鉢合わせの翌朝 典侍の間違いで負けを免れる なるべく挿絵付き『紅葉賀』⑱ 96
・ しょんぼり臥せる源氏
源氏は、「見つかっちゃって悪戯されて口惜しいなあ」と思って、臥せっています。
・ 忘れ物を届けさせる典侍
置き去りにされた典侍は情けない気持ちでいますが、源氏が取り落としていった指貫や帯などを、早朝に届けてやりました。
📖 恨みても いふかひぞなき たちかさね 引きてかへりし 波のなごりに
📖 底もあらわに
(恨み言を言ってもしかたありません)
(涙の川の底が見えるまでに、涙も尽きてしまいました)
添えられた文を見て、源氏は、
よくもそんなことを言えるものだと、典侍を憎く思います。
頭中将も深い仲だったことを突きつけられて、恥をかかされたのですから。
しかし、典侍が辛がっているのは尤もでもあり気の毒であるとも思って、
📖 荒らだちし 波に心は騒がねど 寄せけむ磯を いかが恨みぬ
(荒立つ波にも乱暴を働く人にも心が騒ぎはしませんが、波を寄せ付けた人は恨めしい)
と、意地悪な文ですが、返信だけはしてやりました。
・ 取り違えられた帯
典侍から届けられた帯は頭中将のものだったようです。
自分の直衣に合わせてみると、少し色が濃くて、二藍よりは縹に寄った色なのです。
その時に、直衣の袖がなくなっていることにも気が付きました。
「みっともないことだ」
「色情に溺れる人は、いやはや、こんなばかげたことも多いのだろう」「やはり気を付けなくては」と自重の思いを新たにするのでした。
・ 頭中将から袖が届く
頭中将が、宿直所から、「まずはこれを縫い付けてはいかが?w」と得意気に、袖をくるんだ包みを、持たせてよこしました。
源氏は、この袖を、どうやって取って行ったのだろうと憎らしく思います。
そして、「典侍がこの帯を間違って送ってくれていなければ、この勝負は惨敗で終わるところだった」と巻き返しに出ます。
帯と同じ縹色の紙に包んで、
「📖 なか絶えば かことや負ふと 危ふさに はなだの帯を 取りてだに 見ず (あなたと典侍の仲が途絶えたのが私のせいだなどと言われては困りますから、あなたの縹色の帯など、私は手に取りもしませんよ)」と、言ってやります。
すぐに返信が来て、
「📖 君にかく 引き取られぬる 帯なれば かくて絶えぬる なかと かこたむ え逃れさせたまはじ
(あなたが帯を取っていくから、こうして私と典侍の仲も切れてしまったのですよ」「お恨みしますよ」「逃がしませんよ」
と言います。
・ 宮中で
日が高くなって、それぞれに参内します。
頭中将は、源氏が取り澄まして何事もなかったようにしているのが可笑しくてたまりません。
頭中将の方も蔵人頭として奏上する公事が多い日で、真面目に端正に勤仕しているので、源氏も可笑しくなります。
互いに秘密の笑みがこぼれがちです。
頭中将が、誰もいない隙に近寄って来て、
「隠し事は懲りたでしょう」と勝ち誇ったような流し目をくれます。
「何を懲りろとおっしゃるのか」
「無駄にいらしてお帰りになったあなたの方がお気の毒ですよ」
源氏も応酬します。
それから、「男女の仲とは全く厄介なものですね」と言って、
互いに鳥籠の山の口止めをし合います。
・ この件に関してその後
さて、それから後、このことは何かあるごとに二人の間で話の種になります。
大変厄介な女だったからこそ記憶にも残るのかもしれません。
典侍の方は、相変わらず大層色っぽい魅力的な恨み言などを言って来ます。
源氏はやりきれない思いで寄り付きません。
・ 頭中将の敵愾心
頭中将は、今度の恋愛事件のことは妹の葵上にも言わずに、然るべき時の切り札にしようと、胸にしまっています。
源氏という人は、帝がこよなく愛していらっしゃるので、高貴な出自のお妃方からお生まれの親王方さえ、気を遣って遠慮しておられるような方です。
でも、この頭中将だけは、決して引けを取るまいと、ちょっとしたことにでも対抗心を燃やします。
左大臣の子供達の中で、この頭中将だけが、皇女たる三条大宮を、葵上と同じく、母としています。
源氏君が帝の御子であるとはいえ、
頭中将も帝の御信望の篤い随一の大臣の皇女腹の嫡子として、大切にかしずかれてきた身です。
何を劣ることがあろうかと思うのです。
人柄も何もかも整っていて、全てが理想的で不足のない人です。
この二人の競争は、源典侍をめぐってもまだ珍しいこともあったのですが、煩わしいので略します。
📌 口止め
📖 犬上の 鳥籠の山なる いさや川 いさと答えよ 我が名洩らすな
(古今集)
近江の犬上の鳥籠山にあるといういさや川 いさ(さあね)と答えて、私の名を洩らすな
🌺 恨みても
📖 恨みても いふかひぞなき たちかさね 引きてかへりし 波のなごりに
(恨み言を言う甲斐もありません。幾重にも重なり返る波に名残りは尽きないけれど。太刀を重ねて帰ってしまった人に名残りは尽きないけれど)
🌼掛詞:
恨み(浦見)てもいふか効ひ(貝)ぞなき立ち(太刀)かさね--引きてかへりし波のなごりに
🌼波の縁語:
恨(浦)みてもいふ効ひ(貝)ぞなきたちかさね--引きてかへりし波のなごりに
🌺 底もあらわに …
※引歌 📖 別ての 後ぞ悲しき 涙川 底も露に なりぬと 思へば
(別れた後が悲しい。涙の川も底が見えるまでに枯れ果ててしまった)
祭りの果てた後の虚しさよ。
📌 取り違えられた帯
(綺陽装束研究所様 装束の種類(直衣)、色彩と色目より)
朱雀院の行幸で、源氏は正三位に、頭中将は正四位下に昇進しています。
公卿以上で勅許を得た場合には、この色の位袍を着なくてもよくて、
冠直衣で、直衣の色は位階によらず、色も文様も自由なものを用いたのが、
摂関時代には、夏は三重襷文様の縹または二藍色のものを用いたとあります。
4月の藤壺宮の還御から間もない話だとすると、二人の着ていたのは夏の直衣。三重襷文様の 二藍色 のもの。
典侍から届けられた帯を、源氏は、
「わが御直衣よりは色深しと見たまふ」とあります。
位袍でなく、自由にしてよい直衣なので、それぞれの家のたまたまの染色の差なのかもしれませんが。
上図に、若い人は二藍色で、若い人ほど紅が強いとあります。
縹は藍染の中程度の濃さの色、
二藍は藍染に紅花を染め重ねた色、
だそうですから、それぞれの色の間にグラデーションがありそうです。
源氏より6歳上、25歳の頭中将の二藍は縹に近いほど赤みが少なかったのかもしれません。
源氏物語絵巻には、この三重襷文様の直衣を着ている場面がいくつもあるようです。
Cf. 縹色というより美しい青色の三重襷文様で復元されている図です。
眞斗通つぐ美
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