89なるべく挿絵付き 紅葉賀巻⑩ 藤壺宮の若宮との還御 🌺撫子の歌の贈答
・ 藤壺宮の若宮との還御
四月になって、漸く、藤壺宮が若宮と参内します。
若宮は普通より大きくお育ちで、生後二か月ですが、寝返りなどもなさりそうです。
紛れようもなく、驚くほど源氏に似ています。
帝は、不義など思いも寄られぬことなので、
「並びなく美しい人同士はこう似るものなのだな」と思します。
…………………
(📌 源氏と若宮の容貌の相似)
表向きの関係でも実際の血縁でも、
よく似ている母方と、親子関係のある父方、ということで、
源氏と若宮が似ていても不思議はないのかと思います。
…………………
帝は若宮を大層大切に、この上なくお慈しみです。
源氏を限りなく御鍾愛なさりながら、世情により立太子がおできにならなかったどころか源氏に降ろしさえ遊ばした御無念が今も宸襟を去りません。
源氏が、臣下として置くには惜しい見目かたち、堂々たる佇まいの人に長ずるのを御覧になるにつけ、不憫と思されます。
「源氏の母は按察使大納言の娘であったからこんなことにもなったのだが、
若宮の母はこの上ない皇女の御身分なのだから、同じに光り輝くように生まれたこの子は、今度こそ疵なき玉である」と思し召して大切になさいます。
母となった藤壺宮は、心休まる暇もなく、いつも心穏やかならず、不安が尽きないでいます。
・ 管絃の御遊び 若宮との対面
飛香舎(藤壺)での管絃の御遊びに、帝はいつものように源氏をお召しになります。
そして、帝御自ら若宮を抱いてお出ましになりました。
畏れ多い若宮との初対面です。
帝は、「御子は沢山いるが、こんな小さな時から明け暮れ見て来たのは、あなたとこの子だけだ」「だからそう思うのかもしれないが、全くよく似ている」「小さいうちは皆こんなものだろうか」
など仰せです。
若宮を大層愛しく可愛く思し召しです。
源氏は、青ざめる思いです。
恐ろしくも、もったいなくも、嬉しくも、しみじみと身に沁みるようにも、思いは揺れ動き、涙がこぼれそうです。
お喋りするように声を立てたり笑ったりする乳呑み子があまりに愛らしく美しいので、この人に似ているというのなら、我が身をも重んじてやらなくてはなどと思います。
ちょっとどうかと思いますが、源氏も父となって舞い上がっているのでしょうか。
藤壺宮は、どうしようもなく居たたまれず冷たい汗が流れます。
・ 辞去する源氏
源氏は、愛おしい御子にも恋しい方にも、公の態度以上に近付けないことが生殺しのようであまりに辛く、ひどく心が乱れて御前を辞しました。
・ 二条院で
二条院に帰って休みます。
「胸の轟きが治まってから葵の上のいる御殿に行こう」と考えます。
・ 撫子の歌の贈答
前栽が青々と見渡される中に、撫子の花が、愛し子が生い立つように、華やかに咲いています。
それを折らせて、王命婦のところに届けさせます。
命婦を介して宮に届けたいのです。
撫子を添える文に書く言葉は、思いと同様に尽きないようです。
🌺①「常夏(床撫づ)の花の名であなた様を思い、撫子の花の名で若宮を思いなぞらえて見ています。あなた様にお逢いできない辛さに、撫子の花の露よりももっと、涙が袖を濡らしています」
🌺②「若宮がお生まれになればとの希望もございましたが、お生まれになってみれば、やはりどうにもならないことでございます」
とあります。
人のいない隙にでもお見せしたのか、命婦は宮に、
🌺③「どうぞほんの少しだけでもお返事を差し上げてくださいませ」「この花びらに載せる塵ばかりでも」と申し上げます。
宮もしみじみ物悲しく思われる頃で、
🌺④「袖を濡らしている方の御子と思うにつけて疎ましくも、また我が子であれば疎むこともできない大和撫子…」
とだけ、書きかけたようなのをそこに置き去りにします。
命婦はそれを心嬉しく源氏に届けました。
いつも通りにお返事もあるまいと気落ちしてぼんやりしているところに宮のお返事が届いたので、源氏の胸は高鳴ります。
あまりに嬉しく涙がこぼれました。
📌 常夏は撫子の異名です。
📌 旧暦4月とは、2023年のカレンダーでは、5月20日から6月17日に当たるようです。
藤壺宮と若宮が宮中に戻られた4月、常夏の別の名ですが、ヤマトナデシコが咲いてもおかしくはなさそうです。
📌 源氏から藤壺宮に
🌺①「常夏(床撫づ)の花の名であなた様を思い、撫子の花の名で若宮を思いなぞらえて見ています。あなた様にお逢いできない辛さに、撫子の花の露よりももっと、涙が袖を濡らしています
(📖 よそへつつ 見るに 心はなぐさまで 露けさ まさる 撫子の花)
引歌は、
🌼①「義孝よ、あなたが会いに来てくれないから、あなたによそえて撫子の花を見ているけれど、露ほども慰められない。どうしたらよいのか」
「📖 よそへつつ見れど 露だになぐさまず いかがはすべき 撫子の花 新古今集 恵子女王)」
冷泉帝には正妃がおられたが、帝の狂気を怖れて近付かず、女御懐子のみが子を生された。 その懐子に随いて出仕していた母恵子女王が、容姿に優れ仏への帰依の深い息子義孝に、会いたい、会いに来てほしい、と願う歌。
義孝は、百人一首の、 📖君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思ひけるかな の歌を詠んだ夭逝の美男。
📌 源氏から藤壺宮に 続けて
🌺②「若宮がお生まれになればとの希望もございましたが、お生まれになってみれば、やはりどうにもならないことでございます
(📖 花に咲かなむと…)」
引歌は、
🌼②「我が庭の垣根に植えた撫子よ 花が咲いてほしい 咲いたらあなたによそえて見ようと思っているのだ
(📖 我が宿の 垣根に植ゑし 撫子は 花に咲かなむ よそへつつ見む
後撰集 詠み人しらず)」
📌 王命婦が藤壺宮に
🌺③「どうぞほんの少しだけでもお返事を差し上げてくださいませ」「塵ひとつ積もらせない床撫づの花でもございましょうが、どうぞ、塵ばかりのお返事を差し上げてくださいませ
(📖 ただ塵ばかりこの花びらに)」
引歌は、
🌼③「塵ひとつ積もらせないように、咲いた時から夜離れなく妻と寝ている床撫づの花です
(📖 塵をだに 据ゑじとぞ思ふ 咲きしより いもとわがぬる 常夏の花
古今集 凡河内躬恒)」
📌 藤壺宮が書きさして置いた
🌺④「袖を濡らしている方の御子と思うにつけて疎ましくも、また我が子であれば疎むこともできない大和撫子…」
(📖 袖濡るる 露のゆかりと 思ふにも なほ疎まれぬ 大和撫子)」
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(📖 よそへつつ 見るに 心はなぐさまで 露けさ まさる 撫子の花 源氏からの文)
📌 だいぶ先の『常夏の巻』で、六条院で、源氏が若公達を引き連れて、夕霧は真面目で困ると言いながら玉鬘を(見せないけど)見せびらかしている場面です。
余計な前栽など植えず、籬にいろいろな撫子を床しく結んでいるという景色です。
撫子の目立つ源氏物語図です。
(📖 御前に 乱れがはしき前栽なども 植ゑさせたまはず 撫子の色を ととのへたる 唐の 大和の 籬いとなつかしく結ひなして 咲き乱れたる夕ばえ いみじく見ゆ)
眞斗通つぐ美
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