77なるべく挿絵付き 末摘花の巻⑮ 常陸宮邸のその後
・ 源氏が台盤所を覗く
翌日、命婦が清涼殿の台盤所に出仕しているところに源氏が顔を見せます。
「ほら、昨日のお返事だよ」「何だか気が張ってしまったよ」と文を投げてよこします。
他の女官たちは、「何事ですの?」と興味津々ですが、
源氏は、「ただ梅の花の色のごと」「三笠の山の をとめをば 捨てて」と口ずさみながら行ってしまいます。
姫君の秘密を共有している共犯意識から、命婦は思わず笑みを洩らしてしまうのですが、女官たちはそれを見逃しません。
「あら、何をニヤニヤしてらっしゃるの?」と、みんなで責めます。
「いいえ、何でもないの」「鼻が赤くなっている人でもご覧になったのかしら。霜が降りるような寒い朝なんかに」「いろいろな歌をちょっとずつ摘まんでお歌いになるんですもの。困ってしまうわ」と命婦が言っても、
「あら、そんなことおっしゃるかしら」「こちらには赤鼻の人なんかいないじゃない」「左近の命婦さんや肥後の采女さんなんかが一緒にいらした時のお話なのかしらね」
などと、何だか腑に落ちないまま、女官たちは言い合っています。
・ 常陸宮邸では 文を見て
姫君の最高傑作のお歌と御装束をお贈りしたののお返事が、命婦にことづけられて来たので、
常陸宮邸では、女房たちが集まってうっとりと、きららかな婿君様からのお文を見ています。
「ただでも衣に邪魔されて素肌を重ねることができないのに、こうして更に、衣で二人の間を隔てて、お逢いできない夜を重ねろとおっしゃるのでしょうか。冷たいお方だ。
(📖逢はぬ夜を へだつるなかの衣手に 重ねて いとど 見もし 見よとや)」
白い紙にさりげなく書いてあるのがとても風流な感じがします。
・ 常陸宮邸では 衣装箱を見て
大晦日の夕方になると、
直衣を入れて数日前にこちらから源氏に届けた衣装箱に、
よそから贈られた御衣裳一揃い、葡萄染(えびぞめ)の織物の御衣裳、他に山吹襲やら何やら、色とりどりに入れて「御料」と書いたのを、
命婦が源氏のそれとないお返しの代理として母屋に差し上げます。
老女房たちは、妻が夫の衣服を世話するという習いに反して、しかもやたらに華やかな立派な装束が婿君の方から贈られたので、
「こちらから差し上げた御衣裳のお色がよくないとお思いになって当てつけていらっしゃるのかしら」と思いはするものの、
「あれだって紅色が重々しくてよかったわ」「こちらのお手柄が消えるものではありませんよ」と決め込んで譲りません。
「御歌だって、こちらから差し上げたのは筋が通ってしっかりしたものでしたとも」
「御返歌の方は、何をおっしゃっているのかよくわからなくて技巧ばかり勝っているような御歌ですわ」
などと、口々に言っています。
姫君も、あの唐衣の歌は格別に苦心して詠み出した自信作ですから、手元に書き残しておきました。
📖 唐衣 君が心のつらければ 袂はかくぞ そぼちつつのみ
源氏の頭がクエスチョンマークでいっぱいになって途方に暮れたことなどは知らぬが仏というものです。
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📌 たたらめの花のごと
「ただ梅の花の色のごと」「三笠の山の をとめをば 捨てて」
・ただうめ は たたらめ の写し間違いではないかと。
・即ち、何やら口ずさみながら去った源氏は、前半では、『たたらめの花のごと 掻練好むや滅紫(けしむらさき)の色好むや』の風俗歌を引用して、
鼻が掻練のように赤い姫君を捨てて、紫のゆかりの姫君を愛する、と呟いているのかも。
・後半では、三笠山の春日大社も常陸の鹿島神社も 武甕槌大神タケミカヅチを同じく御祭神とするので、女官たちにわざわざ常陸宮邸との関係をアナウンスしないためにワンクッション置いた連想で、『常陸宮の姫を捨てて』を『三笠の山のをとめをば捨てて』と、婉曲に呟いているのだとか。
・たたらめ は、 別名 ウスバサイシン というのだそうです。
・たたらめ の花は若い掻練色から成熟した滅紫色に変わるらしいです。
野山に自然に咲く花のページ 様 ⇅
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📌 台盤所
台盤所とは何なのでしょう。
資料があまりないようなのですが。
台所のような語感ですが、煮炊きの火や水が殿上にあるのかどうか。
台盤所は母屋の西側に隣接していますから、火気の危険はもちろん、調理の物音やにおいなどを、御帳台まである隣室でさせては畏れ多いような気がしますから、まず台所ではなさそうな気がします。
厨房ではなく配膳室という可能性はあるでしょうか。
『枕草子 清涼殿の丑寅のすみの』の動線図を再掲しますが、帝は上御局から台盤(テーブル)のある身舎(母屋)に移動遊ばして御食事なさるようでした。
帝が定子と上御局でくつろいでいらっしゃる時に、
昼御座の方には、昼食の準備をする者達の足音や警固の声が響いています。
最後の御盤を運んだ蔵人が、準備が整いましてございますと奏上するので、帝は、食堂にお出ましになります。
『📖 昼の御座のかたには 御膳まゐる足音たかし 警蹕など おし といふこゑきこゆるも うらうらとのどかなる日のけしきなど いみじうをかしきに 果ての御盤とりたる蔵人まゐりて 御膳奏すれば なかの戸よりわたらせ給ふ』
台盤所は、台所ではなく、配膳室のようでもあるのですが、女官の詰所でもあるようです。
お上の御食事の調整をするので、畳も置いたきちんとした部屋で、配膳をする台盤が置いてある。
階下から地下人に運ばれた御料理を受け取って、女官がここで台盤(テーブル)に並べたのでしょうか。
御食事時以外は御用のない部屋だけど、居心地がよいので、配膳室がそのうち女官の詰所になった、というようなことがあるでしょうか。
ステレオタイプな会社の描写で女子社員が給湯室に溜まってお喋りしているようなのの豪華版みたいな。
江戸吉原遊郭の客の食事で、料理の並べられた大きな朱塗りの台ごと運ばれる台の物という形があったそうですが。
清涼殿の説明図で、身舎にも台盤所にも、赤い四角いテーブルの上に小さな白い丸い皿が並んだ同じような台盤が置かれているのを見るのですが。
清涼殿の台盤も、江戸吉原の台の物のように、台盤所できれいに並べられたテーブルごと運ばれるようなものだったのでしょうか。
(それで女官でなく蔵人が登場する?)
それとも台盤所の台盤に一度並べた料理をお盆に移して少しずつ母屋の台盤まで運んだのでしょうか。
大輔の命婦が調理をしたとも思えません。
隣室にお盆を運ぶぐらいのことはしたかもしれませんが。
御食事時以外で少なくとも配膳室として使われていない時間帯には、お召しがなければここに溜まって控えていた…。
台盤所 = 女官の詰所、とは、そんな感じのことでしょうか。
眞斗通つぐ美
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