いっすーくるま」です。単車の事故編④

私の怪我は、左手の甲の骨4本、右手親指の付け根の関節、そして、右足が5カ所と計10カ所の粉砕骨折でした、粉砕とは、骨折部分が粉となって飛び散っているとの事です。運転手の友人は、どちらかの太腿の筋肉がえぐり取られ、そのために膝下が壊死する可能性があると知らされました。
戸塚の病院で私は、両手を固められ、右足を付け根から足首まで固められていたのです。という事は、自ら何も出来ないという状態でした。一気に落ち込みました。食事も自分で食べられません。(母親が付き添い食べさせてくれたのです)さらに、最大の問題が、排尿と排便でした。青春真っただ中の18才ですよ。最初の排尿を催した時、叔母さんがナースコールをしてくれ尿瓶のお願いをしたのです。若い看護師さんが尿瓶を片手に部屋に入って来ると、「それじゃ、尿瓶を当てますね」と言い毛布を剥がすと私の物を摘まんで尿瓶の口へ入れたのです。
「はい、良いですよ」との声と同時に、我慢出来なくなって放尿してしまいました。本当に恥ずかしくてどう仕様もありません。ところが、人生経験主義です。1度の経験が、2度目、3度目には、何も気にせずに放尿を繰り返すようになってました。しかし、1週間過ぎても排便は、出来なかったのです。これまでに何度か挑戦しましたが、赤ん坊の時は、別として寝ながら排便などしたことがありません。既に腹はパンパンに張ってしまって、食事も少しずつしか食べられなくなったのです。すっかり困り果てた私は、看護師さんへ相談するしかありませんでした。相談の結果、何と浣腸することになりました。また、初めての経験です。
一旦、ナースステーションへ戻った看護師さんは、その用意をして今度は、2人で部屋に戻って来たのです。1人は、液体の入った大きな注射器を持ってました。もちろん注射針は付いてません。もう1人は、便器を手に持ってました。
「それでは、浣腸を始めますね」
「はい」と私が答えると看護師さんが、毛布を剥がしました。そして、怪我をしてない左足を持って上に上げたのです。校門の位置を確かめているのです。恥ずかしさのあまりに逃げ出したかったですが、身体が全く動きません。本当に惨めでした。
「では、注射器の先を肛門へ入れますよ」と言った瞬間、私の肛門へ注射器の先が入って来たのです。
「うっ」少し声を洩らした瞬間、「では、ゆっくりと薬を腸の中へ入れていきますね」と看護師さんの声でした。腸の中へ液体がゆっくりと入って来るのを感じました。全ての薬が注入されると、もう1人の看護師さんが、私の肛門へガーゼを当てて3本の指で蓋をしたのです。(ゴム手袋は着けてるはずです)
「腸全体に薬が拡がるまで、もう、ちょっと待ってくださいね」
「はい」もう、此処まで来ると、「恥ずかしい」とか「惨め」なんて言ってる余裕などありませんでした。初体験に応戦するのに、必死だったからです。私には、物凄い長い時間を待ったように感じましたが、いよいよ今回の最大のヤマ場が近づいた様で、便器が私の尻の下へ当てられたのです。
「そろそろ、手を外しますから、そしたら踏ん張ってくださいね。」
「はい」と私が言ってから、少しの間がありました。
「はい、踏ん張ってください」
看護師さんが、そう言った瞬間に指を肛門から離しました。ここで、何と1週間分の排便をしたのです。
看護師さんの口から、「便器のおかわり持って来てー」との叫び声は聞かれませんでしたが、私は、勝ち誇ったようにスッキリした顔をしていました。その日の晩食の最高に美味かったことは言うまでもありません。しかし、食事は、母親に食べさせて貰っていましたが・・・・・。人生経験主義。1つの経験のクリアーが、人間を1つ大きくします。排尿、排便は、恥ずかしさと惨めさが消えて、平気で出来るようになってました。こんな事は、あまり経験したくないですが、私は、18才という若さで経験できたのです。また1つ、器を大きくしたのかもしれません。いやー、これは、あまりにも物事を前向きに考えすぎでしょうか?
今日は、この辺で失礼します。

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