた方法はこうだ。
 風景やキャラなどの描写を必要最小限にとどめる。比喩はなるべく使わない(地の文が平板になったときだけ効果的に使用する)。
 キャラの行動や会話でサクサクとストーリーを進める。
 こんなことを意識して小説を書いているのだが、それが効果を挙げているかは不明ではある。だが、読みやすいという感想をもらったことがあるので、間違いというわけでもないのだろう。
 こんなことを考えていると、先日、次のような文章を見つけたのである。

山村(正夫) このところ痛切に感じているのは、描写の問題なんですよ。……要するに最近のよく売れている推理小説の傾向を見ていると、だんだん描写の必要がなくなってきたんじゃないか、つまり、作家が意識的に避けた小説のほうが、エンターテイメントとしては読者に喜ばれるようになってきたんじゃないか。……
 いままでの僕らの小説観からいうと、いかにして、作家がそれぞれの個性によって構築した世界へ読者を誘いこむことができるかが大事だったわけで、その意味で描写は絶対に必要だったと思うんです。ところが、いまはそういう世界を作家がつくる必要がなくなってきたんじゃないかと。たとえば小説のなかに、ホテルやバー、喫茶店などが出てくるとしますね。それが主要なシーンである場合、いままでの僕らだと、ホテルならホテルの規模や状況を描かないことには、安心して、そこへ人物を置けなかったんですね。ところがいまは、ただのホテルだけでいいんですよ。
 日本ベストミステリー選集「偽装シンドローム」巻末、ミステリー鼎談より 1994初版

 今から三十年も前に、こんなことを言われていたのである。ただ、注意したいのは、描写を省いても良いのは売れっ子のプロ作家の場合であって、新人賞に応募しようという人は別であることだ。
 海外小説のようなくどい描写は必要ないだろうが、しっかりと外見・心理・風景描写はしておいた方がいい。そうしないと意識して描写を省いているというよりも、素人ゆえに描写が出来ないと思われる可能性があるからだ。
 このテーマに興味を持った方は、ミステリー小説を読むときに、その部分を意識してみるといいだろう。

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