見出し画像

74なんちゃって図像学(11,12) 末摘花の巻⑫ 雪払い 済民の思想


・ 舞い散る松の雪

車を寄せてある中門(ちゅうもん)は、ひどく傾いて崩れかかっています。

来た時には夜目ではっきり見えず、あれこれのボロも目につきませんでしたが。
ひどく寂しく、気の毒に荒れている中、松の雪だけは暖かそうに降り積んでいます。
山里にいるようで身に染む光景です。

雨夜の品定めで左馬頭が言っていた葎の門とはこういうところのことだったのだろうな」
「確かに、気の毒な身の上可憐な人をこんな所に置いて、心に離れぬような恋をしていたいものだ」
あの方への許されぬ想いも、そんなことで少しは紛れるのではないだろうか」
「しかし、理想的な荒れ邸なのに、あの御容貌ではなあ、いいとこなしだ」
「しかし、あんな御容貌だからこそ、我慢して通ってやれる男は私以外にはいないのだろうな」
「こんな成り行きも、故宮様の御心配のあまりのお引き合わせなのだろう」
などと思います。

橘の木が雪に埋もれているのを、随身に払わせます。
松の枝が、羨まし気に、自力で跳ね起きて、さっとこぼれます。
ふと、「名に立つ末の…」の歌が源氏の心に浮かび、「こんな時に、深い教養でなくていいから、流暢に風流を交わせる人がいたらなあ」などと思います。
…………………
📌
📖 我が袖は 名に立つ末の松山か 空より波の 越えぬ日はなし (後撰集)
📖 君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ (古今集)
歌枕として名高い 末の松山 は大津波も越えることができないと言うが、私が浮気心を抱くことなど、その 末の松山 を波が越えるほどにあり得ない、私は一途なのです(古今集)→ でも、あなたの方の浮気心で、私の袖は毎日、空から降って来る波に越えられている 末の松山 ほどにも涙で濡れています(後撰集)
源氏は自分の末摘花に対する気持ちがあだし心だと自覚していて、松の枝が跳ねた拍子に雪が舞ったのを、末の松山を越える波に、自分で見立てたのです。
こんな時に、自分のあだし心を当意即妙に責めてみせるような気の利いた女房でもいればなあ、と思います。
…………………

≪立派な源氏物語図 橘の雪を払わせる≫

🌷🌷🌷『橘の雪を払わせる』の場の目印の札を並べてみた ▼


・ 年老いた門番と若い女への同情

牛車を出す外郭の門はまだ開いていないので、供人が鍵の番人を探しに行くと、老いさらばえた男が出て来ました。
娘なのか孫なのか判然としない若い女も一緒に出て来ます。
みすぼらしい煤けた着物が、雪との対照で一層黒ずんで見えて、大層寒そうです。
妙な容器に小さな火を入れた行火(あんか)のようなものを袖にくるんで持っています。

門番が鍵をうまく開けられないので、娘が近寄って手伝いますが、なかなか開きません。
源氏の供人が近寄って開けました。

≪立派な源氏物語図 老門番と行火を持った娘と随身≫

🌷🌷🌷『老門番と行火を持った娘』の場の目印の札を並べてみた ▼

源氏は老いた門番と幼げな女を見て同情します。
「年古る老人の 雪に降られた白髪頭 を見ると、私の袖も朝から涙に濡れる(📖 降りにける 頭の雪を見る人も 劣らず濡らす 朝の袖かな)」
と詠った後、
幼き者は形蔽れず」と呟きます。
…………………
貧窮問答歌のような、白楽天の『重賦』(重税)という詩です。
歳暮天地閉 陰風生破村 夜深煙火尽 霰雪白紛々 
幼者形不蔽 老者体無温 悲喘与寒気 併入鼻中辛
 
 年が暮れて天地が閉ざされ、北風が村を荒らし
 深夜には竈の火も尽き、霰も雪も紛々と白い
 幼い者は身を覆う物もなく、老人の体は冷え切っている
 寒気が鼻を刺し、咳き込み嘆く
…………………

・ 姫君の鼻を思い出して微笑む

寒さに震える貧し気な老人と若い女に同情して呟いた詩なのですが、白楽天の詩の『悲喘與寒氣 並入鼻中辛』まで至ると、姫君の寒そうに紅くなっていた鼻をふと思い出して可笑しくなってしまいました。

「頭中将がこの人を見たら何に譬えるだろうか」「いつも私から目を離さない人だから、そのうちに見つかってしまうだろうが、どうしようもないなあ」と思います。

頭中将に これを見せたらむ時 いかなることをよそへ言はむ
常にうかがひ来れば 今見つけられなむと  術なう思す


・ ずっと姫君の世話をする決意

世間並の容貌の方なら、このまま棄ててしまってもよかったのですが、見目を余さずはっきり見てしまった今となっては、却ってとても気の毒になってしまった源氏です。
いつも気に掛けて何くれとない援助をして、明け暮れにこまめに文もやります。

黒貂の毛皮などではなく絹、綾に綿など、老女房たちの着料や老門番の為の物まで、上から下まで区別なく思い遣って送りました。
こんな暮らし向きのこまごました世話をされても、姫君は恥じ入ったりもしないようなので気持ちが軽くなりました。
源氏は、「この方の親代わりともなって生活の後見者になろう」と決意します。
姫君があまりに世間知らずなことが源氏の気を楽にします。
普通ではしないような、風変わりなほどに立ち入った世話もするのでした。

・ 品にもよらじ 容貌をばさらにも言はじ

空蝉の女が油断していたあの宵に覗き見た容貌は相当に感心しないものだったが、美しい挙措に隠れて、全体には悪くなかった」
「この姫君は、あの女に劣るような身分の方ではあるまいに」
「確かに女は家柄などではないのだな」と、雨夜の品定めの時に左馬頭の言った「結局、家柄でもないし、更に容貌でもないのです (📖 今は ただ 品にもよらじ 容貌をば さらにも言はじ)」という言葉を改めて思い出して得心するのです。

そして、なよやかに見えるあの女に、忌々しくも、負けて終わったのだったなと、空蝉のことを折々に思い出しては懐かしがる源氏でした。

…………………

📌『重賦』 白楽天

漢学に精通した式部さんは白氏文集にも造詣が深く、その中の済民思想にも強く影響を受け、それが顕著に見えるのが、この段でもあるようです。

貧しく身を覆う衣服もない民、鼻を紅くして寒さに震えている末摘花の姫君、煤けた着物で老門番を手伝う孫かとも見える若い娘
北風に荒れた村、あちこち毀れて葎の門たる末摘花の邸
年を経て塵となる、宮の栄光は今は雲散霧消して廃れ果てている

式部さんは、『重賦』の詩と末摘花を重ねます。
末摘花の貧窮を救済することを源氏は決意し、末の老門番にまで至る手厚い保護を与えます。
…………………
厚地植桑麻 所要濟生民
生民理布帛 所求活一身
身外充征賦 上以奉君親
國家定兩稅 本意在愛人
厥初防其淫 明勅内外臣
稅外加一物 皆以枉法論
奈何歲月久 貪吏得因循
浚我以求寵 斂索無冬春
織絹未成匹 繰絲未盈斤
裏胥迫我納 不許暫逡巡
歲暮天地閉 陰風生破村
夜深煙火盡 霰雪白紛紛
幼者形不蔽 老者體無溫
悲喘與寒氣 並入鼻中辛
昨日輸殘稅 因窺官庫門
繒帛如山積 絲絮如雲屯
號為羨餘物 隨月獻至尊
奪我身上暖 買爾眼前恩
進入瓊林庫 歲久化為塵

大地に桑や麻を植えるのは、民を救済する為である
民が布、絹を織るのは、生活を立てる為である

我が身を養う以上の物は、君に奉る
国家が税制を定めたのは、本来民を愛する為である

初めにはみだりな取り立てを防ぐ為に、役人に勅命があった
余分な取り立てには全て法で罰せられた

歳月を経るうちに、欲深い役人は元に戻ってしまった
苛税を賄賂にして出世を求め、取り立てには冬も春もない
絹を織って一疋にもならぬうち、糸を繰って一斤にもならぬうち、
役人は納税を迫り、一刻も待たない

年が暮れて天地が閉ざされ、北風が村を荒らす
深夜には竈の火も尽き、霰も雪も紛々と白い
幼い者は身を覆う物もなく、老人の体は冷え切っている
寒気が鼻を刺し、咳き込み嘆く

昨日残りの税を納めに行き、官庫を覗いた
絹が山と積まれ、糸も真綿も雲のようである
余ったと称して、君に献上したものである
我等の暖を奪って、自分等の眼前の恩寵を得ようとしている
瓊林の庫に入れてみたところで、久しく年を経ればただ塵となるのみである
…………………

眞斗通つぐ美

📌 まとめ

・ 橘の雪を払わせる
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711300190538485783?s=20
・ 老門番と行火を持った娘
https://x.com/Tokonatsu54/status/1711303030937940336?s=20


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?