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賢木④ 御息所の悲愁、別れの御櫛、源氏の感傷


🌷葱華輦(そうかれん)

夕方になって、参内なさるの。
御息所は、葱華輦(そうかれん)という斎宮の輿に陪席しているんだけど、
葱華輦は、帝、皇后、春宮の行幸啓の時にお乗りになる輿で、屋根に金色の葱の花の飾りが付いているの。
輿だから、車ではなく人が担ぐの。

神にお仕えする斎宮は、それ程の御身分だということなんでしょうね。

陪席ってなんなのだ?


陪席は、偉い人に同席することね。
御息所は春宮の御子を産んだ人だけど、

その御子のなられた斎宮は神にお仕えする宮だから、斎宮の方が偉いことになるのかしらね。

その偉い輿に乗ることも、御息所には物思いの種になってしまうの。
春宮がお隠れにならず帝の地位にお就きになっておられれば、御息所は皇后として葱華輦に乗る可能性さえあったのかもしれない、ということなのかしら。

御息所は父大臣家の希望の星のように大切にかしずかれていたのに、

悲運の果てに、こうして、我が子ではあるが、斎宮の陪乗者としてこの輿に乗っていることを考えてしまって、悲しくも感無量になるの。

16歳で春宮の後宮に参ったのが、20歳で先立たれて、遺児の女王姫君をお守りしながら、誇り高い寡婦として暮らしてきてね、30歳になって今日、付き添いとして、10年ぶりに参内したのよ。

📖『そのかみを 今日はかけじと忍ぶれど 心のうちに ものぞ悲しき』
  …昔を思い出すまいと堪えているけれど、心の底では悲しく思われてならない

🌷帝の恋

斎宮は14におなりで、とてもお可愛らしい上に、正装で煌びやかに装われて、この世ならぬお美しさなので、
斎宮を送り出される朱雀の帝は御心を奪われてしまうの。

🌷別小櫛

帝は斎宮を奉るとの詔の後、別小櫛(わかれのおぐし)と言って、
召し寄せた斎宮の釵子(さいし、おすべらかしの前面に挿すかんざし)の下に、
帝が御自ら柘植の櫛を挿されて、
「都に戻ってはなりません」とお告げになって、儀式が終わるの。

斎宮はまた輿に乗って去られるのだけど、この時に、帝も斎宮も決して振り返ってはならない決まりがあるの。
帝は斎宮の美しさに打たれるのと同時のお別れなので、涙をお流しになってお別れを惜しまれるの。

帝 御心動きて 別れの櫛たてまつりたまふほど いとあはれにて しほたれさせたまひぬ


🌷御出発を待つ車たち

御出発を待って、朝堂院に並んでいる同行の女房達の車からこぼれる袖口の色合いなども、斬新でありながらとてもゆかしくて、

出でたまふを待ちたてまつるとて 八省に立て続けたる出車どもの袖口
色あひも 目馴れぬさまに 心にくきけしきなれば

要するに、やっぱり御息所は凄くセンスがいいの。
車に寄ってそれぞれの恋人たちと別れを惜しむ殿上人も多くて、それもなんだか華やかなことよね。

🌷群行の御出発

暗くなってから 御行列は出発するの。
東京極大路まで勅使がお送りするんだけど、
その後も続けて伊勢まで供奉する公卿級のお見送りの勅使もいて、長奉送使(ちょうぶそうし)といったようね。

源氏の二条院は、二条大路と洞院大路の角にあるので、群行が門前を通るのよ。
それで、源氏は何だかすごくしみじみとしちゃって、榊の枝に挿した歌を贈るの。

大将の君 いとあはれに思されて 榊にさして

📖『振り捨てて 今日は行くとも 鈴鹿川 八十瀬の波に 袖は濡れじや』
  …今日は私を棄てて行かれるけれど、伊勢までいらして鈴鹿川の波で袖を濡らすのではありませんか

はあ?!これは御息所宛てなのか? 自信満々なのだ!


ほんとねえ。
でも、お手紙貰ったってね、もうすっかり暗くなってからのことだし、

旅の取り込みの中だから、翌日に逢坂の関の向こうからお返事があったの。📖『鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず 伊勢まで誰れか思ひおこせむ』
  …鈴鹿川の波に濡れるとか濡れないとか、遠い伊勢のことまでどなたが心配してくださるのでしょうか

随分突き放してないか?  遊戯的な意地悪ではなさそうなのだ。


言葉少なな御息所のお手紙の筆跡の優美なのを見て、
源氏は、「もうちょっと可愛げがあればなあ」なんて思うの。

えええ?! 旅も昔の旅だからものすごく大変だったろうに、思いやりがなさ過ぎるのだ!


そうねえ。
都と伊勢は、直線距離だって100km、山あり谷ありだし、垂水斎王頓宮で御櫛(みぐし)を納めた後の 鈴鹿峠越え が、特に大変だというし、

それを5泊6日で、何だか硬そうな輿で行かれるのよ。
女房、女官は歩きみたいだしねえ。
葱華輦は12人で担いでいたのかしらね。
まあとにかく大変そうよね。

🌷源氏の感傷

二条院では霧が立ち込めててね、源氏は、何かいつもと違って見える明けの空を眺めながら独り言を言うの。

📖『行く方を 眺めもやらむ この秋は 逢坂山を 霧 な隔てそ』
  …この秋は、あの人の行ってしまった逢坂山の方をずっと眺めて暮らそう。霧よ、隠すなよ。

若紫のいる西の対にも足が向かず、
誰のせいというわけでもないんだけど、何か寂しく物思いをして過ごすの。
旅の空の人は、ましてどんなにか物憂いことだろうと思ったりもするの。

若紫さんが可哀想ではないのか。


そうよねえ。
無理矢理の新枕は去年の十月のようだもの。
まだ一年も経っていないの。

いい気なものなのだ。


そうねえ。ほんとにねえ。
でも、この後に諒闇があり、この秋には実際、華々しい事件はなかったの。
その御不例の憂鬱が、この時の源氏の気持ちに影を落としていたこともあったのかもしれないわ。

そう思ったら、源氏という人の孤独がちょっと胸に迫ってきちゃったりするのだ…。


そうねえ…。
親も亡く祖父母も亡く、元服以来の正妻も亡くし、華やかな境遇だけど本当は天涯孤独になっちゃうのだものね。
人妻の空蝉が夫の任地に去り、親友の愛人だったらしき夕顔を亡くしたという青春の事件も、もう6年も前のことだし、
朧月夜とは密通状態、藤壺宮はもちろんのこと、頼れる人は誰もいないのよね。
藤壺宮と共に春宮を守らなければならないし、若紫末摘花も自分が守る側という関係はあるし、妻を亡くして婿殿としての縁は切れたみたいになってはいるけれど、左大臣家では遺児が育っているのだし、
優しい花散里だって、文通相手の朝顔宮だっているし、

旧知の御息所を棄てるのも自分でしていることだからね。
古い仲だし、知的な趣味の友としては最高だから続けたい人なんだけど、
一緒にいて安らぐような愛しさを感じることはできないので、離れる誠実ということもあるのかもしれないんだけどねえ。
源氏の置かれているこの孤独が同情すべきことなのかどうか、よくわからないところはあるのだけど。

うっかり同情しちゃうところだったのだ!


でも何か虚無みたいの感じちゃうの。
気のせいかしらねえ…。

                       眞斗通つぐ美

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