今日投稿すれば218日連続!偉業!とのこと

『ご自由にお書きください』とのこと。ありがとう。
 本日は中島敦のお誕生日(1909年生まれ)なので、その著作『山月記』の読書感想文を書く。
 昔、国語の教科書で読んだ。その時の感想は「悲惨で哀れな話だ」だった。読み返したら、そんなに悲惨とも哀れとも感じなかった。同情はする。だが「これはこれであり」だと感じるようになっていた。
 なぜなのか?
 大詩人になれなくとも立派な人食い虎になれたのだからいいんじゃね、と思った。それが理由だ。虎になった李徴は青年時代と同じく自嘲しているけれど、虎になれる者は滅多にいないわけで、これはこれで凄いことだと思うのだ。夢に破れ現実に目覚めたり自暴自棄になる奴は無数にいるがワナビをこじらせて虎に変化したのは李徴くらいのものだろう。名声を手に入れた者を羨み嫉妬し誹謗中傷する無数の無能たちは虎と化した李徴の爪の垢を煎じて飲むべきだ。下手すると食われるが、生きていても世の役には立つまい。
 李徴の変化は元々が虎狼の如き狷介固陋な性格だったからだろうが、虎になる程でもない気がしなくもない。最後には妻子を案じているからだ。自分のことだけしか考えないエゴイストが世の中に溢れていることを考えると、虎が絶滅危惧種なのは何かの間違いだと言わざるを得ない。
 虎に変化したことを肯定的に考えるのは、私の中に失踪願望があるからなのかもしれない。何もかもを捨て自由に生きたら、どれだけ幸せだろうか? 人間らしさが日々失われていくことを李徴は嘆き悲しむが、持てはやされるのは人面獣心の輩ばかりの世の中から隠棲し自然の中で暮らす方が人間的と思えてくる。山籠もりを続ける東出昌大も、そう感じていることだろう。
 昔の私は、こんな風に思わなかった。だから「悲惨で哀れな話だ」と感じたのである。今の感想は、それだけにとどまらない。物語の新しい見方を私は手に入れたのだ。年を取りたくないものだと人は言う。それは否定しないけれど、悪いことばかりでもない。
 もしも中島敦が三十三歳で死なず長生きしていたら『山月記』が持つ別の一面に気が付いただろうか? 最初から気付いていたが、それに目を瞑って書いた可能性はある。この作品で彼が表現したかったのは、運に恵まれない作家の姿だ。つまり自分のことである。彼は社会批判や自然賛美をカットし主題を詩人の不運に絞った。それが功を奏したのだ。だが視点を変えると、詩人より虎の方が幸せに見えてくる。
 中島敦が、それに気付かぬはずはない。彼が南洋庁の役人としてパラオへ赴いた理由に、作家ロバート・ルイス・スティーヴンソン(代表作『宝島』『ジキル博士とハイド氏』)と画家ポール・ゴーギャン(ゴッホと共同生活をした逸話も有名)の影響があったと思うからだ。
 この二人はヨーロッパを離れ太平洋の島へ移住した。文明の恩恵を放棄して未開の土地で暮らす生活を選んだのは、それなりの理由があるのだろう。中島敦は南の島へ移住したロバート・ルイス・スティーヴンソンを題材に『光と風と夢』という小説を書いている。主役の選び取った行動の理由を、作者は読者に対し説明しなければならない。そうなると、文明批判は出る。理想的な暮らしとは自然的な生活! ということになる。サモアへ移住したロバート・ルイス・スティーヴンソンは、虎に変化しない李徴なのだ。
 どうして虎に変化していないかというと、代表作『宝島』と『ジキル博士とハイド氏』で名声が確立しているからだ。一方、同じく南洋パラオで生活する中島敦には小説家としての名声はない。パラオへ赴任する際、知り合いの深田久弥(代表作『日本百名山』)に作品発表を依頼したが、その原稿は半年近く放置される始末である。中島敦が虎だったら深田久弥を食い殺しているかもしれぬ。それでも原稿は発表され芥川賞の候補になり――惜しくも落選――今日の名声確立に寄与したのだから、結果オーライである。中島敦は、かくして李徴とならずに済んだ。めでたしめでたし。
 今、中島敦のWikipediaを読んだ。刺さる文章を見つけたので引用する。
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涙をためながら「書きたい、書きたい」「俺の頭の中のものを、みんな吐き出してしまひたい」と言ったのが最期の言葉だったと伝えられている。
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 それなら完全に虎となり人の言葉を忘れていく李徴は悲惨そのものだ。私が最初に思った感想「悲惨で哀れな話」の方が実態に即している。中島敦は名声が確立する前に死んでいるので、彼の無念を思えば、虎と化した李徴と大きな違いはない気がしてきた。それでも悲惨で哀れだ……と言い切ることができないのは、中島敦の名声が確立しているからだ。彼のようになりたくてもなれず、かといって李徴のように虎へなり果てることもできない無数の無能の一員としては、素直な心で感想を書くことができないのだ。
 自分の頭の中にある何もかもを吐き出した感想とは言い難いものとなってしまった。死後になってしまったが成功したクリエイターへの羨望や嫉妬を書き尽くさねばいけなかった。これでは中島敦に捧げることはできかねる。

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