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髪削ぎ なんちゃって図像学『葵』(6)④106


・ どちらの貴婦人にも不満な源氏

賀茂祭当日です。
葵上は、今日は見物に出掛けません。

御禊の時の場所取りをめぐる争いのことを詳しく源氏に言い伝える人がいました。

かの御車の所争ひを まねび聞こゆる人ありければ

あの場にいたけれど、左大臣家と事を構えるの嫌さに見て見ないふりをしていた人でもありましょうか。

その様子を聞いて、源氏は、御息所のことを、とてもお気の毒に思います。

葵上のことは、
「威厳はあるのだが、情味に欠けて融通の利かない人だ」
「自分ではそれほどに憎んでいるというのでもないのに、妻妾の間は画然と分けるべきであるという世間の考え通りにしようという御心持ちになるのだろう」
「それが下の者に順繰りに伝わって行って、ついにはそんな狼藉をさせてしまったのだろう」
と飽き足らなく思います。

御息所のことは、
「こちらの気が引けるほどの教養のある貴婦人でいらっしゃるのに、どんなに嫌な思いをなさったことだろう」
とお気の毒に思います。

お慰めしようと六条にお見舞いに行きます。
斎宮がまだ宮中の初斎院にお入りにならず邸におられます」
「御潔斎中でございますから男性の御訪問は憚られます」

斎宮御潔斎のスケジュール

などと言って、御息所は出て来ません。

もっともなことだとは思うものの、
「どうして貴婦人というものはこうお二人ともよそよそしくなさるのか」
と源氏は鼻白んで独り言ちます。

なぞや かくかたみに そばそばしからで おはせかしと うちつぶやかれたまふ


・ 二条院で若紫の髪削ぎ

賀茂祭の当日には、葵上から離れて、二条院から見物に出掛けます。
まず西の対に行って、惟光に車の用意を命じます。

若紫の姫君についている女童達に、「女房の皆さんもお出掛けになるの?」とふざけながら、姫君がとても可愛らしくおめかししているのを微笑みながら見ています。

姫君は14歳です。
姫君の側に寄って、「あなたはどうしてもいらっしゃなければいけませんよ」「御一緒に御祭見物をしましょう」と言いながら、いつもより念入りに梳られて滑らかに輝く髪を愛しがって撫でます。

御髪の常よりもきよらに見ゆるを かきなでたまひて

ふと気付いたように、「長いこと切っていなかったね」「今日は髪を切るのにいい日なのではないかな」と言って、
それからすぐに陰陽寮の暦博士を呼んで、髪を切るのによい時間を調べさせます。

女房さん達は先にお出掛けなさい」と言って、立ち上がった女童達の可愛らしい立ち姿を見ると、髪の裾が愛らしく華やかに削がれていて、浮紋の表の袴にかかるのがくっきり見えます。

童の姿どものをかしげなるを御覧ず
いとらうたげなる髪どものすそ はなやかに削ぎわたして
浮紋の表の袴にかかれるほど けざやかに見ゆ

姫君のことは端々まで源氏の監督に拠っているので、姫君の髪削ぎは源氏の指示のあるまで待たれていたのでしょうか。

それから、姫君に向かって、「あなたの御髪は私が削いであげましょう」と言って、調髪のお道具を取りに遣ります。

源氏手づから鋏を取って愛しみながら、「おや困った」「髪の多い人だね」「大人になったらどんなに髪の豊かな美人におなりだろう」など言いながら、豊かな髪に少しずつ鋏を入れていきます。

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📖 君の御髪は 我削がむ とて「うたて 所狭うもあるかな」「いかに生ひやらむとすらむ」と削ぎわづらひたまふ

≪立派な源氏物語図 賀茂祭の日に髪削ぎ≫

🌷🌷🌷『若紫の髪削ぎをする源氏』の場の目印の札を並べてみた ▼

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「髪の長い人も前髪は少し短くするようだが、おくれ毛のなさ過ぎるのも風情がないでしょう」など言いながらためつすがめつして削ぎ終わると、
千尋」と予祝の詞を言います。

北山からずっと随いてお世話をしている少納言の乳母は、心配していたけれどこんなに大切にしていただけて、本当になんとありがたいことかと思っています。

・ あなたは私だけのものだよと詠む

「限りなく深い海底の海松のように髪が豊かに伸びていく。その末は私一人が、私だけが見るのだよ。
(📖 はかりなき 千尋の底の 海松ぶさの 生ひゆくすゑは 我のみぞ 見む)」

源氏が詠みかけるのを聞いた若紫は、
千尋ほども深いなんておっしゃるけれど、満ちたり引いたりする潮のように定まらないあなたのお気持ちをどうして知れましょう。信用できないわ
(📖 千尋とも いかでか 知らむ定めなく 満ち干る潮の のどけからぬに)」
と紙に書きつけています。

天真爛漫な晴れやかな若さも愛らしさもそのままに、艶っぽい洒落た返しをする機転も見せるようになってきた姫君の成長が、源氏は嬉しくてたまりません。


📌 髪削ぎ

若紫は数えの14歳です。
暦博士まで呼んでいますが、この髪削ぎに、儀式的な意味はどの程度あるのでしょうか。

男女共に。
『髪置き』
 2,3歳:髪を伸ばし始めるに当たって端を切り揃える。
『深曽木』、『髪削ぎ』
 4,5歳:髪置き後に生え揃った髪の毛先をもう一度整える。
『着袴』
 5,6歳:初めて袴を着けて、碁盤に乗り、青石を一つずつ両足指に挟み?踏みしめ?碁盤から跳び下りて、幼児から児童となる。

ということらしいのですが。

この後、秋には新枕ということがあり、その後に源氏が『裳着』の心配を始めます。
普通には、髪削ぎ、裳着、結婚、という順序かと思うのですが、
この物語では、髪削ぎ、結婚、裳着、という破格の順序になっています。

姫君の『裳着』の場面が定かに描かれることはありません。
新枕の後、裳着のことは世間に遍く知らせるのではないが、
内々で手厚い儀式の準備をし、父兵部卿宮にも姫君との結婚のことをお知らせしようと源氏が思う、とだけ書いてあります。

日常的なヘアカットに過ぎない髪削ぎではあったが、碁盤に乗せることで裳着の意味を持たせた、ということもあるのでしょうか。

📌 碁盤

源氏物語図では、この場面では若紫は碁盤の上に立っているのが約束事のようですが、本文には『碁盤』という言葉は出て来ません。
源氏物語図の多くは江戸時代に描かれているので、江戸時代の七五三の風習が盛り込まれるようになったのでしょうか。

若紫は母方には死なれ、父方には秘密にさらってきた子で、
あまりに幼い姫を連れ込んだという世評を怖れて世間に隠している子ですから、賓客を招いての盛大な祝いの儀式などはできません。

碁盤を描くことで、せめてもの順序を踏んでできるだけの敬意を示しているのだ、と仄めかすささやかな同情の絵かという気もするのですが、どうなのでしょうか。

📌 紫上と中宮彰子

紫式部さんが中宮彰子に出仕したのは、彰子19歳の年で、
葵上の出産のモデルになっているかもしれない、後の御一条天皇出産の年には彰子は21歳です。

若宮を抱く中宮彰子 五十日の祝  『紫式部日記絵詞』

紫上が数えの14歳、満年齢なら12歳で新枕ということを現代人は痛ましいことと思わないわけにいかないのですが、
彰子の入内は11歳、数えなら13歳でしょうか。
一条天皇はその8歳上で、紫上と源氏の年齢差と同じです。
理想の女性紫上が、8歳上の理想の男性光源氏と、14歳の年に結婚する、とは、理想の女性彰子が、8歳上の理想の男性一条天皇に、13歳の年に入内したのを意識した相似形なのでしょうか。
定子も、中関白道隆の娘で彰子の11歳上で、葵上が左大臣の娘で紫上の12歳上なこととまあまあ相似です。

信頼する家庭教師が、自分に擬した華やかな物語で自分に深く同情し賛美してくれていたのだとしたら、若い中宮の心はどれだけ慰められたことでしょう。

年齢関係 … 一条天皇と定子、彰子、源氏と葵上、紫上

(この表では、源氏物語の数え齢に合わせて、一条天皇、皇后定子、中宮彰子の年齢は単純に2歳ずつ加えています)

眞斗通つぐ美

📌 まとめ

・ 若紫の髪削ぎ
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711336599945150524?s=20

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