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朧月夜に似るものぞなき なんちゃって図像学『花宴』 (1,2,3,4)②99


・ 宴の後

夜が更けて宴は果てました。

公卿が皆退出し、藤壺中宮も春宮も御殿にお帰りになり、紫宸殿に静寂が戻りました。
二十日過ぎの月が明るく差し出ています。

二十日月  更待月


・ 帰りあぐねる源氏

源氏は、美しい月夜に、宴の後の虚脱感の混じった甘美なほろ酔い気分で、このまま桐壺の曹司に帰るのが惜しい気持ちです。

『春のブーケ』  ルノワール

「殿上の間の宿直も寝入っているだろう」
「こんな時だから、思いがけず后宮にお逢いできる隙があるかもしれない」

もし さりぬべき隙もや ある

と、藤壺の辺りを忍び足で窺いますが、

藤壺わたりを わりなう忍びて うかがひありけど

戸口も皆戸締りしてあって、手引きを頼めそうなよすがもありません。

藤壺わたりを わりなう忍びて うかがひありけど 語らふべき戸口も 鎖して


・ 弘徽殿の細殿

溜息をついて、このままでは帰れないような気分を持て余しています。

何かの拾い物でもないものかと、弘徽殿の細殿の方にふらふらと歩いて行くと、三の口が開いています。

弘徽殿女御は宴からそのまま清涼殿の上御局に参られたので、こちらに人は少ないようです。
奥の枢戸(くるるど)も開いていますが、人の気配はありません。

うち嘆きて なほあらじに 弘徽殿の細殿に 立ち寄りたまへれば 三の口開きたり
・・・ 奥の枢戸も開きて 人音もせず

「こう不用心だから男女の間違いが起こるのだ」「全く困ったものだ」
などと思いながら、
困った人の一人となって、源氏はそのまま枢戸の中を覗き込みます。

奥の枢戸も開きて 人音もせず  かやうにて 世の中のあやまちはするぞかしと思ひて
やをら 上りて覗きたまふ

女房たちなどは皆眠っているようです。

・ 朧月夜に似るものぞなき

その時です。
うら若く美しい声で、並々の身分とは思えない貴女らしい人が
「朧月夜に似るものぞなき」
と口ずさみながらこの戸口に近付いてくるではありませんか。

≪立派な源氏物語図 朧月夜が近付いて来る≫

🌷🌷🌷『朧月夜が近付いて来る』の場の目印の札を並べてみた ▼


源氏は有頂天で、素早く女の袖を掴みます。
女は怖がっている様子で、
「いやだわ、どなた?」と言います。

≪立派な源氏物語図 朧月夜の袖を引く≫

🌷🌷🌷『朧月夜の袖を引く』の場の目印の札を並べてみた ▼

源氏は、
「何がお厭なのです?」と、女を軽々と抱き上げます。
そうして優しく口説きながら物陰を探します。

📖 深き夜の あはれを知るも いる月の おぼろけならぬ 契りとぞ思ふ
  (夜更けの風情を知りました。この降り注ぐ月光は、並々ならぬ前世からの約束を示しているのでしょう)

・ 密事

誰もいない暗がりにひょいと入って、女を静かに降ろして戸を閉めます。

≪立派な源氏物語図 朧月夜との密事≫

🌷🌷🌷『朧月夜との密事』の場の目印の札を並べてみた ▼


🌷🌷🌷『朧月夜との密事2』の場の目印の札を並べてみた ▼


驚いて途方に暮れている女の様子はとても魅力的です。

『水浴びする女』  エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

震えながら「誰か来て」と人を呼びますが、
「私は誰からも何もかも許されている身なのです(まろは皆人に許されたれば)」

『ヘンリー8世』  ハンス・ホルバイン

「人を呼んでも何も変わりませんよ」
「ただ静かになさいませ」
という声に、女はこの男が源氏だと理解します。
少しだけ心が慰みます。
情けないと思う一方で、色気のない無粋な女と思われたくないとも思います。

酔いのせいで、源氏も抑制が効かなくなっていたのかもしれません。
女の方も、身を任せるのは本意でもないのですが、若くてなよやかで抵抗する術も知りません。

『ダナエ』  クリムト

何と可憐な人かと有頂天になっているうちに官能の時は一瞬に過ぎて、夜明けが迫ります。

『法悦のマグダラのマリア』  カラヴァッジョ

もう帰らなくてはなりませんが、後ろ髪を引かれます。
女の方はまして様々に思い乱れているようです。

「やはりお名前を教えてください」「このままでは文も差し上げられません」「これきりでいいなんて、あなたもお思いにならないでしょう?」
と源氏が言うと、

女は、
📖 憂き身 世に やがて消えなば 尋ねても 草の原をば 問はじとや思ふ
  (辛い私がこのままこの世から消えてしまっても、草の原を尋ねて探してくださるお気持ちはないのでしょう
と言います。

『後ろ姿の女』  サルバドール・ダリ

そんな様子も艶めかしく優美です。

源氏は、「確かに」「言い方が悪かった」
📖 いづれぞと のやどりを 分かむまに 小笹が原に 風もこそ吹け
  (どなただろうとお探ししているうちに世間に噂が立って仲が絶えるようなことがあってはいけないと思ったのです)
と慌てて言い足します。

『アモルとプシュケ』  フランソワ・ジェラール

「私の気持ちが御迷惑でないなら、お隠しにならなくても」
「もしや、私を騙すおつもりでしょうか」
などと言いも終わらぬうちに、女房達が起き出して騒がしくなってきました。

・ 扇の交換

女御の上っていた上御局との間の女房の行き来も入り乱れて来ました。
契りの印に扇だけ交換してそこを出ました。

扇ばかりを しるしに 取り換へて 出でたまひぬ

・ 桐壺に戻る

源氏が宮中に賜っている桐壺の曹司には仕えている人も多くて既に目覚めている人もいます。
「よくもまあこうお忍び歩きにお飽きにならないものですわね」と、つつき合いながら寝たふりをしています。

さも たゆみなき 御忍びありきかなと つきしろひつつ そら寝をぞ しあへる


源氏は床に就きますが、眠れません。

入りたまひて 臥したまへれど 寝入られず

「可愛らしい人だったなあ」
弘徽殿女御の妹御なのだろう」
「まだ処女であったから、右大臣家の五の君か六の君だろう」
「帥宮の北の方(三の君?)や、頭中将がお気に召さない四の君がお美しいということは聞いている」
「その人達相手ならもっと遊戯的な面白い恋ができたろうに」
「しかし、六の君は春宮に差し上げるおつもりだったそうだから、六の君なら、疵を付けて気の毒なことをしてしまった」

右大臣家の姫君たち

「厄介なことだ」「憚られる人だから、接触する道を探すのも難しい」
「これきりにしたいという様子でもなかったのに、どうして文を交わす手筈を教えてくれなかったのだろう」
など、いろいろ思われるのも、心惹かれているからこそなのでしょう。

こんな行きずりの恋に巡り逢うにつけても、
「あの方のお側にはいつも全く隙がないことだ」と、稀な方のことを思い比べます。

かのわたりのありさまの こよなう 奥まりたるはやと ありがたう 思ひ比べられたまふ


📌 この夜の源氏のコース周辺

紫宸殿、藤壺、弘徽殿 の 位置関係

弘徽殿の西廂を細殿というそうです。
(※細殿は簀子がなく直に遣り戸から入れる構造になっており、清涼殿に出勤する男性官人の通路に面した弘徽殿登華殿細殿男女の接点となる開放的な空間だった。 Wikipedia『弘徽殿』より)
簀子がない分、細いという感じなのでしょうか。

弘徽殿は、東西2間(庇・孫庇を入れて5間)、南北7間(庇を入れて9間)の規模だそうです。
細殿の外側に一間に一か所 遣戸引き戸)があるとすれば、細殿7間に4か所か5か所でしょうか。
どちらから数えるのか、その3番目の遣戸が開いていたということのようです。
その奥にもうひとつ 枢戸くるるど 開き戸)も開いていたようです。

弘徽殿の細殿

こちらの図で、右側①が弘徽殿、左側②が登花殿。
外壁が透けて描かれていますが、本当は下見張りの板張りで、そこに、4,5か所の遣戸部分があるのでしょう。
廂の外側に簀子というほどでもない、細い濡れ縁のようなものが描かれています。
地面に降りなくても、細殿を渡って廂の中に入れそうです。

📌 地面に降りた? 沓はどうしてる?

源氏は、「全くもう…」と思いながら、『やをら上りて覗きたまふ』とあります。
上ったのは、地面からなのか、濡れ縁的なところから、廂の間の段差を上ったのか
上の『承安五節絵』では、宴が果てて、清涼殿から出て渡殿で沓を履いて、肩脱ぎしてみんなで歩いて行ったということのようです。

源氏も紫宸殿から沓を履いて、階上をきょろきょろ覗きながら地面の上を歩いていたのでしょうか。
簀子を伝って行ったなら、紫宸殿に沓を脱ぎっぱなしというわけにもいかないでしょうから、簀子が土足厳禁なら、沓を抱えて歩かなくてはいけなくなりそうな気がします。
ちょっとお間抜けな姿かと思ってしまいます。

ポケット代わりに懐というか袍の打ち合わせに入れることはできそうな気はします。
汚れちゃいそうですが、忍び足の時にはそんなこともしたのでしょうか。

建物の外の階とか沓脱とかに沓を脱いで入ったら、ただいま逢引中とアナウンスしているみたいだし、
温明殿みたいな修羅場の時に沓を掴んで逃げ出すのも一手間だし。

どうされていたのでしょうか。

📌 朧月夜に似るものぞなき

※元の歌
📖 照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の 朧月夜に しくものぞなき
(新古今集 大江千里)
『しくものぞなき』という言い回しが漢詩文風なので、『似るものぞなき』と柔らかくしたのではないかということのようです。

女の子は可愛くなくっちゃね💕 うふ💕

📌 構図

源氏が外から暗い枢戸の中を覗いていると、外気を吸おうとでも思ったのか、姫君が奥から出て来るのですが、この場面は、姫君の後ろに桜と月が描かれることが多いようです。
源氏の方が屋内にいて、姫君は外廊下にいて扇をかざしている構図は原文とは矛盾しているかもしれません。

源氏は室内の物陰から見ているのではなく、 扉の外から覗き込んでいる

扇が出て来るのももう少し後ですね。

📌 沃る?

📖 深き夜の あはれを知るも いる月の おぼけならぬ 契りとぞ思ふ
  (夜更けの風情を知りました。この降り注ぐ月光は、並々ならぬ前世からの約束を示しているのでしょう)

二十日月真夜中近くに昇るようなので、朧月夜との出逢いの時には、まだ月の入る時間ではありません。
『いる月の』は、『入る月の』ではないのかもしれません。
入るは『る』ですから、居るの『る』ではありませんが、
沃るる』という古語があるそうです。
注ぐ、浴びせる、という意味だそうです。
出逢いの時に降るほどの月光を浴びせられたら、この関係は非凡な何かだと思うかもしれません。確かに。

眞斗通つぐ美

📌 まとめ

・ 朧月夜に似るものぞなき
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711320963365868027?s=20
・ 朧月夜の袖を引く
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711321683066507659?s=20
・ 朧月夜との密事
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711322412590280789?s=20
・ 朧月夜との密事 扇の交換
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711324536833012125?s=20

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