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24 なるべく挿絵付き 夕顔の巻 夕顔の胸騒ぎ~聞き流す源氏

・ 怯える夕顔

いさよふ月に ゆくりなく あくがれむことを 女は思ひやすらひ とかくのたまふほど
にはかに 雲隠れて 明け行く空 いとをかし

女は山の端に彷徨う満月に魂がさらわれていくような気がして怖ろしがっています。
あれこれなだめているうちに月は隠れて、俄かに空は素晴らしく美しく明けていきます。

人目につかぬ内にと急ぎ出て、源氏は女を軽々と抱き上げて車に乗せます。

はしたなきほどに ならぬ先にと 例の 急ぎ出でたまひて 軽らかに うち乗せたまへれば

右近が付いて乗ります。

・ なにがしの院に着く

五条の近くのなにがしの院に着いて、管理人を待つ間、忍ぶ草の茂る荒れた門を見上げると例えようもなく暗く木が繁っています。

忍ぶ草茂りて

も深く、車の簾を上げているので袖もにひどく濡れました。

「夜も明けぬこんな暗い中、女を連れ出しての旅寝など私には初めてのことだ」「ここまであなたが離せなくなってしまうとはね」
以前の人もこうして東雲の道を恋に惑ったのだろうか(📖 いにしへも かくやは人の惑ひけむ 我がまだ知らぬ しののめの道)」

「あなたは前にもこんな風に男にさらわれたことがあるの?」と訊くと、
女は恥じらう人のように視線を逸らして
「山の端の心も知らずに行く月のように、寄る辺ない頼りない私の命はこの空に消えてしまいそう」「こわくてたまらないの」
(📖 山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ
    心細く)
と怯えた様子で呟きます。

源氏は、「あんなに立て込んだところで暮らしていれば人気のない広い屋敷は怖いのかもしれない」と、面白く思います。

心細くとて もの恐ろしう すごげに 思ひたれば
かの さし集ひたる 住まひの 慣らひならむと をかしく思す

女の全てが新鮮で、幼さまでも無垢な人と見えて可愛くてたまらないのです。

・ 右近は男の正体を知る

居間の用意をさせている間、轅を高欄に掛けて車の中で待っています。

右近は物語のような華やかな展開にときめいています。
頭中将が通ってきていた頃のことを思い出しています。

邸の管理人が恭しく慌ただしく準備に奔走している様を見て、右近は男の正体に気付きます。
六条のこの広大な院の主、、、即ち、尊貴富裕のあの御方である!と。

📌 女 恥ぢらひて

📖 「慣らひたまへりや」とのたまふ。女 恥ぢらひて「山の端の 心も知らで行く月は うはの空にて 影や絶えなむ]

「あなたは前にもこんな風に男にさらわれたことがあるの?」と訊くと女は恥じらった。
※恥じらったとは?
恥じらうかのように消え入らんばかりに言い淀んだというほどの意味なのか?
頭中将に連れ出された甘い過去を思い出した含みもあるのか?

📌 山の端の心も知らで行く月は うはの空にて 影や絶えなむ

「何をされるのかもわからないまま、あなたの心もわからないまま、知らないところにさらわれるのはとても怖いわ」

男に通われる女から 男に囲われる女に 立場が変わろうとしています。
十全な保護を受けられることと囲われ者として自由度を失うこととは表裏一体のことなのでしょうから、立場環境の激変する先の見えない未来への不安は当然なのでしょうが。

実は、『📖 うはの空にて 影や絶えなむ』とは、さらわれた見知らぬ出先で命を落としてしまうという運命の予感、予言そのものになっています。

それで、『📖 心細くとて もの恐ろしう すごげに思ひたれば』と続くわけですが、夕顔が可愛くてたまらない源氏は、その不安を本気に取らず、ただただますます可愛く思うばかりです。

山の端の心を相手の男の心とすると、
男の心がわからないまま連れて行かれるのでは心細くて死んでしまいそうと夕顔が言うのは、頭中将とは親密にわかり合っていた、と言っていることでもあるでしょうか。

📌 五条近くのおそろしげななにがしの院と言えば、当時の読者は皆すぐに六条河原院を思い浮かべたのでしょうか。

① なにがしの院と亡霊と美姫

源融が、陸奥の塩竃の風景を模した庭に毎月大阪湾から海水を運ばせるまでの贅を尽くしたのが六条の河原院です。
融の没後、子が宇多上皇に献上して仙洞御所となったそうですが、その後火災もあり荒廃したそうです。

📖 融の没後、子が宇多上皇に献上して仙洞御所となったのに融の亡霊が現れたので、上皇が「お前の息子に献上されたのだ」と仰ると亡霊は消えた。

📖 宇多上皇が美女の誉れ高い京極御息所と河原院にいると融の霊が現れ、「融にて候。御息所を賜らんとおもふ」と言うので、上皇は「臣下が何を言うか」と一喝された。霊は上皇の腰に抱きつき、御息所は失神して、宮中に運ばれ僧の祈祷で蘇生した。

📖 宇多上皇京極御息所を眺めているとと名乗る者が御息所を建物に引き入れ、引き戻された時に御息所は息絶えていた。

📖 90歳を超えた高僧が琵琶湖畔で瞑想修行してるところに京極御息所が通りかかってふと簾を上げるのを見て、上人は一瞬で恋に落ち妄執の人となってしまった。泣く泣く御所に参り木陰にずっと立っていたら憐れんだ御息所は御簾から白い手を出して上人の心を慰めた。

📖 宇多上皇は河原院の前には七条の亭子院におられたが、京極御息所はそこで元良親王と密通しており、露見した時に、元良親王が、諦めなければ身の破滅であるが、それでもどうしても今一度逢いたいと贈った熱烈な恋歌が、百人一首の
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はんとぞ思ふ』である。

京極御息所のお歳はわかりませんが、上皇の最初の御子を儲けた時に上皇は53歳、元良親王は30歳のようです。

② 源融と系図

源融は源氏物語の有力なモデルの一人と言われているそうで、臣下に降りた後、位人臣を極めます。
清和天皇の御代に応天門のことがあったり良房が亡くなったりで左大臣になったのが、
陽成天皇の御代に外戚たる格下右大臣の基経が摂政になって不貞腐れちゃって籠居していたのが、基経の死で復権したそうです。
基経が同母妹高子と不仲で、外戚の地位を捨ててまで陽成天皇を廃位させ奉り皇統が光孝系に移ったのかもしれません。

基経との不仲で早々と退位された後陽成院が儲けられたのが、京極御息所に恋の絶唱を贈った元良親王です。

河原院をめぐるお話。
絢爛と華やかで、メメント・モリ的でもあります。
源氏物語から100年以上も遡りますが、共有されたダークでロマンティックなお伽話になっていたのでしょうか。

になぞらえた死の予感が語られていますが、宇多上皇と京極御息所の月と死のエピソードに重なってしまいます。

眞斗通つぐ美



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