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六条御息所の生霊 なるべく図解付き『葵』⑦109


・ 御息所の深まる苦悩

葵上の物の怪の障りはひどくなるばかりです。

六条御息所の生霊の祟りか」「左大臣を恨んで亡くなられた六条御息所の父大臣の死霊の祟りか」など言っている人がいると、御息所の耳に入ります。

御息所は教養高く自尊心の強い人ですから、
「我が身ひとつの嘆きは確かに苦しく深いけれど」
人を呪う心など身に覚えはないのに」
と、不本意極まりない気持ちです。

でも、
「物思いに魂が抜け出るというように」
私の怨念が知らぬ間にこの身を抜け出して正夫人を苦しめているのだろうか」
と、はっと思い当たりもするのです。

何年もの間ずっと物思いの限りを尽くしてきましたが、この頃のようにこんな風に乱れ苦しんだことはありませんでした。
御禊の日に、正夫人が自分に一顧だにせず、人でもない者のように無視黙殺したあの時以来、
何かちょっとした折節に魂が抜け出ていったまま鎮まらなくなることがあります。
少しまどろむと、その正夫人かと思われる佳人が大変清らかに謹んで寝んでいる所に魂が飛んで行ってしまうようなのです。
その人の体中のあちこちを苛み弄んでいるうちに、今まで経験のないひたすらに烈しく残虐な心が湧いて来て、乱暴に打ち揺さぶってしまうような夢を見てしまう、そんなことが度重なってきました。

「何という情けないことか」
「本当に、私の心は身を捨てて出て行ってしまうのだろうか」

人を悪しかれなど思ふ心もなけれど もの思ひにあくがるなる魂は



正気でなくなっていると自分でわかる時もあります。

「何でもないことでも人のことはよく言わない世間なのに、こんなことがあってはまして…」「人はどんなに嫌な噂をすることだろう」と思います。
愛人の魂が抜け出て正妻の身を苛んでいたなどとは、噂好きの世間が見逃せない鮮やかな不祥事です。

前坊の姫君を儲けて尊貴の列に加わっている我が身が、齢下の最高の貴公子の愛人となって中途半端な位置に置かれたままでいます。
その最高の貴公子の愛を得られぬまま嫉妬に狂い尊貴の身から転落する様とは、世間の好餌以外の何物でもないことでしょう。

亡くなった後に恨みを残すのは世間によくあることとはいえ、それだって人として罪深いことである」
「それが、まして、こうして生きている自分がそんな疎ましいことを言われるとは、前世の因縁の何と辛いことか」

悩み巡って、
「もうあの人のことを想うのは金輪際やめよう」と思います。
しかしまた、思うまいと思うことも思うことなのです。
(📖 思ふもものをなり)

『焔』  上村松園


斎宮は、去年内裏の初斎院にお入りになることになっていましたが、差し障ることがいろいろあって、この秋にお入りになります。
9月にはそのまま嵯峨野の野宮にお移りになるので、その前の再度の御禊の準備に忙殺されているべき時に、
御息所がただ妙にぼんやりして床に就いているので、斎宮関係の役人達はこれは一大事と祈祷など様々にさせています。


御息所は、今日明日にも危ないというようではないのですが、はっきりしないまま月日を過ごしています。
源氏は見舞いの文を欠かしませんが、懐胎した正妻の心配が勝りますから、御息所を訪問するまでの心の余裕はないようです。


📌 私の怨念が知らぬ間にこの身を抜け出して

(📖 もの思ひにあくがるなる魂は)

🌺 思ひあまり出でにし魂のあるならむ 夜深く 見えば 魂結びせよ
  
恋しさに思い余って私の体から出て行く魂があるのだろう。夜深くに見たら魂結びのまじないをしてください。
(※ むかし、男、みそかに通ふ女ありけり。それがもとより、「今宵、夢になむ見えたまひつる」と言へりければ、男、思ひあまり いでにし魂の あるならむ 夜深く見えば 魂結びせよ 『伊勢物語110段』)
(※ 魂結び …魂がからだから浮かれ出るのを結びとどめるまじない。また、「袋草紙」によると、人魂に出会ったときは、「魂は見つ主は誰とも知らねども結びとどめよ下がひのつま」という歌を三度唱え、男は左、女は右の褄を結び、3日後にこれを解く風習があったという。≪コトバンクより≫)

🌺 物思へば 沢の螢も 我が身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る
(和泉式部集、後拾遺和歌集)
  物思いしていると、沢の蛍も我が身からさまよい出た魂かと見える。

📌 私の心は身を捨てて出て行ってしまう

🌺 身を捨てて 行きやしにけむ 思ふより 外なるものは 心なりけり
(古今集 凡河内躬恒)
  私の心は身を捨ててどこかに行ってしまったのだろうか。思いに任せないのが心である。

📌 思うまいと思うことも思うこと
🌺 
思はじと 思ふも 物を思ふなり 言はじと言ふも これも言ふなり
🌺 思はじと 思ふも 物を思ふなり 思はじとだに 思はじやなぞ

御譲位の後、
・斎院の初斎院は4月から2年、それから紫野の斎宮御所。
・斎宮の初斎院は秋から1年。それから嵯峨野の野宮、それから伊勢神宮に下向。
ということのようです。
  御息所の姫君の斎宮の初斎院は1年延期されたと言います。御譲位の時期がはっきりしないのですが、下段に近いのでしょうか。


Cf. 関白賀茂詣  『年中行事絵巻』より 
(斎院の御禊の日の場面に載せ遅れました)

関白が一門の公卿、殿上人らを従えて賀茂下社に向かう。
中央の枇榔毛の車が関白の車。6人の車副。 後ろに検非違使と白張の雑色。
檜皮葺の馬場屋の中の関白達が走馬をみる。
関白が禊。


眞斗通つぐ美

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