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15 風流 春をひさぐ家(夕顔)

・ をちこちびとにもの申す

板塀に這う夕顔の花を見て、源氏は車中で一人『をちこちびとにもの申す』と口ずさみました。

📖 元は 古今集 旋頭歌(せどうか)だそうです。
男が白く咲くを見て、(多分)遊女に向かって
うちわたす をちこちびと にもの申す われ そのそこに 白く咲ける花は なにの花ぞも
「ねえ、そこの人、そこに咲いてる白い花は何? 」
と問いかけると(ナンパし掛けると)、
女は、「春になれば真っ先に咲く花よ、いくら見てても見飽きない花だけど、ただじゃ教えられないわ」と戯れ返す。

元々遊戯感あふれる状況ですね。
夕顔の家の構えを見て『をちこちびとに』とふと口をついて出た源氏に、春をひさぐ 下級の家 という心理はなかったのでしょうか。

・ 風流を仕掛けたのは誰?

これに置きて参らせよ。"枝"も 情けなげなめる花を
「これに載せてあちらの君に差し上げてくださいな」
「(をちこちびとの歌の梅と違って)枝もないこの花では格好つきませんもの」

と、扇を差し出す女童に、古今集を踏まえた風流な女主人が窺われてグッと来たという文脈かと思いますが。

「あなたなのね?!」みたいな歌を夕顔が書いて女童に指示したなんて、受容の人と見える夕顔にしては違和感がないでしょうか。
惟光の言っていた悪くない気の利いた若女房( いと口惜しうはあらぬ若人ども)の指図でしょうか。
女主人本人の筆でなくても代筆する女房から主人の程度が推測できるというコンセンサスのある社会だったのでしょうか。
代筆だろうけれど、これだけのセンスの女房がいるなら女主人もさぞかし…と想像させると言うのか。
夕顔は結局源氏に心を開かず、言葉少なながら相当辛辣なことを言っているので、内気な夕顔というイメージがそもそも違うのかもしれないのですが。
頭中将が本当に恋しくて思わず手すさびにに書いたのを、女房が目ざとく見つけて使ったのかもしれないし。
でも、前駆もなくやつした車で、とはいうものの暫く顔出しちゃってますから、一列に並んですだれからおでこが出るほど背伸びしてずっと通りを覗いている女房達には、頭中将ではないことは初めからわかっているのですよね。

・ 頭中将をどの程度信じているのか

この家の人たちは、頭中将の迎えを信じているのか、頭中将はもう無理かもしれないから誰か次の目ぼしい後見者を捉まえようとしているのか。
源氏に対する戯れかけを見ると頭中将一筋でもないようにも見えますが、
五条辺りの人待ち顔な女という評判が立つのを期待しているのかもしれないし。

想像力或いは妄想で進めていく 手探りの恋 の時代に妄想は尽きません。

                        眞斗通つぐ美


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