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飾り気の全くない、あるいは非常に望ましい形で程よく飾り付けされている.

米津玄師さんの地球儀という曲を何度か聞いて、その制作の裏話であったり軌跡を米津さんが自身でラジオで述懐しているのを聞きました。

そんな中で思ったことは、後世に輝く形になる音楽は、おそらく"俺が俺が"という主体的な自己主張が良い意味で抜け落ちてしまって、そこにしたたかなあるいは静かな力が込められたものである、ということを感じさせられました。

地球儀という曲は、ジブリ映画の「君たちはどう生きるか」の主題歌ですが、それらの制作秘話を米津さんがラジオで語っていました。

まず宮崎さんとの出会いから始まって、いかに米津さん自身が宮崎さんからの影響を受けたか、それによってどんな人格形成が自身に起きたのか、などと色々なことを話されていました。

そんな中でこの地球儀という曲を録音するときのピアノの選定の話になり、どうやらどの高級なピアノを使ってもしっくりこなかった、という話をしていました。

そして結局使われたのは古びた使い古されたピアノであり、弾いている途中に椅子の軋む音までも入ってしまうようなピアノだったということです。

しかしそれが宮崎さんのイメージとピッタリと合う気がして、その軋む音こそが大事だったと米津さんは言っていました。

このようなところから、私はかねてより楽曲制作には多大な才能とあるいは闘気、勝ち取りに行くという勝他の気持ちが必須とされるのだろうと素人ながらに思っていたのですが、どうやら本当の音楽とは愛に満ちたものであり、そこには"急ぎ"がなく、とても穏やかであることなんだと感じさせられるに至りました。

あるところまでは、勝他・羨望・自己実現という形での音楽もよいのかもしれませんが、それらが行き着く望ましい形は、このような他者愛に満ちた音楽の作り方なのではないか、と思わされるのです。

人生もこれと同じだと言えるでしょう。

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