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賢木① 六条御息所と暁の別れ 神域で禁忌の愛 ~賢木の巻より


🌷 動画

はじめに。
この部分の副音声的動画です。

噂好きの都のすずめが、ずんだ餅の妖精ずんだもんに、源氏物語について勝手なことを話しています。

🌷 六条御息所は伊勢下向を決める

つれなしつくれど おのづから見知りぬ
さばかりにては さな言はせそ 大将殿をぞ 豪家には思ひきこゆらむ
つひに 御車ども立て続けつれば ひとだまひの奥におしやられて 物も見えず

正夫人葵上が亡くなったので、

君は 西のつまの高欄におしかかりて 霜枯れの前栽見たまふほどなりけり 風荒らかに吹き
時雨さとしたるほど 涙もあらそふ心地して  雨となり雲とやなりにけむ 今は知らず
と うちひとりごちて 頬杖つきたまへる…

世間も屋敷の者も、次の正夫人は、身分にも教養にも容貌にも不足のない六条御息所であろうとかまびすしい。
しかし、葵上に取り憑いているおぞましい姿をありありと見てしまった源氏は、

嘆きわび 空に乱るるわが魂を 結びとどめよ したがひのつま
とのたまふ声 けはひ その人にもあらず 変はりたまへり
いとあやしと思しめぐらすに ただ かの御息所なりけり

六条御息所が厭わしくなって、すっかり疎遠になってしまっている。

御息所は、若い恋人の心の離れたのは自らのあさましさの故でもあろうかとやり場のない悲嘆に暮れて、
斎宮に卜定された姫君について伊勢に下向して、

斎宮と御息所と朱雀帝の関係

こちらから源氏と明らかな距離を取ろう、こちらから源氏を捨ててしまおう、と思い決める。

焔 上村松園

源氏は、悲観した御息所が、斎宮の姫君について伊勢に下ると聞いて、

群行

もう逢えないと思うと俄かに惜しくなり逢いたくなり、

逃がした魚

姫君が潔斎中の嵯峨野の野宮を訪れた。
伊勢への群行の出発も迫った九月七日のことである。

🌷 九月七日夕べの野宮訪問

上弦の七日月の月の出と入り

七日の月は昼に出て、夕方にかけて空高く昇り、真夜中に沈む)
遥かな野辺の道はしみじみと美しい。
秋の野は、草も枯れ花も萎れかかって虫がすだき松風が吹き合わせる中に、野宮の方から絶え絶えに楽の音が聞こえて、素晴らしい風情である。

遥けき野辺を分け入りたまふより いとものあはれなり  秋の花 みな衰へつつ 浅茅が原も
枯れ枯れなる虫の音に 松風 すごく吹きあはせて
そのこととも聞き分かれぬほどに 物の音ども絶え絶え聞こえたる

微行であるが、源氏は装いを凝らしている。

野宮小柴垣を外囲いにして、板屋がそこここにあるのがいかにもかりそめであるが、皮を剥かないままの黒木の鳥居はさすがに神々しく見えて気後れせんばかりである。

紙本墨画淡彩野々宮図 岩佐又兵衛


神官がそこここにかたまって、何か話したり咳などしているのは物珍しい景色である。篝火の小屋がかすかに光って、人気も少なくしんみりした気配が漂っている。
あの人が、姫君の潔斎について、世間を離れてこんな寂しいところに幾月もいたのだと思うとつくづくと痛ましく思えて来る。

火焼屋 かすかに光りて 人気すくなく しめじめとして
ここにもの思はしき人の 月日を隔てたまへらむほどを思しやるに いといみじうあはれに心苦し


🌷 案内を乞う

北の対の目立たぬところに立って案内を乞うと、楽の音が絶えて、

遊びはみなやめて、心にくきけはひ、あまた聞こゆ

若い女らしい衣擦れの音が聞こえて来る。
しかし、取次ぎの女房が出て来て何人も替わっても、御息所は一向に出て来る様子がない。

源氏は不満である。
(源氏は23歳近衛大将である)

かうやうの歩きも 今はつきなきほどになりにてはべるを 思ほし知らば
かう 注連のほかには もてなしたまはで

🔷「今はもう、こう軽々しく夜歩きのできる身でもなくなっているのです」「こんな風に屋外に晒し置かれている不面目をお察しください」「直にお逢いしてお話ししたいことが沢山あるのです」

懇切に頼むと、女房たちが、このままではあんまりお気の毒でございますととりなすが、

御息所は、
🔴「このままではここの者達に見苦しかろうが、言われるままに年甲斐もなく出て行けば、今更に見っともないことである」
と思って踏みとどまっていた。

🌷 強引な源氏、負けてしまう御息所

しかし、
いろいろ思うにつけて億劫ではあるが、ぴしゃりと冷淡な態度を取るようなこともできない人なので、
溜息をつきながら躊躇しながら、端近にいざり出て行く。
その様子は大変にエレガントでゆかしい。

🔷「お部屋に上げていただけないまでも、お縁側まではお許しいただけましょうか」
ちょっと嫌味に強引に、源氏は簀子に上がってしまう。

こなたは 簀子ばかりの許されははべりや とて 上りゐたまへり

上弦の月が華やかに照る中にいる源氏の様子は素晴らしく艶やかで、他にたとえようもない素晴らしさである。

上弦の七日月の月の出と入り

夜離れを詫びるのも面映ゆく、源氏は、その辺りの榊の枝を手折って御簾の下から差し入れる。

榊をいささか折りて 持ちたまへりけるを 挿し入れて

🔷「常緑の変わらぬ心で禁制の垣根も越えて来たのに、冷たい御方だ」

御息所はここではまだ気強く堪えている。
🔴「この神域には目印の杉の木もございません」「お招きした覚えもございませんのに、何をお間違えになっての榊の枝でございましょう」
神垣は しるしの杉もなきものを いかにまがへて 折れる榊ぞ
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 📖引歌:古今集 詠み人知らず
 『我が庵は 三輪の山もと 恋しくは 訪らひ来ませ 杉立てる門
  …私が恋しくなったら三輪山の麓の杉の木を目印にいらしてくださいな⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧⇧

🔷「少女子が袖を振るという榊葉を慕って来たのですよ」
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 📖引歌:拾遺集 柿本人麻呂
 『少女子が 袖振る山の瑞垣の 久しき世より 思ひ染めてき をみなごが そでふるやまのみづかきの ひさしきよより おもひそめてき』
  …乙女が袖を振るという布留山(ふるやま)の瑞垣(みづかき=立派な垣根)のように、ずっと以前からあなたを恋い慕ってきたのです。
 📖引歌:貫之集 紀貫之
 『置く霜に 色も変らぬ榊葉の薫るや 人のとめてきつらむ
  …霜が置いても ふたごころなく 色も変わらず忠実な 常緑の榊の香りを求めて 人は来たのだろうか。
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辺りの神聖な空気は憚られるが、源氏は御簾を引き被るようにして、下長押に押し入っている。

おほかたのけはひわづらはしけれど 御簾ばかりはひき着て 長押におしかかりてゐたまへり

恋の主導権が自分の方にあると慢心していた頃にはそれ程にも思っていなかったのが、更に、そのうちに、葵上の事件で気持ちも冷めて通いも絶えていたのだが、
しかし、

逃がした魚

久しぶりに逢ってみると来し方のあれこれが思われ、この貴婦人が遠く伊勢に去ってしまうのだと思うと心細くなって、源氏は泣いてしまう。
心を強く持とうとしていた御息所の方も堪え切れない様子になるので、源氏はますます苦しくなって、伊勢行きを思いとどまるように搔き口説く。

上弦の七日月の月の出と入り

月も沈んでしまったのか、しみじみと暗い色の空を見ながら、源氏は尽きることなく、御息所の冷淡さを責め嘆き、怨み言を重ねる。
それを聞いていると、御息所の積もった恨めしさも晴れて行くようである。

🔴「こうなるとわかっていたから、もう逢わないと決めていたのに」
危惧の通りに、逢ってしまえば恋情の惑いの戻ってしまう御息所である。

殿上の若君達などうち連れて とかく立ちわづらふなる庭のたたずまひ

洗練された人として名高い御息所が入ってからは、野宮は、トレンドに敏感な殿上人が朝な夕なに通いたがる風流の聖地のようになっていた。
若公達が風情を求めて訪れては立ち去り難くなるような優艶な庭を前にして、
あらん限りの恋の物想いを尽くした二人の仲で交わされた言葉を、ここに言い尽くすことなど到底できない。

やうやう明けゆく空のけしき ことさらに作り出でたらむやうなり

この二人の別れの為に特別に誂えでもしたかのように格別の風情で、少しずつ空が白んでいく。

🌷 暁の別れ

🔷暁の別れはいつだって悲しいが、あなたの心変わりの辛さばかりは、かつて知らなかったものです
暁の別れは いつも露けきを こは世に知らぬ秋の空かな

もう帰らなければならないが、源氏は帰り難くて、御息所の手を握りしめて離せないでいる。とても優しく典雅である。

出でがてに 御手をとらへてやすらひたまへる いみじうなつかし

風が冷たく吹いて、松虫の声も鳴き枯らして、悲しみを深めるようだ。

明け行く空もはしたなうて 出でたまふ 道のほどいと露けし

あの優雅な美人を失ってしまうのだという悔いに苛まれながら、朝の人目を怖れて出て行く源氏の帰る野道は朝露に濡れている。
源氏も泣き濡れて帰って行く。

🌷 野宮の人たち

残された御息所も、さっきまでの逢瀬が忘れられず物思いに耽っている。

女も え心強からず 名残あはれにて 眺めたまふ

若い女房たちは、月影に仄見えた源氏の姿、気配を思って、錯乱せんばかりにほめそやしている。

ほの見たてまつりたまへる月影の御容貌 なほとまれる匂ひなど
若き人びとは身にしめて あやまちも しつべく めできこゆ

「あの方をお見掛けできなくなる国になんか行きたくない」と、深い心もなく涙ぐみ合っている。

                        眞斗通つぐ美



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