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賢木⑩ 高階さんって高飛車系? 飛翔する式部さん!


【高階さんち】

[定子様は高階氏に連なる]

😦あら、定子様の母方の高階氏って!
🤔遡って、皇后定子の母君の儀同三司の母 貴子様は、斎宮恬子内親王の在原業平との不義の子を隠すという不敬を働いた高階氏の末裔なので、

≪ 敦康親王と高階氏 ≫

🤔その子である皇后定子の生した敦康親王は皇位にふさわしくない、って、藤原行成様が奏上なさったのよね。

≪ 藤原行成 ≫

🤔定子様が御出家なさったんだかなんだか有耶無耶のままでも、道長様方の皇子方が、大手を振って春宮になられる決定打になったのかしら。

[高階氏、調子に乗り過ぎ?]

😦貴子様の父君高階成忠様は、文章生から始められて一条天皇様の春宮時代の御教育係になられて、一条天皇様の御即位と共に公卿に列したという方のようね。
😦だからなのかしら。貴子様も円融天皇様の御代に内侍として出仕して、詩文漢才にも長けた有名人でいらしたらしいわ。
😦時系列で言えば、道隆様と貴子様の御結婚 → 成忠様が一条天皇様の御教育係に → 成忠様従三位(公卿) → 定子様入内 となるようね。
😦お血筋なのか御教育なのか、伊周様定子様の御兄姉弟妹は、眉目秀麗な上に学問がお出来になったのね。
😮文章生から中宮様の外祖父って、、新興のおうちだったのにその勢いでは、目障りに思う方も多かったのかしら。
😣😣😣ああ!

[枕草子 積善寺(しゃくぜんじ)での高階貴子様の傲慢?]

🤔枕草子は、定子様称揚の為に書かれた御本だと思っていたのだけれど。だけど…。
😮積善寺での件?
😮そうそう!
😦道隆様の建立された積善寺の一切経御供養の日のことね?
😦女院詮子様も行啓あそばす盛大な御供養だったのだけど。
😦道隆様と貴子様と、中宮定子様 の他にも 三条天皇様の女御冷泉天皇様の親王様のお妃 だったり、一条天皇様の御匣殿別当 だったりする姫君方も御一緒の御桟敷で。

≪ 道隆と貴子の子 ≫

😦姫君方は、定子様を先頭に、皆様、唐衣(からぎぬ)に釵子(さいし)の御正装でいらしたのに、
😮貴子様は、は着けていらしたけど、上着が短い唐衣でなく、小袿でいらしたのね。

≪ 裳、唐衣、釵子 と 小袿 ≫

😮こうして見ると、貴子様、おうち感出過ぎかも?💦

😦は主人の前で使用人が着けているものなのよね。
😦物語の方だけど、前に、惟光さんが、夕顔さんのおうちを覗いた時に、「裳を着けた女がいるから、女主人が在宅しているようです」みたいなこと言ってたわよ。
😦平安時代の御装束のヒエラルキーってちょっと不思議で、偉い方ほど緩い感じでいらっしゃるのよね。
🤔小袿の方が唐衣より楽な格好と言われても実感は持てないけれど、短い唐衣の方が、カッチリしてる感じなのかしらねえ。
😠道隆様は、貴子様のラフな小袿姿にピリッと来られたんでしょうけど、「中宮様の御前で小袿とは何事です!」なんてことはおっしゃらずに、関白夫人として正三位でいらっしゃる貴子様に暗に御注意なさるの。
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   📖原文「三位の君、宮の御裳ぬがせ給へ」「この中の主君には、わが君こそおはしませ」「御桟敷の前に陣屋据ゑさせ給へる、おぼろげのことかは」
   📖概訳「正三位の奥様、中宮様の裳をお取りしてくださいな」「ここにいる中で一番お偉いのは中宮様なのですからね」「中宮様の御桟敷だから警護の陣屋まで設けてあるのです。大変なことなのです(だからね、その辺の御自覚よろしく!)」
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🤔帝の中宮より、産んだアタシの方が偉いのよ感?

[Cf. 紫式部日記 五十日祝での倫子様の御正装]

😱貴子様のこの御無礼を踏まえた上での、紫式部日記五十日の祝の、倫子様の御描写が出て来るのかしら!
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   📖原文 御帳の内にて、殿の上抱き移したてまつりたまひて、ゐざり出ださせたまへる灯影の御様、けはひ、ことにめでたし。赤色の唐の御衣、地摺の御裳、うるはしく装束きたまへるも、かたじけなくもあはれに見ゆ。
   📖概訳 御帳台の中で、倫子様が若宮を(禁色を許されて正装の乳母から)お抱き取りになって、膝行して出て来られる御様子はまことに御立派である。赤色の唐衣に地摺の御裳もきちんとお召しなのも、もったいなくも素晴らしいと拝見する。

≪ 『紫式部日記絵巻 五十日祝』 ≫

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😮あらま、ほとんど対句じゃない?!
🤪わあああ!式部さん、シレッと割とエグいこと、お書きになってる??
😦『紫式部日記絵巻』で、右側が彰子様で、左側の若宮様をお抱きになっていらっしゃるのが倫子様ね。
😦『大宮は葡萄染めの五重の御衣 蘇芳の御小袿たてまつれり』とあるから、彰子様は唐衣も裳もお召しになっていないのね。
😦彰子様、赤いベストみたいなのをお召しに見えるけど、これが蘇芳の御小袿?
😦唐衣と言われたらそんな気もするけれど、わからないわねえ。
😦一方倫子様は、『赤色の唐の御衣、地摺の御裳、うるはしく装束きたまへるも、かたじけなくもあはれに見ゆ』というのだけど、
😦赤色の唐衣?丈は短そうだけど、お袖が大きくない?よくわからないけれど、でも、御ははっきりしてらっしゃるわ。
😦挿絵というわけではないから多少文面と違ったりするのかしらね。
😦それでも、倫子様の御装束のきちんとしてらっしゃることは、すっごく強調されてる?
😮清少納言さんは、定子様命だけど、貴子様のことは、ちょっとアレだったのかしら。
😦貴子様、学問できるけど、雑なヤツとか嫌なヤツとかいう感じなのかしら。
😮あらでも、学問がお好きで大らかって、そのまま定子様への賛辞でもあるわよ。
😮たしかに!
😮好意的に見るか意地悪な目で見るかだけのことなのかしら。
🤪🤪🤪どうなのかしらねえ。わからないわねえ。

【飛翔する紫式部さん】

😮ねえ、ところで、紫式部さんって、往生要集暗記なさってたらしいわよ。
😀さすが!だけど、式部さんなら驚かないわねえ!
😦宇治十帖の横川の僧都が往生要集の源信様をモデルになさってるとかって?
😣地獄こわいよ~~😱っていう御本なんでしょ?
🤔暗記するほど熟読してらした挙句に、描かれた横川の僧都は何となくふらついてるとこあるし、

≪ 浮舟を発見 ≫

🤔源氏は大修法の最中に帝の後宮と不義を働いてしまうし…。

🤔紫式部さんって、仏道をそこまで信頼なさってなかったのかしら。
😮桜花の宴の後、源氏は、朧月夜の姫君に「まろは、皆人に許されたれば」と言ってのけたのだけれど。
🤔ずっとその自負がベースにあるのかしらね。
🤪人間中心主義というか、アンタが大将というか…。

🤔帝の遊ばす五壇の御修法の時にさえ天をも畏れない源氏のことを、なんだかすごくアナーキーだなと思ったけど、、、
🤪つまりは、紫式部さんが実は結構アナーキーでいらしたということにならない?

🤔同時代の実資様も大往生の時の御出家を拒否なさったというし。
😮平安時代にも結構無神論者のインテリはいた、的なこと??
😮なんかすごい…。

🤔それにしても、同時代の人達が、恐ろしい地獄のお話も源氏物語も一緒に読んでたって、、考えたらすごいことだわねえ。
😀世界最古の小説、世界最古の恋愛小説、世界最古の心理小説、なんかそんなものと、地獄と救済のお話を同時に読んでるって、ほんと、なんかすごいわね!
😮😮😮ほんとねえ。

この部分の周辺に関する動画です。
🌷youtube 五壇法の陰で 朧月夜との密通


🌷youtube 紫式部日記『五十日祝』


                        眞斗通つぐ美


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