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73なるべく図解付き 末摘花の巻⑪ 雪嵐の翌朝 姫君を見る 黒貂の毛皮


・ 雪の夜明け

ようやく夜が明けた気配で、源氏は自分で格子を上げます。
一夜にして前栽から向こうの方まで、広々と荒涼と、深山のように清らかな白一色の雪に覆われています。
足跡ひとつありません。

からうして明けぬるけしきなれば
格子手づから上げたまひて 前の前栽の雪を見たまふ

奥山のような一面の雪の清浄さは、訪問客どころか世話する下人の一人もいないことを示すのですから、気の毒になって、振り捨てて帰ってしまうことはできない気がしました。

振り返って姫君に呼び掛けます。「ねえ、雪嵐の後の空の風情をご覧なさいな」

をかしきほどの空も見たまへ

そして、反応のない姫君の方に向かって、「いつまでも そのように よそよそしくなさるのが、私には辛いのですよ」と恨み言を言います。

まだ仄暗いのですが、婿君様 が雪明りでますます美しく若々しく✨きらきら✨と輝かしく見えるのを老女房たちは満面の笑みで見上げています。

女房たちが、「早くお出なさいませ」「いけませんわ、素直になさらなければ」など急かすと、
姫君は、人の言うことに逆らえない方なので、あれこれ身繕いしていざり出て来ました。

・ 末摘花の姫君を盗み見る

源氏は、出てきた姫君の方を見ないで雪景色ばかり眺めている風を装っていますが、盗み見しようと横目遣いに必死です。

見ぬやうにて 外の方を眺めたまへれど 後目は ただならず

「どんな方なんだろう」「打ち解けたら気付かなかった美点が見えるようになった、というようなら嬉しかろうなあ」など思っています。
わがままなことです。(📖 あながちなる御心なりや)

🌟まず目についたのは座高の高さです。
闇の中でまさぐった時の普通でない感触の腑に落ちなさが、今その人を眼前にしてみると符合してきて、「こういうことだったのか」と次々に得心がゆきます。

🌟胴の長さの次に目が留まったのは、見たこともないようなです。
仏画に見る普賢菩薩のお乗りになる象という獣の鼻のようだとでもいうのか、驚くほど高く長く、先の方が少し垂れて赤くなっているのが、特に異様な感じです。

普賢菩薩の乗物とおぼゆ
あさましう高うのびらかに 先の方すこし垂りて色づきたること ことのほかにうたてあり

🌟顔色は雪も恥じるばかりに白く青みががってさえいます。

🌟は殊の外広くて、それでも下の方が長く大きく見えるので余程長い顔なのでしょう。

🌟気の毒なほど骨と皮ばかりに痩せ細って、肩の辺りなどは着物の上からも痛そうに見えるほど骨ばって見えます。

見なきゃよかったなあ…」「どうしてこう隈なくすっかり見てしまったのだろう」と思う一方で、
珍しさからつい目が行ってしまいます。

🌟頭の形髪のかかり具合などは、源氏が日頃美人と思っている人たちにも負けない美しさです。
たっぷりたまった見事な黒髪が袿の裾から更に一尺も余っているようです。

お召し物のことをあれこれ言うのははしたないことですが、昔物語にも登場人物の御装束のことはまず言うようですので、ここで姫君の御装束のことを申し上げます。

🌟聴し色(ゆるしいろ)のひどく色褪せて白ばんでいる五衣に、
元の色もわからないほど黒ずんだを重ねて、
贅沢に香を焚きしめた黒貂の皮衣表着に羽織っています。
昔風の由緒ある御装束ですが、若い女性のお召し物としては、時代遅れで似つかわしくなく、いかめしくひどく目立ちます。
でも確かにこの毛皮がなければさぞ寒いだろうと見えるお顔色なので、源氏は気の毒に思います。

聴し色のわりなう上白みたる一襲 なごりなう黒き袿重ねて
表着には黒貂の皮衣 いときよらに香ばしきを着たまへり

源氏は気の毒で何も言えなくなって、自分まで無言の人になったような気がしてしまいますが、何とか姫君の口を開かせようと、努めてあれこれ話しかけます。
ひどく恥じらって口を覆う仕草が野暮ったく古めかしくて肘を張るのが大仰で、儀式官の練り歩く時の肘が思われます。
少し笑ったりしても取ってつけたようでどうにも落ち着かない感じです。

いたう恥ぢらひて 口おほひしたまへるさへ ひなび古めかしう ことことしく
儀式官の練り出でたる臂もちおぼえて
さすがにうち笑みたまへるけしきはしたなうすずろびたり

源氏は居たたまれず、十六夜の初夜よりも早く出ていこうとしています。

「お世話なさる御親族もおられない御方と思いこうして御縁を結んだ私なのですから、遠慮なさらず打ち解けてくだされば本望ですのに」「心を開いてくださらないのが辛いのです」などと、姫君のせいにしています。

「朝日が差して軒のつららは溶けましたのに、溶けないつららがあるのはなぜなのでしょう。お心が解けますように。 (📖 朝日さす 軒の垂氷は 解けながら などか つららの 結ぼほるらむ)」と詠みかけると、
姫君は、ただ、「むむ」と照れ隠しのように笑うだけで、返歌も出なそうなので、気の毒になって出ていきました。

…………………
📌 聴し色(ゆるしいろ)
高価なベニバナをたっぷり使って染めた濃い紅色は禁色(きんじき)とされましたが、
規定量のベニバナで染めた淡いピンク色は聴し色とされ、許可なく着ることができたそうです。

📌 黒貂の皮衣を表着に
表着というのは上に着る着物の形の上着のようです。
黒貂とはセーブルと同じことだそうです。
ふるき と読むこともあるようです。
聖武天皇から醍醐天皇の御代まで渤海国との貿易というか朝貢的なことがあって、ロシアンセーブルの毛皮が超貴重品として日本に入って来ていたそうです。

渤海国との交渉

レディス用の ふるき があったのかどうか。十二単と言わず男性用の袍でも袖を入れ込むとなると、相当大きな袖が必要かと思うのですが。それでは大きく重くなり過ぎるような気もします。袖のないベスト的なものだったり唐衣的な袖の短いショート丈のものだったりした可能性もあるでしょうか。
表着と呼ぶからには、丈の長い大きな袖のロシアンセーブルのコートと考えるべきでしょうか。(📖 表着には 黒貂の皮衣 いときよらに香ばしきを着たまへり)
渤海国との交渉は醍醐帝の時代に終わっているので、現代から遡るなら 戦前の上流階級の蔵から出て来る傷んだ高級毛皮 ぐらいの感じになるのでしょうか。時間感覚はだいぶ違うのでしょうが。
100年前の栄光の残渣、時代遅れの古びた超高級品、という感じが同時代には共有されていたのだろうかと想像されます。
毛皮のところだけ、いときよらに香ばしきとあるのは、もしかしたら、虫除けの意味もあったのだろうかと考えてみたりします。

・醍醐天皇の第四皇子重明親王は三品式部卿の華やかな方だったようですが、渤海使との会見に黒貂の毛皮を8枚着て、渤海使を恐れ入らせたというエピソードがあるそうです。毛皮を8枚着るというのがどんな状態か想像することもできませんが。

重明親王

・紫式部さんの祖母世代には醍醐天皇の後宮がお二人いらしたようなので、過去の栄光の残渣たる古びたふるきの毛皮を身近に見ていたのかと想像したりもします。虫干しとかの折にでも?

醍醐天皇の後宮と紫式部

・かぐや姫の試練の一つである 火鼠の皮衣 も、ロシアンセーブルの毛皮が異世界から来る超高級品であるという共通認識の中で生まれたこの世ならぬ宝物ということだったのでしょうか。
(📖 世の人々、「阿部の大臣、火鼠の皮衣持ていまして、かぐや姫にすみ給ふとな」「ここにやいます」など問ふ。ある人の言はく、「皮は火にくべて焼きたりしかば、めらめらと焼けにしかば、かぐや姫あひ給はず」と言ひければ、これを聞きてぞ、とげなきものをば、「あへなし」と言ひける)

眞斗通つぐ美

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