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25 なるべく挿絵付き 夕顔の巻 鳰鳥の貪る夜~別にそれほどでも


・ 西の対に上がる

仄かに明るくなって来た頃に準備が整い車を降りました。
部屋はこざっぱりと整えられていました。
管理人は左大臣家にも出入りしている顔見知りの下家司なので、
「お供の方があまりおられないようでございますが、どなたかお召しになるのがよろしゅうございましょうか?」と右近に取り次ぎを頼みます。
源氏は、「いやいや、わざわざ人の来ない隠れ家に来たのだから、私がここにいることは誰にも言うなよ」と口留めします。

下家司は、急いで粥などは用意させたものの、給仕の手回しまでは間に合わずあたふたしています。

・ 鳰鳥の 息長川は

17歳の源氏は、朝餉のことなどどうでもよくて、誰憚らぬ初めての旅寝のこの場所で、これからこの女と、思う存分放縦に過ごすこと以外考えられなくなっています。

「尽きぬ愛を交わそう」
📖 鳰鳥の 息長川は 絶えぬとも 君に語らふこと 尽きめやも
       ※鳰鳥(におどり)、息長川(おきなががわ)

・ 荒れ果てた庭を見る

さて。
日もだいぶ高くなってから起き出して、源氏は自分で格子を上げます。
手入れされていない庭はひどく荒れて、広々と見渡す限り人影もなく、木立も草木も水草までもが薄気味悪いまでに繁茂して、秋の野らです。

だいぶ離れた質素な別棟には僅かに住む人の気配があります。

・ 源氏の傲慢

「すっかり荒れてしまっているね」
「でも、こう荒れ果てたところに棲むだって、この私のことならば、見逃すことだろうよ」と言います。

長い時間、思いのままに隈なく肌を合わせもつれ合った後ですから、源氏の方はすっかり気が緩み、いつまでも他人行儀に身分を隠していては女も嫌だろうという気になって、とうとうを覆うのをやめます。

「あなたが五条で呼び止めてこう深い仲になった私の顔を見せてあげよう」
📖 夕露に 紐とく花は 玉鉾のたよりに見えし 縁にこそありけれ

「あなたが粉をかけて来た男の顔はどう?」「光君とは私のことだよ」
📖 夕露に 紐とく花は 玉鉾のたよりに見えし 縁にこそありけれ

・ 辛辣な女

女は流し目で見て、「黄昏時の目の錯覚だったわ」と小さな声で呟きます。

後目に見おこせて 光ありと見し 夕顔のうは露は たそかれ時の そら目なりけりと ほのかに言ふ

源氏は面白がって、そんな軽口も出てくるほどに気を許してくつろいでいるのかと嬉しくなります。
幼げに見えるのに、鬼の出そうなこんな物凄い場所に気後れしていないことの意外性に、ますます魅了されていきます。

・ あなたの番だと責めるけれど…

「あなたが名乗らないから私も素性を隠していたのだ」
「私がこうして名乗ったのだからあなたも名乗ってよ」「落ち着かないもの」と源氏は言いますが、

夕顔は、「下賤な海人の子ですから…」と言って答えません。
そこまで打ち解けたわけではないという様子です。
それもまた甘え可愛い様子と思ってしまう、どこまでも盲目な、17歳の恋する源氏です。
女は天性のコケットのようでもあります。

「そちらが海人の子なら私は われから なのだろう」などと恨み言を言ったり、また飽くことなく肌を重ねたりしながら、一日が過ぎていきます。

📌② 息長川(おきなががわ)
(📖 まだ知らぬことなる御旅寝に、息長川契りたまふことよりほかのことなし。(原文))
📖 「鳰鳥の 息長川は 絶えぬとも 君に語らふこと 尽きめやも(古今集)」 …ああ、お前とずっと語り合っていたいよ。
ずっと懇ろに語り合いたいのだよと婉曲なようですが、『語らふ』には、語らうだけでなく、性的に契るという意味もあるようです。
 
📌① 鳰鳥
鳰鳥は『におどり』と読んでカイツブリのことだそうですが、カイツブリは小型で人に慣れずすぐに隠れてしまうのだそうです。
カモが1kgとすればカイツブリは200gぐらいほどだそうです。
源氏が夕顔を車に抱き上げる時には『軽らかにうち乗せたまへれば』とあったのでカイツブリの小ささも夕顔を思わせたのかもしれません。

📖 冬の池に すむ鳰鳥の つれもなく そこにかよふと 人に知らすな(古今集)」 …すぐに底に沈んでしまう冷淡なカイツブリのことを人に言うなよ、とも読めるのでしょうが、
息長川』が鳰鳥の連想まで含んでいるのだとすれば、『そこ』は『底辺』の意味さえ帯びて、「心も開かない下層の女に私が通っているなんて人に言うなよ」となって、下の品と見ている源氏の夕顔に対する根本的な蔑みが垣間見えはしないでしょうか。

夕顔と宇治十帖の浮舟の描き方はとても似ている気がします。
三位中納言の孤児と皇子の田舎育ちの庶子。どちらも源氏物語ワールドでは一段落ちる生まれと扱われていますが、高貴な血を引いています。
でも庇護者がいません。
なよやかな魅力で貴人を虜にしながら、貴人たちは庇護者への遠慮なしに、遊び女のように粗略に扱い、女は絶望して厭世的になっていきます。

📌③秋の野ら
僧正遍照の『里は荒れて 人はふりにし 宿なれや 庭もまがきも 秋の野らなる (古今集)』の連想のようです。

📌④鬼なども 我をば 見許してむ
誰にでも何もかも許されてきた人のこの傲慢な言葉がここに棲む鬼を起こしてしまったのかもしれないという恐ろしさがあります。

📌⑤夕露に 紐とく花玉鉾のたよりに見えし 縁にこそありけれ』
五条の道で出会って深い縁になったね。その縁で顔を隠すのもやめるよ」
玉鉾は『道』にかかる枕詞だそうです。
あの五条の往来で出会って、下紐を解く仲になったのだものねと。

📌⑥「 心あてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花」
夕顔の花を所望した時に女童が差し出した扇に書いてあった歌です。
白露の光ほどにも美しい人ねと誘ったのか、光源氏と知ってのことなのか。
夕顔の返しは、「あーあ、それほどでもなかったわ」というあけすけな感想のようでもあり、頭中将でなかったことへの深い失望のようでもあり。
どうなのでしょうか。

📌⑦「光ありと見し夕顔のうは露はたそかれ時のそら目なりけり」
やっと見せた源氏の顔に対する感想です。
あの時は黄昏時だったから『白露の 光そへたる』なんて見えちゃったのよって。
対等というより、辛辣で凄い…。

📌⑧われから
海藻に棲む小さな甲殻類です。
ワレカラを『我から』と読み替えて、自分のせいだという使い方をするようです。
伊勢物語で高子に逢えなくなった業平の慟哭の歌ということになっているのが、『海人の刈る藻に住む虫のわれからと 音をこそ泣かめ 世をばうらみじ』です。

眞斗通つぐ美

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